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狼は眠らない  作者: 支援BIS
間話3
596/702

癒やしの巫女


 ユフは美しい町である。

 そびえ立つ山々に囲まれ、森と湖に抱かれたこの都市は、別天地といってよい。

 城下町をみおろすようにそそり立ち、迷宮を抱えるユフ山は、氷と雪に包まれていて、そのためユフはこれほど南方にありながら、その気候は冷涼である。

 ユフ城は十二の塔と四つの宮殿を擁し、巨大な城郭都市ユーフォニアには二万人以上が暮らしている。その北側の肥沃な盆地に広がる三つの地区には、合わせて八十万を超える領民が住んでおり、周囲に点在する九つの村を合わせれば総人口は百万に近い。

 王国法では、一人の領主は一つの都市しか領有できないことになっており、ユフ領の全体が、建前上は一都市とみなされている。特別扱いといってよい。

 ユフ侯爵シャドレスト家は、三つの子爵家を抱えている。三つの子爵家はそれぞれ、他領の伯爵家にもまさる財力を有しているが、三家は伯爵家あるいは侯爵家として独立することなく、シャドレスト家に従属している。これも他領からみれば特別な扱いである。

 また、他領では爵位に応じて有事の派兵義務があるが、シャドレスト家にはない。

 つまり、ユフは、ザカ王国内の侯爵領ではあるが、実質的には独立領に近い。当然、その成り立ちには特別な事情がある。

 昔、ここにはユフ神聖王国があった。ユーフォニアはその首都だったのであり、三つの地区は都市であったのだ。九つの村も、都市に近い規模を持っている。大陸中央にワプド王国が栄えていた時代も、その後の群雄割拠の戦乱の時代も、ユフ神聖王国がその安寧を脅かされることはなかった。

 ある日、のちにザカ王国の建国王となる若者がユフ神聖王国を訪れた。このとき結ばれた盟約により、ユフ神聖王国はザカ王国建国戦争に兵を貸し与えるのである。

 若者がユフを去るとき、一人の少女が若者を慕ってユフ神聖王国を出奔した。

 少女は名をオリエといい、ユフ神聖王国ライコレス神殿の〈癒やしの巫女〉だった。

 ユフ神聖王国は、ライコレス神を祭り、ライコレス神の恩寵により栄えてきた国である。まだユフ神聖王国が成立する以前のいつとは知れぬ大昔のこと、神殿に〈預言の巫女〉が現れ、ライコレス神の預言と祝福をもたらした。そして〈預言の巫女〉は、「ライコレス神の祝福を受けた巫女を尊び続けるかぎり国は栄える」という預言を残した。

 〈預言の巫女〉の没後、神殿の巫女の一人が〈浄化〉を発現した。神殿長はその巫女が預言された巫女だと考え、〈癒やしの巫女〉と呼んで大切にした。〈癒やしの巫女〉は、毎年〈豊穣の祝福〉を行い、国は富み栄えた。それからというもの、〈癒やしの巫女〉が寿命を迎える直前に、次の巫女が現れ続けた。

 当代の〈癒やしの巫女〉が老い、若きオリエが〈浄化〉を発現したとき、神殿長と王は新たな〈癒やしの巫女〉が現れたことを知った。しかし〈浄化〉というものは、発現の初期には術者自身でさえそうと気づかないことがあり、オリエは自分が〈癒やしの巫女〉だとは知らないまま国を捨てたのである。

 王と神殿長は、事態をあまり重く受け止めなかった。すぐ別の巫女に〈浄化〉が発現すると思ったのだ。

 ところが、次の巫女は現れず、数年後、老いた当代の巫女が死去すると、ユフ神聖王国は飢饉にみまわれた。不作は何年も続き、疫病がはやり、国は荒廃していった。

 神殿長が命がけの断食をして神に祈った。そして死の間際に、「安寧と繁栄は新しき王国のもとにあり。巫女の血筋を守れ」という神託を受けた。

 「新しき王国」とは、ザカ王国を指すとしか思えなかった。ユフ神聖王国の王は王位を捨ててザカ王に臣従した。

 つまり、ザカ王国が建国されたその当時、ユフ神聖王国は独立した豊かな国だったのであり、建国王には貸しはあっても借りはなく、臣従するいかなる理由もなかった。それが不作が数年続いただけで突然臣従を申し出てきたのである。当然、特別扱いにせざるを得なかった。

