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エダとユリウスが穴に飛び込んだ。
アリオスも穴に入った。アリオスの腰には〈虚空斬り〉が吊ってある。〈魔空斬り〉は、〈自在箱〉のなかだ。ここまでアリオスは、二度〈魔空斬り〉を試して充分使えることを確認したうえで、〈虚空斬り〉ばかりを使っている。八十階層までなら完全に真っ黒な魔狼は出ない。であれば、使い慣れた〈虚空斬り〉のほうが戦いは安定する。ここまでの戦いでアリオスは魔狼との戦いの呼吸をつかんだようで、穴に入る姿には何の不安も感じない。
ジザも穴に入った。入る直前〈自在箱〉から短い杖を取り出した。小柄な老婆なのだが、その歩く姿には頼もしさを感じる。
そしてレカンも穴に突入した。
穴の奥のほうに黒いもやのようなものが三つ生じる。その間にもレカンは疾走している。
三つのもやが、二頭の白い魔狼と一頭の黒い魔狼となって動き始めたときには、すでにレカンは十歩の距離まで近づいている。
黒い魔狼が白い息を吐いた。冷気のブレスだ。この階層の魔狼となると、その攻撃はまるで滝のように太く長い。そして激しい勢いを持っている。
レカンは素早く左に動いて冷気のブレスをかわし、黒い魔狼の首を飛ばす。冷気のブレスを吐きながら、魔狼の首が宙を舞う。
炎のブレスが二本、レカンを直撃して、〈インテュアドロの首飾り〉の結界に阻まれた。白い二頭の魔狼が攻撃態勢に入ったのは気づいていたが、黒い魔狼を倒すことを優先したのだ。
二頭並んでいる魔狼の右側の個体の右側に走り込みながら、レカンは、右側の魔狼の首筋に斬り付ける。口を開けレカンにかみつこうとしていた右側の魔狼の動きが一瞬止まる。
レカンはすかさず右側の魔狼の首に斬撃を加える。致命の一撃だ。崩れてゆく魔狼を飛び越すように、左側の魔狼がレカンに襲いかかる。
(〈刺突〉!)
心のなかでスキル名を唱えながら、レカンはまっすぐ剣先を突き込んだ。
剣が魔狼の口に飛び込んだが、巨大な魔狼の突進は止まらない。突進の勢いのまま深々と頭部に突き刺さってゆく。
剣をにぎった手に魔狼の牙が触れる寸前、レカンは力強く左に体をひねった。
なおも魔狼の突進はやまず、剣は魔狼の顔の右側を斬り裂いてゆく。
レカンの右側を通り過ぎて魔狼は数歩走り、ばたりと地に伏した。
レカンは三頭の魔狼の死体にすばやく切り込みを入れる。
「〈移動〉! 〈移動〉! 〈移動〉!」
そして〈移動〉の魔法で三つの魔石を左手に引き寄せて〈収納〉に入れ、〈狼鬼斬り〉に豪快な血振りをくれた。剣にこびりついた魔狼の血と油が奇麗にぬぐい去られ、美しい剣身が薄暗い洞窟のなかで輝きを放つ。
レカンは剣を鞘に納めると、砂のように崩れて消えようとしている三頭の死骸に一礼をして踵を返し、出口に走った。
レカンが出口に出るのとほとんど同時に、エダとユリウスが穴から走り出た。
「お。早いな」
「えへへ。白い魔狼が一頭だけだったんだよ。あたいが〈イェルビッツの弓〉で顔面に目くらましを放って、ユリウス君が首を斬り裂いて、で、二人で走って穴を出たんだ。今度こそレカンに勝てると思ったんだけどなあ」
たぶんユリウスが使ったのは、低い姿勢で走り込んで、左下から右上に斬り上げるわざだ。あのわざをユリウスはすっかり体得して磨きをかけている。アリオスがあのわざをみて何と言うか楽しみだ。
「ユリウス。わざは磨けているか」
「はいっ、師匠。練り込んでいます」
「もっと磨け」
「はいっ」
アリオスも穴から出てきた。
「アリオス。何頭だった?」
「白二頭、黒二頭です」
「ほう。それにしては早い」
「レカン殿ほどではありません」
「ねえ、レカン」
「うん?」
「シーラばあちゃんのこと、ジザ導師様には内緒なんだよね?」
「ほう。その通りだ」
エダがそれに気づいているとは意外だった。
「レカンの話しぶりから、そうじゃないかと思ったんだ。それにシーラばあちゃんも言ってたし」
「何をだ?」
「ほら、ユリーカにはじめて会ったとき、あたいがばあちゃんに、もうずっとここにいるのかって聞いたら、ばあちゃん、自分は消えたことになってるって言ってたでしょう」
「そういえばそうだったな」
「シーラばあちゃん、有名になりすぎちゃったものね。たくさんの人に追いかけ回されるの、ばあちゃん嫌いそうだし、それに」
「それに?」
「あんまり人に知られたくない秘密もあるみたいだし」
いつの間に、エダはこれほどの洞察ができるようになったのだろう。
人は成長するものなのだ。会ったばかりのころ、エダは十四歳の少女に過ぎず、善意と元気が空回りしてレカンやシーラに迷惑をかけた。
だが、その年齢は、人が最も成長する年齢でもある。この二年と七か月で、エダは大きく成長したのだ。もちろん、魔法を覚え、戦闘を覚え、〈浄化〉に目覚めた、その成長ぶりには感心していたが、内面の成長については今まで気づかなかった。
観察し、分析し、思考し、想像をめぐらせ、今すべきことは何で、すべきでないことは何かを自分なりに知る力。それをエダは身につけてきていたのだ。
たぶん、レカンとシーラに出会わなければ、こうはならなかっただろう。人にだまされ、利用され、傷つき、疑うことや人を出し抜くことばかりを覚えたにちがいない。
そう考えてみると、レカンと出会ったことは、エダにとってよいことだったのだ。そして、何がどうと今はうまく言えないが、レカンにとってもエダと出会ったことはよいことだった。そう感じる。
思わずエダの頭をなでようとして、やめた。それはあまりにこども扱いした振る舞いだ。代わりにレカンは、優しい微笑みをエダに与えた。
もしもこのとき、ザイドモール家の人々がこの場にいてレカンをみたら、本当に同じ人物なのかと目を疑ったろう。この世界に来たときの狷介な凶相は消え果て、やさしく精悍な相貌となっていたからであり、その微笑みは本当に柔らかだったからだ。
ジザが穴から出てきた。
やや遅れてウイーも出てきた。少し負傷している。
レカンに目で促され、エダはウイーに〈浄化〉をかけた。
そしてパーティーは六十二階層に進んだ。




