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ヴィスカーの顔は、焼けただれぐちゃぐちゃにつぶれていて、湯気を噴き出すような妙な声が喉からこぼれているが、悲鳴さえ上げられない。曲刀をつかんだままの右手は斬り飛ばされていて、切断部分から大量の血が流れ出ている。
たとえエダの〈浄化〉をもってしても、切れた右手はつながらない。
レカンは〈彗星斬り〉をしまって、〈神薬〉を取り出した。そしてヴィスカーの顔の上でつぶした。白く光り輝く液体が焼けただれた顔の上に落ちてしみ込み、そして奇跡の効果を現した。顔はみるみるもとの姿を取り戻したのである。
残り三分の二ほどの〈神薬〉を、右手にかけた。すると切断部分が泡立ちぐにぐにとうごめき、失われた右手が再生された。
(これが〈神薬〉の働きか)
(すごいものだな)
レカンは右手に残った〈神薬〉のポーションの残骸をじっとみた。わずかに液体が残っている。一瞬迷ったあと、その残骸をぽいとヴィスカーの腹の上に投げ落とした。
一つわかったことがある。
ツボルト迷宮の主を倒して得た金色ポーションによって得られた技能は〈自己治癒〉だったのだ。どの程度の頻度で使えるのかは検証しなくてはわからないが、とにかくいざというときには、魔力も消費せず呪文もいらず、ただ念じるだけで傷ついた箇所を修復することができる。めったに出番はないだろうが、いざというときには命の綱となる技能だ。
(うん?)
(首の傷が完全には消えていないな)
消えていないどころか、かなり深い傷が残っている。
首に意識を集中して、治れ、と念じた。
何かの作用が働きかけたが、働きを現す前に霧散した。
(この能力は完全に傷を癒すのではなく)
(死なない程度の最低限の治癒しかできないのかもしれんな)
(そしておそらく一度使うとしばらくは使えない)
中赤ポーションを取り出して飲むと、首の傷は消えた。
頬骨を削った短槍の傷も消えた。
みえない左目は相変わらずみえない。
しんと静まりかえった客席から、女の声がした。
「レカン殿。よかった。よかった」
ヘレスが泣いている。その泣いているヘレスを、羅刹のような顔でみているのは、たしかギド侯爵家のソルスギア・インドールとかいう男だ。
そういえば、先ほど聞こえた悲鳴のような声の主はヘレスだったのだ。あのときには喉を斬り裂かれたのだから、レカンが死んだと思っても不思議はない。その衝撃がヘレスにレカンの名を呼ばせたのだ。
ソルスギアが立ち上がった。
「冒険者レカン。決闘を申し込む!」
客席がざわめいた。判定役のハイデントがソルスギアに言った。
「ソルスギア殿。貴殿はこのあとヘレス姫と求婚決闘を行うのではないのか」
ソルスギアは恐ろしい目でレカンをにらみつけたまま、低い声でハイデントに返事をした。
「わが愛しの姫の心は、そのけしからん冒険者に奪われているようだ。まずその男を殺して私のほうが優れていることを証明しなければならん」
「そんな決闘は予定されていない」
「ここには立派な練武場があり、判定役がおられ、見届け人もおられる。侯爵家の決闘にふさわしい。ギルエント・ノーツ卿」
ここでソルスギアはギルエントに向き直って頭を下げた。
「どうかこの決闘をお許しいただきたい」
落ち着き払った声でギルエントはレカンに聞いた。
「レカン。君はどうしたいのだ」
「そうだな。ちょっと待ってくれ」
レカンはノーマがいる席の近くに歩み寄ると、ノーマに聞いた。
「あんなこと言ってるが、どうする?」
「レカン、ありがとう。あなたの勝利に私は感謝の言葉もない」
「ああ、まあ勝ててよかった。心配かけたな」
「心の臓が止まるかと思ったよ」
「びっくりしたよ、レカン。でも、あんたが勝つって信じてた」
エダの笑顔に心がなごんだ。
「ところで、決闘の申し込みだが、侯爵家四家と宰相府の使者がいる前で申し込んできた決闘だからね。断ると相手の顔をつぶすだろう」
「なるほど、なら、適当にたたきのめしてくる」
「それにしても、レカン。あなたは〈神薬〉を持っていたんだね」
「あれは今回ここに来るときにマンフリーにもらったんだ」
「マンフリー様に」
「ああ。あれはもののわかった男だな」
それだけ言うと、レカンは振り向いてギルエントに歩み寄った。
「決闘を受けさせてもらう」
「わかった。ハイデント」
「はい。ソルスギア・インドール殿。レカン殿の同意により、貴殿とレカン殿の決闘を行うことになった」
「あ、ちょっと待て」
「どうかしたのか、レカン殿」
「戦利品がまだだ」
レカンはヴィスカーのほうに顎をしゃくった。
ヴィスカーは起き上がってはいるが、事態がのみこめないのか、きょとんとしている。
レカンはまず、〈ラスクの剣〉を拾って、〈収納〉に入れた。そして〈爆裂剣〉を拾って〈収納〉に入れた。今回のツボルト探索で手に入れたばかりの品だ。
そしてヴィスカーに歩み寄り、身に着けているものを〈立体知覚〉で走査した。
鎧も兜も曲刀もよい品だ。首飾りも何かの恩寵品だ。だがレカンが欲しいのは、あの奇妙な硬直をもたらした恩寵品だ。あれは毒でも魔法でも呪いでもない。だから何かの恩寵品の効果であるはずだ。
(うん?)
(胸の隠しに何かが入ってるな)
(魔力も感じないしどうということもない品だが)
(何も効果がない品を今日の決闘で身に着けるかな)
「〈鑑定〉」
レカンが鑑定の呪文を唱えると、ヴィスカーがぎょっとした顔をした。
(なにっ)
(〈鑑定〉が通らないだと?)
レカンは〈収納〉から細杖を出した。
杖を構え、心を鎮め、丁寧に魔力を練った。
「すべてのまことを映し出すガフラ=ダフラの鏡よ、最果ての叡智よ。わが杖の指し示すところ、わが魔力の貫くところ、霊威の光もて惑わしの霧を打ち払い、存在のことわりを鮮らかに照らし出せ。〈鑑定〉」
〈名前:闇鬼の呪符〉
〈品名:呪符〉
〈出現場所:ワード迷宮百二十階層〉
〈深度:百二十〉
〈恩寵:停滞〉
※停滞:発動の瞬間二十歩以内の距離にいたあらゆる命あるものが、装着者を除き、心の臓が十回打つ時間動きを止める。発動呪文は〈ガスパーリオ・ラーフ〉。この恩寵は一日に一度だけ発動する。




