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一日目の夕食である。
たき火を囲んで一同は、肉串とエダの作った温かいスープを満喫している。
「三十五階層だと。こんな話は聞いたこともない。アリオス殿。生まれてはじめてこの迷宮に入って、一日で三十五階層を踏破されるとは、あなたはいったいどういうかたなのだ」
アリオスは肉串を口から離し、ウイーの問いに、にこりと笑みを返した。
ウイーは頬をそめ、言葉につまってそれ以上の質問ができない。
「いや、ウイーさん。アリオス君は、この迷宮ははじめてだけど、ニーナエも踏破したし、ツボルトも最下層までたどり着いた人ですよ。剣士が本業かもしれないけど、一流の冒険者で迷宮探索者なんです」
「ツボルト迷宮の最下層に。それは、すさまじい。うん? 待てよ。確かレカン殿がツボルトを踏破したときには、ユリウスの父上と一緒だったと聞いたような気がするが」
「いや、だから、アリオス君がユリウス君のお父さんなんですってば。朝からずっと父上って呼んでるでしょ」
「それを聞いて奇異に思っていた。アリオス殿はユリウスとはあまり年が違わない。どうしてアリオス殿を父上と呼ぶのか不思議に感じていたのだ。何か複雑な事情があるのだろうなと」
「アリオス君は、こうみえてレカンより年上ですよ」
「まさか」
「いやいや、ほんとなんですってば」
「ウイーさん。私は若くみえますが、実はかなり年配なんです」
「アリオス殿までが、そのような」
「とにかく、私はユリウスの実の父です」
「確かにお顔は似ているが。しかし、いや。待てよ。そうだ。レカンは私に、ユリウスの父君は亡くなったと言った」
「そんなことは言ってない」
「言った。ツボルトを踏破したときは、途中まで現地の冒険者三人と一緒だったが、最後はユリウスの父君と二人だけになったと言った。そしてその前のニーナエ迷宮では、さらに剣士と〈回復〉持ちが一緒だったと。あなたと一緒に迷宮を探索する者たちは、死に続けるのだ」
「人を死神みたいに言うな。あんたの真正面にいるのは誰だ」
「エダ殿だ」
「そうだ。〈回復〉持ちだ。ニーナエで一緒だった〈回復〉持ちというのは、エダのことだ」
「…………え?」
「現地の冒険者三人も、少なくともオレが最後にみたときは元気だった。途中で同行をやめたのは、あいつらにとっては深層の難易度が高すぎたからだ。ニーナエで一緒だったもう一人の剣士は実は騎士なんだが、ニーナエ迷宮の主の頭部と足を持って王都に帰った。ついこの前、このエダがその騎士の家で世話になったばかりだ」
ウイーは凍り付いたように動かない。
しばらくのあいだ、沈黙がその場を支配した。
「ひょっ、ひょっ、ひょっ。ひょっ、ひょっ、ひょっ。これ、ウイーや、ウイーや」
「は、はい」
「あんたがレカンちゃんの言葉を勘違いして聞いておったことには、気づいておったんじゃ。じゃが、教えなんだ。許しとくれよ。わしが教えなんだために、あんたは今の今までレカンちゃんを誤解しておった。仲間を使い捨てにして迷宮で利をむさぼり名を上げた強欲で身勝手な冒険者じゃとな」
「…………」
「あんたは、素直で優しい心根と、やたら一本気で思い込みの強い気性を持っておる。それはあんたのかけがえのない特質じゃ。じゃがな、勘違いで人を責めてはいかん。それはあんたの生き道を狭くするだけじゃよ」
「責めたりしては」
「しとったよ。心のなかでの。ユリウス坊やの才能に目をつけ、父の遺志を継げと言いくるめて利用している、ろくでなしの冒険者と思っておったはずじゃ。マシャジャイン侯爵家の縁者であることを笠に着て、大きな顔をしてパルシモ迷宮を踏み荒らす、鼻持ちならん無法者じゃと思っておったはずじゃ」
「それは」
「そう思っておることは、あんたの体中からあふれ出ておったよ。自分がどんな目つきでレカンちゃんをみておったか、思い出してみるがよい」
「……はい」
「自分の思いつきで、自分の考えや言葉を縛らないように心がけることじゃの。世界を狭くするんじゃない。世界はあんたの心のなかにある。今のあんたじゃ、この町の外じゃ通用せんぞ」
「外の世界など。私はこの魔法都市で、魔法騎士として生き、老いてゆくだけです」
「ほらほら。それじゃよ。それが世界を狭くしとるんじゃ。今回わしに協力してくれたのも、今の自分を変えたかったからじゃろ」
「え」
「自分の殻を破って新しい場所に出たかった。じゃから、あとにどんな厳しい処罰が待っているかなど気にもとめず、パルシモの最下層を目指したんじゃ。そうではないかの」
「……はい。そうです」
「一緒に踏破しようのう、このパルシモ大迷宮を」
「はい」
「最下層を越えたとき、その向こうには新しい世界が待っとる。きっと待っておる」
「はい」
「うんうん。今はただ、迷宮を進むことだけを考えるのじゃ。そのことだけに打ち込むのじゃ。それでよい」
「はい。はい」
ウイーはうつむいたままうなずいている。ぽたり、と涙がしたたり落ちたが、レカンも皆も、それはみなかったことにした。
やがてウイーは顔を上げて言った。
「よしっ。レカン。食事を済ませたら、次に進むぞ!」
いつのまにか名前が呼び捨てになってしまっている。それだけ距離が近づいたのかもしれない。
「食事を済ませたら寝る」
「なにっ? まだ時間は早いぞ」
「ああ。だが、今日は進みすぎた。だから、ゆっくり休むんだ」
「まだ行ける」
「オレも感覚的にはそう思う」
「そうだろう」
「そして迷宮探索者としてオレが積んできた経験は、その感覚が危ないと教えてくれる」
「なに?」
「とにかく食事が終わったら、体を充分にくつろがせて、たっぷり寝るんだ。エダ」
「はい?」
「全員に〈浄化〉を頼む」
「わかった!」
一同は〈浄化〉の心地よさに酔いしれ、食後の歓談を楽しんだ。
いざ寝るときになると、ジザとウイーはふかふかの毛布を取り出した。
「迷宮で寝るのははじめてだ」
「ウイーさん。この迷宮では、泊まりがけでの探索はしないのですか?」
「アリオス殿。ほかではどうか知らないが、この町の探索者はその日の探索が終われば家に帰ります。昼食を取るためにいったん迷宮を出ることもめずらしくないのです」