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「カルクスマルフォリエンナ」
ジザの呪文が響いた。
長大な杖から七色の炎が吹き出したが、いきなり部屋中を埋め尽くすようなことはなかった。それはジザがそのような魔法の使い方をしなかったからだ。レカンたちパーティーメンバーとの連携を取るため、そういう打ち合わせになっていた。
だが、もしも部屋を魔法の炎で満たそうとしたとしても、この広さでは無理だったろう。
そうだ。この部屋は広かった。今までの部屋よりはるかに広い。これは聞いていた情報とちがう。
「ボルク、戦闘開始! ボルク、誘引開始!」
だが、その広さのおかげで、魔狼がレカンたちのもとに到達するまでいくばくかの時間がかかり、ウイーが二つの命令を発することができた。あとで考えてみれば、それが勝敗と生死を分けた。
レカンが右から、アリオスが左から走り込む。
猛進してくる魔狼に、七色の炎の竜が、うねりながら襲いかかる。
魔狼は、その巨体にもかかわらず、ジザが放った魔法の業火をほとんど避けきった。多少は炎を浴びたが、その程度では突進の勢いは衰えないし、まったくダメージを受けた様子がない。
魔狼と接触する寸前、レカンは左に進行方向を変え、アリオスは右に進行方向を変えた。敵の面前で交差したのである。
そのことによって相手の攻撃から身をかわしつつ、両側から首筋に斬り付けた。アリオスは左右の腕に持った二振りの剣で同時に攻撃している。
だが、だめだ。攻撃が通っていない。
魔狼は、二人に構わずまっすぐ突っ込む。二人は反転して魔狼を追う。
魔狼が突進して行くその先にはボルクがいる。ボルクは先ほどから甲高い金属音を発しているのだが、魔狼はその音に不快を感じ、その音のもとを攻撃せずにはいられないのだ。
魔狼がボルクに飛びかかった。その巨体はボルクの何倍も大きい。
衝突の勢いでボルクの首がちぎれた。
そこにウイーが斬り付けた。
空中にいた魔狼はウイーの剣をかわせない。下腹を剣でえぐられた。ダメージはないはずだが、わずかに魔狼の動きがにぶった。
そこにジザの魔法が襲いかかる。光の刃のような魔法だ。だが、無効だった。
そのとき魔狼の動きが止まった。
ウイーが魔狼の動きをにぶらせたところで、首を失ったボルクが、両腕で魔狼の右後ろ足にしがみついたのだ。
「〈浄化〉!」
エダが〈浄化〉を発動し、青く大きな光の球が、魔狼の頭部を包む。
アリオスが駆けつけて魔狼の尻に斬り付ける。するとその斬撃は魔狼の尻に食い込んだ。
レカンも駆けつけて魔狼に斬り付ける。〈狼鬼斬り〉が魔狼の背中に深々と食い込んだ。
ジザが何かの呪文を唱えると、青い光球で覆われた魔狼の外側を、黒い霧が覆う。視界をふさいだのだろう。
魔狼は激しく身をよじり、ボルクの腕を振り払い、ボルクを吹き飛ばした。
自由を取り戻した魔狼は、入り口近くの壁を駆け上り、囲みを破った。だが、宙を飛んで着地する地点にアリオスが待ち構えていて、右前足の付け根を斬った。これも深々と敵を傷つけた。
魔狼は黒い霧は振り払ったものの、頭部は青い光球に覆われたままだ。
何かが立て続けに激しい勢いで飛んできて、魔狼の体に食い込んだ。
〈魔矢筒〉だ。これは〈魔矢筒〉から発せられる金属の矢だ。ごく短い矢だが、重さがあり、貫通力も破壊力も高い。
雨あられと〈魔矢筒〉の矢が撃ち込まれる。
魔狼の動きは速く、当たらない矢も多いが、これだけの弾幕を張れば、全部をかわすことなどできはしない。それにしても、なぜ物理攻撃が効くようになったのか。
この時点になって、やっとレカンは気がついた。
〈浄化〉だ。
エダが〈浄化〉をかけるまでは、魔法攻撃も剣の攻撃も通らなかった。〈浄化〉をかけてからは、剣の攻撃が通るようになった。
〈浄化〉という魔法を継続的にかけられることによって、魔狼は、ずっと対魔法防御の性質に固定されているのだ。だから常に物理攻撃が有効となる。
突然、ジザの攻撃が終わった。みればジザの頭の上に四本の巨大な〈魔矢筒〉が浮いている。あそこから射撃したのだが、弾切れになったのだろう。
レカンに襲いかかろうとした魔狼をアリオスが牽制する。
レカンの繰り出した刺突が、深々と魔狼の首もとに突き刺さる。
そこにユリウスが滑り込んで左前脚の先を斬り落とす。
ユリウスをひらりとかわしたアリオスが、魔狼の右目に右手の〈虚空斬り〉を突き込む。