 このとき、すでにザカ王国では王国法が成立しており、その定めに従えば、ユフは分割するか、男爵領にするしかなかった。男爵領はいわば自治領であり、複数の都市を内包できるかわり、朝貢の義務もなく、危機に際し王国の援助を求める権利もない。

 当然ながら、ユフは分割を拒否した。

 だがザカ王国としては、ユフを取り込みたかった。神薬をはじめとしてユフから得られるはずの品々は魅力的だったし、何より、ユフが臣従したという事実はザカ王の権威をこの上なく高めてくれる。そこでユフ全体を一つの都市とみなすという便法によって侯爵領とした。ユフ侯爵シャドレスト家の誕生である。

 果たして飢饉と疫病は終息し、豊作が訪れた。

 このころすでにオリエはこの世の人ではなかった。もともと体が丈夫ではなかったオリエは、娘を産むことと引き換えに命を落としたのだ。死の間際の祈りを込めた守護石を残して。

 この娘の存在は秘匿された。ユフが奪い返すことを心配したのかもしれない。娘はザナと名付けられ、成長して〈浄化〉を発現した。ザナ姫は身分を隠して、建国直後の混乱を静める働きを陰から支えた。

 いっぽう、オリエが残した守護石は建国王の大きな助けとなったのだが、ザナ姫が結婚するとき、建国王は守護石を持たせた。この守護石はもともとザナ姫を守るためのものだったと、建国王は考えていたのである。守護石のことはユフでも把握しておらず、建国王の側近たちも、その由来や意味を知らなかった。

 さて、ユフでは、ザナ姫の存在を突き止めた。そして、「巫女の血筋」というのは、ザナ姫の女系の子孫を指すのだと考えた。男では巫女になれないからである。

 ザナ姫やその娘をユフに迎えようとする動きもあったが、結局ユフは、ザナ姫の女系子孫をみまもり続けた。子孫たちは、次第に〈浄化〉や〈回復〉を発現しなくなっていったが、ユフの繁栄は陰りをみせなかった。女系子孫の人数が十五人を超えたこともあるが、ある時期から減り始め、ついに最後の一人となってしまった。ルビアナフェル姫である。

 ザイドモール領は辺鄙な地である。ルビアナフェル姫がどのように過ごしているか、わかりにくかった。だが、ルビアナフェル姫は体が必ずしも丈夫ではないという点が心配ではあるが、領主ザンジカエルは堅実に領地を切り盛りしているようだし、ザイドモール家の空気はやわらかで温かいという。周辺には騒乱の兆しもない。

 そんななか、ルビアナフェル姫の父であるザンジカエルがユフ侯爵パルクグレイン・シャドレストに書簡を送ってきた。

「わが娘ルビアナフェルは、十三歳の聡明で気立てのよい娘ですが、五歳のとき〈回復〉を発現しました。近頃いくつもの貴族家から縁談がまいっておりますが、できるだけ平穏で幸福な人生を過ごさせてやりたいと思っております。何の縁故もない侯爵閣下におすがりするのは甚だ筋違いではありますが、願わくばお力添えを賜りたいと、伏してお願い申し上げる次第です」

 今こそ巫女の血筋を再びユフに迎える時だと、パルクグレインと神殿長は考えた。こうして、ルビアナフェル姫を次期侯爵アシッドグレインの妃に迎えることが決まったのである。

 ルビアナフェル姫が十四歳の誕生日を迎えると、使者がユフからザイドモールに遣わされ、婚約は正式のものとなった。

 その直後、刺客がルビアナフェル姫を襲った。たまたまザイドモール家に滞在中の冒険者が刺客を倒したが、日を置いて次の刺客が現れた。このことをザンジカエルから知らされたパルクグレインは、ただちに調査を行った。アシッドグレインには四人の婚約者がいたのだが、このうちの一家が娘を正妃にしたいと考え、刺客を放ったことがわかった。パルクグレインはその家の当主を叱責した。刺客は四度をもってぴたりと止まった。

 このころのユフでは、〈癒やしの巫女〉のことは古い伝説となっており、神託のことも、ごく一部の重鎮しか知らなかった。まして、ルビアナフェル姫が〈癒やしの巫女〉の末裔であるという秘密は、領主と神殿長をはじめとする数人が知るのみであった。

