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王国暦百十八年九の月の五日、レカンとエダはマシャジャインに着いた。
パルシモからほぼ一か月かけて移動したことになる。
いつものレカンの移動速度から考えればずいぶん時間がかかったようだが、これは道中を楽しんだためだ。
そもそもパルシモと王都は迷宮街道で結ばれており、交通の便は悪くはないが、パルシモの手前には山もあり、乗合馬車を乗り継げば三十日ほどかかる。レカンとエダは徒歩であり、しかも街道以外の山野にも分け入って移動して、野宿や狩りを楽しんだし、街道を通るときにはとりとめもない会話をしながら歩いたのだから、むしろこの日数で着いたのは早いといってもよい。
道中、レカンはエダに〈幸せの虹石〉を返そうとした。だがエダはレカンに、こう言った。
「それはあなたが持ってて。あなたが幸運に恵まれることが、あたいの幸せだから」
マシャジャインについたレカンは、いつものようにワズロフ家に立ち寄った。そして、白炎狼の毛皮をマンフリー・ワズロフに渡して、革鎧を仕立ててほしいと頼んだ。
二日後にマンフリーはレカンに告げた。
「レカン。申し訳ないが、この毛皮を鎧に仕立てるのは、わが家では無理であるようだ。そもそもこれは何の毛皮なのだ? いや、狼のような獣の毛皮だということは、みればわかる。だがどんな狼なのかわが家の鑑定人にも鑑定ができなかった。それに、革鎧職人が刃物が通らないと言っておった。こんな不思議な毛皮はみたこともないそうだ」
かつてヘレスが着ていた鎧の素材はディラン銀鋼と大炎竜だった。ディラン銀鋼というのが何なのかいまだにわからないが、大炎竜が小火竜より格上なのはわかる。上級侯爵家ともなれば、それほどの素材がそろうのだ。その上級侯爵家であるワズロフ家でも、白炎狼の毛皮の鑑定はできなかったという。
「鑑定できなかっただと?」
「うむ。わが家にも熟練の鑑定士がいたが、二年前に死んでしまった。跡継ぎはまだ若くてな。マシャジャインの町にはもっとすぐれた鑑定士もいるが、そこに頼むとこの毛皮の情報が外に漏れる恐れがある」
「ああ、なるほど。秘密にするために、外に鑑定に出さなかったのか。それはありがたい。これは白炎狼の毛皮だ」
「何だと? すまん。もう一度言ってくれんか」
「スル・バン・ジェ、の毛皮だ」
「……そんなものが実在するのか? 実在するとして、神獣を倒すことができるものなのか?」
「パルシモ迷宮が〈狼の迷宮〉とも呼ばれるのは、白炎狼が町の守り神だからだが、たぶん昔、白炎狼が出現したことがあるんだろうな。だから今回出たからといって不思議ではない」
「君の発想がよくわからん」
「今回のパーティーは最強といっていい組み合わせだった。だから何とか白炎狼と戦えた。だが正直言って、勝った気はせんな。いい一撃を入れたと思った瞬間、白炎狼が消えて、この毛皮が残ったんだ。敢闘賞のようなものじゃないかと思ってる」
「……白炎狼というのは、脱皮するのか?」
マシャジャイン侯爵であるワズロフ家でもだめだとなると、どの町の革鎧職人に頼んでも、この毛皮を鎧に仕立てることはできないだろう。
(シーラに頼むしかないな)
「よし、エダ。明日ヴォーカに出発する」
「レカン。わたしはしばらく別行動をさせてほしいの」
「うん? どこに行く」
「王都に」
「ああ、ヘレスのところか」
「ええ。修業がまだ足りないと言われているので」
「ほう? まあ、行きたいのなら行けばいい。またうまい料理の作り方を習っておいてくれ」
「はい」
「はは。素晴らしい笑顔だな。遠慮なく言わせていただくが、エダ殿もすっかり淑女になられた」
「ここだけだ。オレと旅してるときには元通りの口調だ」
「その使い分けができるのが淑女なのだ。ところでレカン、結婚式はいつだ?」
「結婚式?」
「おいおい。君はわが従姉妹殿の婚約者ではないか。そしてエダ殿とも婚約者だ。だから結婚式はいつなのかと聞いている」
「なるほど。婚約したんだから結婚するわけか」
「時々君の思考が理解できん」
「結婚というのは神殿でするんだったな。ということはヴォーカのケレス神殿か」
「そこなのだが、よかったら、マシャジャインのユミノス神殿で式を挙げないか。面倒な準備は全部ワズロフ家が手配させてもらう」
「ほう」
結婚となると準備が面倒そうだと思ったところだったので、この申し出には大いに心が動いた。
「それはありがたいが、待てよ、そういえば、ユミノス神殿について調べてみてくれたか?」
「ああ。あの件か。調べたとも。ユミノス神殿に〈浄化〉持ちが誕生したのだ」
「ほう」
「それでエダ殿に会っていろいろ助言を受けたかったようだな。それに、名の売れた〈浄化〉持ちであるエダ殿に足を運んでもらい、関係を取り結ぶことで、その新たな〈浄化〉持ちの少年の存在を目立たなくする意図もあったようだ」
「なるほど。あんたはどうしたらいいと思う?」
「ここは神殿に恩を売っておくのがいいと思う。ユミノス神の加護も受けられる。ただ、取り込まれてしまわないよう、多少の駆け引きが必要だ」
「なら、そうしよう。エダもそれでいいか?」
「はい」
「オレは行かん。エダの安全は守ってくれ」
「むろんだ。わが家の家宰を同道させ、腕利きの騎士を護衛につける。なに、ユミノス神殿も、ワズロフ家に喧嘩を売るようなまねはせんよ。〈薬聖〉殿の庇護もあることだしな」
「スカラベルは元気なのか?」
「大変お元気だと聞いている。君も参加したヴォーカでの対談記録の取りまとめが、間もなく終わるそうだ」
「対談記録?」
「シーラ様との対談の記録でしょうか、侯爵様」
「はは。その通り。わが家も資金提供をさせていただいた。その代わり写本を一つ頂く。ワズロフ家は最初にこの本の下賜を受ける家になるはずだ」
「写本! あのときのお話が本になるのですか?」
「もちろんだ、エダ殿。私はまだ内容を知らないが、驚くべき叡智が詰まった対談であったと、訪問団に参加した神官たちが漏らしているというのは、その筋ではよく知られている」
「ふうん」
「君はこういうことには全然興味がなさそうだな」
「ああ」