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七日目の朝食がすみ、だらりとした憩いのひとときである。
「レカン殿。真っ白な魔狼が出たときも、真っ黒な魔狼が出たときも、ずいぶん熱心に攻撃の効果を確かめていましたね。あれは深層の準備ですか」
「深層というより最終戦の準備だな。あ、アリオスにはまだ説明していなかったかな、この迷宮の主のことを」
「迷宮の主というと、百五十一階層の魔獣のことですね」
「そうだ。〈混沌の魔狼〉と呼ばれている」
「〈混沌の魔狼〉」
「こいつはな、魔法で攻撃したときには魔法攻撃無効の性質を現し、剣や槍で攻撃したときには物理攻撃無効の性質を現すんだそうだ」
「それは厄介ですね。でも、魔法と剣で同時に攻撃すればよいのでは」
「それが、そう簡単なものじゃないらしい。ほんのわずかタイミングがずれても同時にならない。相手は瞬時に特性を変えて対応する。そもそもここから五十階層も下に出る魔狼だぞ。大きさも強靱さも、そして動きの速さも攻撃の鋭さも、ここまでの敵とは比較にならない。そんな相手に、完全に同時に攻撃を当てるのは、非常にむずかしい」
「狙うから難しいのでしょう。投げ槍や弓などの遠距離物理攻撃を一斉に行い、同時に大人数の魔法使いによる魔法攻撃を雨あられと降らせれば、同時に着弾する攻撃もあるのではないですか」
「アリオス殿。実際に、そんな大人数が〈混沌の魔狼〉を取り囲むような状況にはもっていけるものではないのじゃ。人数が多いほどつけ込まれる隙も多いしの。じゃが、発想としてはそれに近いものが正解とされておる」
「どういう攻略方法なのですか」
「持続的な魔法攻撃を与えつつ、剣や槍で攻撃するのじゃよ。そして今は〈魔矢筒〉も開発されておる」
「〈魔矢筒〉ですか?」
ジザはアリオスに〈魔矢筒〉の説明をした。
「そして〈混沌の魔狼〉は、魔法攻撃もしてくるし、爪や牙での攻撃もしてくるが、どちらかといえば爪や牙の攻撃が多いようなのじゃ」
「どの程度の頻度で遭遇するんですか、その最下層の魔獣には」
「六十二年前に戦った者たちがおる。それ以来じゃな」
「えっ?」
「ただし、この六十二年間に、百五十階層にゆく切符を手にしたパーティーは三つあった。百五十階層を踏破すれば必ず百五十一階層に進める。それらのパーティーは、いずれも外部の冒険者じゃった。とてもそんな深い階層に挑戦する力はなかったが、彼らは大きな利益を得た。権利を魔法研究所の理事会に売ったんじゃ」
「権利を売ったのですか? どうやって」
「百五十階層への転移が表示された者を、たった一人でも含んでおれば、そのパーティーは百五十階層に跳べる。表示は四、五日はもつからの。案内だけしてそこから地上に戻ったわけじゃな」
「ああ、なるほど」
「ただし魔法研究所にも、最下層に挑戦できるような者が、いつもそう何人もおるわけではない。そのつど一パーティーか二パーティーを派遣するのがせいぜいじゃった。わしは三回とも参加させてもろうたが、あるときにはメンバーが百五十階層を踏破できず、あるときには踏破したもののそれ以上戦えず、結局百五十一階層に足を踏み入れたことはないのじゃ」
「ということは、百五十階層を踏破した時点で地上に帰っても、もう百五十一階層には戻れないのですね」
「そうじゃ。百五十階層と百五十一階層は一つにつながっておるのじゃ」
「ちがう階層の表示を持った人がパーティーを組んだらどうなるのですか」
「どちらにも跳べん」
「今、何パーティーが百一階層以下を探索しているのですか」
「今は三つのパーティーが年に数回深層に挑んでおる。ウイーもその一人じゃ」
「それなのに長年のあいだ、誰も最下層にたどり着けていないんですか」
「百一階層から百四十九階層までは、ほぼ均等な確率で跳ぶ。しかし、百五十階層に跳ぶ確率だけが、異常に低いのじゃ」
「百五十階層に跳ぶ確率だけが異常に低い、ですか。ふむ」
「アリオス殿」
考え込んでいるアリオスに、ウイーが話しかけた。そのまなざしは驚くほど柔らかい。
「はい?」
「アリオス殿の剣筋は、とても奇麗ですね。そして、今まで私が教わったどの師範より老練です。思考も行動も沈着です。アリオス殿がユリウスの父上なのだということを、今では信じられます。みかけはお若いですけど」
「私は今、四十歳です」
「えっ。まさか」
「私の一族は長命種なのです。このことはご他言無用に願います」
「は、はい」
レカンはひどく驚いていた。
長命種だということは極秘であるはずだ。なぜこんなにもあっさりと、ウイーに漏らしてしまったのか。問い詰められたわけでもないのに。レカンにはアリオスの考えがわからなかった。
「ウイーさん。あなたの剣筋も美しいですね」
「えっ。な、何をおっしゃることやら。私の剣筋など、ほとんどごらんになっては」
「いえ。拝見しています。ジザ導師様の指示でレカン殿の障壁に斬り付けたときに」
「あ」
そうだ。
レカンもあのとき、ウイーの剣筋は美しいと思ったのだ。この魔法騎士の剣技は、驚くほど磨き込まれている。
「正しくわが流派の神髄を身に宿しておられると思いました」
「ほ、本当ですか?」
「あなたは剣をとっても一流の剣士になれる可能性のある人です」
あまりに予想外の言葉だったのだろう。ウイーは返事をすることもできなかった。
「さて、そろそろ行こうか」
レカンのひと言で、その場の空気が変わった。
これから深層に跳ぶ。足を踏み入れたその階層は、百一階層かもしれず、百四十九階層かもしれないのだ。最下層近くの階層となれば、魔獣の手ごわさはここまでとは隔絶しているはずだ。それだけの覚悟をしなければならない。
「オレたちが目指すのは、百五十階層だ。そこにたどり着くまで何日かかるかわからん。だが、たとえ百日かかろうとも、オレたちは必ず百五十階層にたどり着く。覚悟を決めろ」
全員の目に強い決意の光が宿る。今が本当のはじまりなのだ。心なしか、ボルクの目の緑色の宝玉も光を宿しているようだ。
「さ。手をつなげ。心の準備はいいか。〈階層〉」
レカンの頭のなかに、パルシモ迷宮の各階層がずらずらと浮かび上がる。
最も上にあるのは一階層で、二階層、三階層と順次続き、下の階層につながっている。意識を下に向けると、ずっと下の階層が表示されてゆく。五十、六十、七十、八十、九十、そして百。
百階層の下に表示された階層数をみて、レカンは言葉を失った。
百五十階層。
「ま、まさか」
ジザのうめき声が聞こえる。
人生のすべてを賭けてたどり着きたいと願ってきた場所への扉が、ついに開かれたのだ。