 そこで輿入れにあたっては、〈癒やしの巫女〉の伝説にことよせて、〈聖なる癒やしの儀〉が行われた。重鎮たちがみまもるなかで、当主パルクグレインに〈回復〉をかけるという儀式である。この儀式によって、ルビアナフェルは、〈回復〉という祝福を与えられていることを証明し、次期当主の正妃として承認された。

 そして王国暦一一六年二の月の五日、婚儀が執り行われ、ルビアナフェルは北の塔の五階南側の部屋を与えられ、〈北神の御方〉となったのである。北神とは、女神ライコレスを指す。山の、地の、森の、薬の神であり、ユフの守護神である。北の塔の五階南側の部屋は、領主が政務を執る〈白鳳宮〉をみおろす位置にあり、この部屋に住む者は、すなわち国事を守護する存在なのだ。

 ちなみに、もともとライコレスはユフの神であり、ザカ王国の神々のヒエラルキーに組み込まれて、九大神殿が成立した。ザカ王国の王都にはライコレス神殿総神殿があり、王国各地には十八のライコレス神殿があるが、ユフのライコレス神殿はこれらとは組織のうえでまったく別であり、教義も異なっている。

 さて、儀式をつかさどった神殿長は、ルビアナフェル姫の〈回復〉に〈浄化〉が交じっていることをみぬいた。神殿長はルビアナフェル姫を指導し、やがてルビアナフェル姫が〈浄化〉の発動が自在にできるようになるのを待って、〈癒やしの巫女〉に認定した。王国暦一一六年六の月の十日のことである。

 この年、百年ぶりに、完全な形での〈豊穣の祝福〉が行われた。

 そうしたところ、農作物は経験したことのないほどの豊作となり、森からは例年をはるかに上回る恵みが穫れ、狩りの獲物も多かった。

 アシッドグレインとルビアナフェル姫は互いに惹かれ合い、仲睦まじい夫婦となった。時にアシッドグレイン十八歳、ルビアナフェル姫十四歳である。

 アシッドグレインは、日に一度は白鳳宮に出仕するし、会議があるときは白鳳宮に泊まり込むこともあるが、北の塔に住み、普段はほとんどの時間を北の塔で過ごす。そして部下たちがやってきて、アシッドグレインは北の塔で施策を練る。

 北の塔は食事も調度も使用人たちも、すべてルビアナフェル姫の管理下に置かれる。

 アシッドグレインは、結婚を機に、迷宮の産物を管理するという重要な役割を与えられた。若い側近たちと計画を練るのだが、老練な家臣たちからは穴だらけにみえるらしく、厳しく手直しを求められる日々だ。

 ザカ王国では、いろいろな方法でユフを取り込もうと画策した。婚姻政策もその一つである。

 王家は、シャドレスト家との近しさをことさらに強調している。

 たしかにシャドレスト家は、王家から妃を迎え、王家に妃を出している。ただし、当主や次期当主は王家の姫を娶らず、当主の弟や次期当主の弟が娶ったし、次期当主の姉妹は王家に嫁がせていない。ユフは王家から一定の距離を保っているのである。

 最近では、アシッドグレインのもとに王の長姫エルトリアを嫁がせようとする動きがあったが、ルビアナフェル姫が正妃となったことで、その動きもやんだ。

 〈浄化〉が発動して以来、ルビアナフェル姫は、パルクグレイン、アシッドグレインと側近たち、侍女たちに、頻繁に〈浄化〉をかけるようになった。

 神殿長の指導のもと、ルビアナフェル姫の〈浄化〉は最上級の位階に到達した。

 王国暦一一七年は、前年をも上回る豊穣の年となった。

 ユフは上から下まで歓喜に満ち、〈北神の御方〉にして〈癒やしの巫女〉たるルビアナフェルは、その地位を確たるものとしたのである。


「間話3 癒やしの巫女」完/次回8月2日「第50話 ユフ動乱」

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― 新着の感想 ―
[良い点] 書籍だとこの辺の話が適度に出てきて同時進行感があって良いですよね
[気になる点] 9つの村の平均人口が2万人くらいでしょうか。日本を基準に考えても意味がないですが、村と呼ぶには人口が多すぎでは?それとも農業・狩猟が主体だと村になるという考えでしょうか。
[一言] どう考えても、厄介な状況になってますねw
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