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一度は気持ちを高ぶらせたレカンだったが、ヴォーカに帰り着くころには、すっかり落ち着いていた。
(シーラが年老いていることは間違いない)
(国が滅びてからでも三百年はたっているんだから)
(年齢は三百五十ぐらいか、もう少し上かもしれん)
(強くみせかけてはいるが今は若さを失い本当はひどく衰えている)
(それに孤独だ)
(知り合いとは死に別れ)
(人間ではない化け物になって人目をさけながらただ一人で生き永らえているんだ)
(少しぐらいはいたわってやらんとな)
ヴォーカに着いたレカンは、リーコネン地区にあるシーラの隠れ家に向かった。〈生命感知〉にはシーラの姿は映らなかったが、シーラは〈生命感知〉からも〈立体知覚〉からも逃れることができるのだ。
ベランダに降りたって、注意深く〈立体知覚〉を働かせた。
家のなかに人がいる。〈立体知覚〉の精度を上げ、シーラにちがいないと確信した。
レカンは椅子に座った。
シーラのことだから、レカンの到着に気づいてくれるはずだ。
しばらく待つと、茶の準備をしたシーラがベランダに現れた。
「やあ、お帰り」
「ああ」
「今、茶を淹れるよ」
「ああ、すまんな」
茶葉を入れたポットに湯をそそごうとして、シーラは手元を狂わせた。
こぼれた熱湯は、シーラの左手にかかった。
「あちちっ」
レカンはびっくりした。
シーラがこんな失敗をしたのをみたことはなかったからだ。
(老いて、いるんだな)
今、目にみえるシーラは年老いている。そして〈立体知覚〉に映るシーラも年老いている。この希代の魔女は、滅びに向かっているのだ。
レカンは、少ししんみりした気持ちになった。
「あれあれ。やけどしちまったね。玉の肌に傷がついちまったよ。治しておくとするかね。〈浄化〉」
いつの間に取り出したのか、シーラの右手には細杖があった。その杖の先に真っ青で美しい光の玉が出現し、やけどした左手を癒した。
エダの〈浄化〉とは、やはりちがう。スカラベルの〈浄化〉と比べてさえも、さらに深みのある色をしている。おそらくこれは最上級の〈浄化〉だ。
それからシーラは何事もなかったかのようにお茶を淹れ、レカンに差し出すと、自分も椅子に座った。
レカンはシーラに茶の礼を言い、〈収納〉から〈混沌の魔狼〉の魔石を取り出すと、テーブルに置いた。
「パルシモのジザ・モルフェス導師から、あんたへの贈り物だ」
このときに至ってようやく、レカンは自分が感じていた違和感の正体に気づいた。
「〈浄化〉……だと?」
レカンは右目を大きくみひらいて、シーラをみた。
「今、あんたは〈浄化〉を使った」
「使ったねえ」
「だが、あんたは〈浄化〉を使えないはずだ」
「おや、そうかい?」
「妖魔であるあんたは、〈浄化〉を使えば身を滅ぼしてしまう。だからあんたはこの三百年以上、〈浄化〉を使ったことはないはずだ」
「実は一度試したことはあるんだけどね。ほんの少しだけ。危うく消えてなくなるところだったよ」
「だが、あんたは今、〈浄化〉を使った。たぶんスカラベルの〈浄化〉もしのぐ、最上級の〈浄化〉だ。なぜだ。なぜ妖魔に身を堕としたあんたが、〈浄化〉を使えるんだ!」
「師匠に面と向かって、こんな失礼なことが言えるやつも珍しいね。まあ、そこがあんたのいいところだけどね」
「幻覚、なのか? オレは幻覚をみせられたのか?」
「あんたはもっと自分の感覚を信じたほうがいいよ。じゃあ、これはどうだい?」
シーラが小さく呪文を唱えた。するとレカンの〈生命感知〉にシーラを示す光の点が現れた。相変わらず、とてつもなく強大な光だ。だが、以前とはちがいがあった。
赤色だったのだ。
「赤、だと? そんな、ばかな」
〈生命感知〉には、人間は赤く表示される。鳥獣虫魚は緑に表示される。そして魔獣は青く表示されるのだ。はじめてシーラにまみえたとき、普通の人間ではなく強大な妖魔のたぐいだと知ることができたのは、シーラの存在が放つ光が青かったからだ。
まさかシーラは、レカンの〈生命感知〉にいつわりの色を表示させるわざを編み出したのだろうか。だが、そんなことができるものなのだろうか。
(いや)
(仮にそうだとしても)
(〈浄化〉のことは説明がつかない)
「冷める前に飲んだらどうだい」
「あ、ああ」
レカンは茶をすすった。口にあふれるうまみとうるおいが、不思議なほど心を落ち着かせてくれた。
「いったい何がどうなっているのか、教えてもらえるんだろうな」
「もちろんさ。恩人であるあんたには、ぜひ聞いてもらわなくちゃならない」
「恩人だと?」
「そうさ」
シーラは一口茶を飲んで、ふう、と息をはいた。
「さて、と。最初から話すよ」
「ああ」