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「誰だそれは」
「知らないんですか、〈ムントゥスの奇跡〉を?」
「知らん」
「騎士エストファリン・アンバーは、もとは迷宮騎士団の団長で、次に治安騎士団の団長になった珍しい人です」
「珍しいのか、それ」
「珍しいらしいですよ。迷宮騎士団はルッカ子爵家が、治安騎士団はワイド子爵家が管轄してますからね。自分の子飼いの部下や一族の騎士を団長にするものなんです。でも領主様から騎士エストファリンに、治安騎士団を鍛え直すようご下命があり、騎士エストファリンならばとワイド子爵家も納得したらしいですからね。というか、部下の騎士たちが歓迎したらしいです」
「それで、何とかの奇跡というのは何の話だ」
「迷宮都市ワードの西のほうに、ムントゥスって町があります。その近辺で魔獣の大発生がありましてね。確か二つほどの町といくつかの村が滅びて、ムントゥスの命運も風前のともしびとなりました。近隣各都市の領主は救援を差し向けたんですが、そのときユフから駆けつけたのが騎士エストファリンです。騎士エストファリンの武勇と振る舞いに、各地の騎士たちが感動して、結局総大将みたいな役割を引き受けることになったんだそうです。その指揮も見事だったそうでね。無事魔獣は鎮圧。ムントゥスは生き延びた。以来ユフの騎士エストファリン・アンバーこそ騎士のなかの騎士なりってな評判が、王国中に広まったんです」
「ほう。すごいやつなんだな」
「騎士エストファリンは、治安騎士団長を辞めたあと、領主の側仕えとして仕え、最近は引退して、ホルト地区に引きこもってたらしいんですけどね。領主様の危機ってんで、老躯を押してユフ城に駆けつけたわけで。領主の宮殿を取り囲んだ騎士たちに、名誉を知る騎士たちよ、ユフ神聖王家の正統たるご領主様に剣を向けてはならぬ、と諭したんだそうで。事態が静まりかけたところで、南家の魔法使いが騎士エストファリンに致死性の攻撃魔法を放ちました」
「ほう。卑怯だな」
「卑怯です。領主騎士団の騎士が反撃しました。それに治安騎士団の騎士が反撃して、あとはもう殺し合いですよ」
「そこまで戦闘はなかったんだな」
「なかったみたいですね」
「だがその時点からは、武力で領主騎士団を撃破し、領主を捕らえて言うことを聞かせようとしたわけだ」
「ですね」
「それは反乱だな」
「反乱ですね」
「それにしては町が落ち着いているのがふに落ちん」
「治安騎士団の誠意を誤解した領主騎士団の騎士が、領主様を押し込めて、治安騎士団に攻撃をしかけてきたけど、治安騎士団は武力を用いず、領主様と会わせてくれるよう粘り強く説得をしている、てことになってたみたいですよ」
「そんな説明が通るのか?」
「町の有力者が何人も、治安騎士団を支持してるそうです」
「ふうん?」
「圧倒的な戦力差がありますから、あっという間に領主騎士団は全滅するはずでした。ところが騎士エストファリンの指揮のもと、宮殿の一角に閉じこもって手ごわく抵抗したんだそうです」
「死んでなかったのか」
「魔法抵抗の装備を身に着けてたんでしょうね。それとも神薬を使ったのかもしれません。それで、貴族の騎士たちのなかにも領主様を応援する者が現れ、戦闘は七日間続きました。でも、やっぱり多勢に無勢ですからね。領主様は反乱軍の手に落ちました。ところがここで、事態は思わぬ展開をみせました。最後の最後に、騎士エストファリンは、次期領主のアシッドグレイン様と側近何人かを、〈北の塔〉に逃がしたんです」
「北の塔とは?」
「領主様の正妃様のお住まいのことです。今は次期領主のアシッドグレイン様とその正妃のルビアナフェル姫様がお住まいです」
レカンは、〈収納〉からユーフォニアの市街図を出した。北の塔は一番大きな宮殿のすぐ北側にあり、その北側は森と湖だ。つまり北の塔は、ユーフォニアで最も北側にある建物だ。
「北の塔は制圧されてなかったのか?」
「ルビアナフェル姫は〈癒やしの巫女〉様ですからね。民衆の圧倒的な支持を受けてます。さすがに手出しは控えたみたいで、遠巻きに囲んでたんだそうです。そこにアシッドグレイン様と側近がたが逃げ込んだわけですね」
「ふうん? だが戦力がなくては防衛はできないだろう」
「治安騎士団もそう思いました。北の塔に押し入って、アシッドグレイン様とルビアナフェル姫を取り押さえるだけのことだとね。ところが誰も知らなかったんですが、北の塔には魔法の障壁を張って誰も入れなくする仕掛けがあったんです。アシッドグレイン様がそれを発動させたので、誰も入れなくなりました」
「それは、いつのことだ」
「ええっと。武力衝突になったのが、去年の九の月の終わりごろで、アシッドグレイン様が北の塔に立てこもったのが、十の月のはじめごろです」
「八十日も前じゃないか」
「そうなんです。それで、たくさんの魔法使いが力を合わせて強力な魔法攻撃を撃ち込めば魔法障壁は破壊できるだろうけど、さすがに〈癒やしの巫女〉様に魔法攻撃を撃ち込むわけにもいかないってんで、治安騎士団は兵糧攻めに出ました。食い物がなくなったら降伏するしかないだろうってことですね」
「どうして八十日も持ちこたえたんだ」
「それがですね。これはあとでわかったんですが、宮殿の奥まった場所で武力衝突が起きていた七日間に、ルビアナフェル姫様は家臣を使って、宮殿の食料庫から〈箱〉でせっせと食料を運び込んでたんです」
「ほう! 籠城戦になることをみこしてたのか」
「そうとしか思えませんね。すごい人です」