それでも暴れる魔狼だったが、レカンが首に突き刺した〈狼鬼斬り〉に力を入れて喉元を断ち切ると動きをとめ、ゆっくりと倒れた。
レカンとアリオスとユリウスが、魔狼の死体の前で荒い息をついていると、ジザが近づいてきた。
「すまなんだのう。わしは〈混沌の魔狼〉がこんな階層で出たことに驚いてしもうて、すぐには対応できなんだ」
「いや。あんたの攻撃は見事だった。すごい〈魔矢筒〉だな」
「魔石ではなく魔力で飛ばすことで速射が可能になった特別製の魔矢筒で、十本ずつ矢が装填できるものを八本組み合わせた逸品じゃ。それが四本。計三百二十本の矢を一気に発射するには、信じられんほど魔力を食うがの」
「だろうな。ところであんた、この巨体が入るほどの〈自在箱〉は持ってないだろうな」
「持っとるよ。そのために開発した特製の〈自在箱〉をのう」
「そうか。ちょっと待ってくれ。エダ、〈浄化〉を頼む」
「うん。〈浄化〉〈浄化〉〈浄化〉〈浄化〉」
エダは、ジザとレカンとアリオスとユリウスに〈浄化〉をかけた。そして振り返った。
倒れたボルクのそばにウイーがひざまずいている。
レカンたちはそちらに歩いた。
「〈浄化〉」
「あっ。ありがとう、エダ殿」
ボルクの頭部はちぎれ飛んで、左右の腕はねじまがっている。そして全身が傷だらけだ。
「これはひどい」
「全身の傷は、ほとんどあんたの魔法にやられたんだけどな」
「おばばさま。ボルクはどうなるのだろう」
「うーん。ここまで壊れると、もうだめかもしれんのう。ちょっと待っとくれ」
ジザは〈七頭の青杖〉をしまい、細杖を出した。
「マザーラ・ウェデパシャとヤックルベンド・トマトの名において、ジザ・モルフェスが命じる。土人形ボルクよ、わが命に従い、疾く仮初めの眠りに戻れ」
だが何も起こらない。ボルクは壊れたまま横たわっている。
「戻せんのう。となると、ボルクちゃんは、ここまでじゃ」
「ここまで、ですか」
「ここに打ち捨てていくしかない。長年わが家に尽くしてくれた、よい人造皺男じゃった。ありがとうな、ボルクちゃん」
レカンの〈収納〉に入れればボルクの残骸を持って帰ることができる。それを提案しようかと一瞬考えたが、やめた。パルシモ迷宮こそ、ボルクの墓所にふさわしい。たぶんジザもそう考えたのだ。
レカンは魔狼のもとに戻った。消えてしまう前に、この貴重な素材を回収しなくてはならない。
〈狼鬼斬り〉を収納し、聖硬銀の剣を取り出すと、腹と胸を大きく斬り裂き、魔石と内臓を、周りの肉ごと取り出した。死体は消えない。うまくいったようだ。次に内臓から魔石を取り出した。とてつもなく強い魔力を持つ、大きな魔石だ。内臓は灰になって消えた。
「おばば。魔狼の死体を回収するといい」
「ああ。預からせてもらうよ」
ジザは死体の本体を回収し、別の〈自在箱〉を出して魔石を回収した。
「それにしても、エダさんの機転には驚かされました」
「オレも驚いた。魔獣に〈浄化〉をかけるなどと、何を馬鹿なことをと思ったが」
「あれには、わしもたまげたのう。まさか〈浄化〉で、魔狼を対魔法状態にするとは」
「えへへ。ジザ導師様が言ってたじゃないですか。あたいの〈浄化〉は万能だって」
「そこからじゃったのか。攻撃魔法であろうが何であろうが、とにかく魔狼は魔法を受けるとそれをはじく性質に変化するのじゃなあ。そんなことは考えてもみなんだが。そして、〈回復〉と〈浄化〉は、一度相手にかけると、相手がどう動いてもくっついたままじゃ」
そして〈回復〉も〈浄化〉も、魔獣を癒さない。むしろある種の魔獣にはダメージを与える。特に妖魔系の魔獣にはきわめて大きなダメージを与える。
「〈混沌の魔狼〉の倒し方がみつかったな」
「いやいや。そうはいかんじゃろう、レカンちゃん。こんな深い階層に来られる〈回復〉持ちがおるわけがない。それに、エダちゃんのように離れた場所に〈回復〉や〈浄化〉を撃ち込める魔法使いはみたことがない。加えて、あの発動速度と狙いの正確さ。まるで攻撃魔法として技術を磨いたかのようじゃ」
「えへへへへ」
「それにしても、百五十階層で〈混沌の魔狼〉が出るとはのう」
「迷宮というのは予想外のことが起きるもんだ。だから面白いんだ」
「なるほどのう。そういうものか」
「そういうものだ。ところでおばば。あんたのことだから、〈混沌の魔狼〉と戦う方法は考えてあったんじゃないか」
「もちろん用意してあった。特製の〈魔矢筒〉のほかは使う暇もなかったがの」