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翌日、エダは朝のうちに訪ねてきて、三日がかりの仕事が入ったので、今日から三日間来られない、と言った。
この日、採取した薬草と苔と木の実を使った調薬がすべて終わった。
昼下がりの茶を味わいながら、レカンは、ついに決定的な言葉を発した。
いつ言おうかいつ言おうかと、悩み続けた言葉である。
この言葉を発してしまえば、もうシーラとは師弟ではいられないかもしれない。それどころか、殺されるかもしれない。だがレカンは、考えに考えたすえ、この言葉を胸にしまい込んだままではいけないという、心の声に従うことにしたのである。
レカンには、もう一つの選択肢があった。ただちにこの町を去り、シーラのことについて沈黙を貫くという選択肢である。
だがあえてレカンは、この言葉を発することを選んだ。
「シーラ」
「何だい?」
「あんたは、〈浄化〉が使えないと言った」
「そう言ったね」
「だが、〈浄化〉を習得していない、とは言わなかった」
「それで?」
「〈浄化〉を使えないのは、自分自身を滅ぼしてしまうからか?」
シーラは茶を一口すすって目を閉じた。
口のなかで茶の味を味わっているようなそぶりをしばらくみせ、それから口を開いた。
「いつ、気づいたんだい」
「最初にこの町の門をくぐったときだ」
「へえ?」
「オレには、広い範囲にわたって、人間と動物と魔獣と妖魔を探知する能力がある」
「それは気づいてたよ」
「その探知では、普通の人間は薄く赤く表示される。魔力持ちの人間は赤の強い光で表示される。動物は緑で、そして魔獣と妖魔は青く表示される。この町に入ろうとしたとき、大きな迷宮の深い階層のボスかと思うような強く青い光があった。それこそ、竜種に匹敵するような光だ」
「……そうかい。あたしといるとき、あんたが妙に緊張してるのは気づいてたけど、そういうわけだったんだねえ。まさかそういう種類の探知能力が存在しているとは思わなかったよ。やはり異世界は怖いとこさね」
「あんたが、なぜ人間のふりをしているのか、なぜ人間の町に住んでいるのかがわからなかった。だが、吟遊詩人の歌を聴いた。魔女エルシーラの物語だ」
「ああ、あれね」
「あんたはもともと人間だったんだな。そして今も人間として生きようとしている」
「あたしが怪物だとしても、その伝説の魔女エルシーラとあたしが同じ人間だということにはならないだろう?」
「そこはうまく言えないが、ふに落ちたというか、ああそうかとオレのなかで、かけらとかけらがつながった。オレの直感が、あんたがエルシーラだという結論に納得していた」
「直感ねえ」
「不死人という言い方があるようだが、あんたはまさしく不死人と呼ばれる妖魔だ。だが、無差別に人を襲う、生まれついての妖魔とはちがう」
「幽鬼族の妖魔は、もとは人間の場合がある。あたしもそれと変わらないだろうね。ただしあたしには、人間としての意識と記憶が強く残っていた。それだけのちがいさ」
それからシーラは、みずからの物語を、ぽつぽつと語った。
シーラの語る事実は、レカンが聞いた吟遊詩人の歌と、出来事の流れはおおむね同じだった。だが、その中身がまるでちがった。
エルシーラは地方貴族の娘だった。ひょんなことで王都の貴族の目にとまり、治癒魔法の才能と美貌が評価されて王宮に上がることになった。
最初エルシーラは第一王子の側室となる予定だった。だが、偉大なるマハザール王の目にとまり、エルシーラは王の寵姫となった。
エルシーラは暮らしに不満はなかった。マハザール王の身の回りの世話をするのはこの上ない名誉だったし、王は優れた魔法使いや魔道書をかき集めてエルシーラの学習欲を満たしてくれた。エルシーラはあらゆる系統の魔法に才能を発揮し、師匠たちをして百年に一度の才と言わしめた。
あるとき王は、最高峰の魔道研究者たちを集めて命じた。エルシーラの美貌と才能を長く世に残す道をみつけよと。この無理難題に、賢者たちはたった三年で答えを出した。ただしそれには、あり得ないほどの魔力を持つ魔石が必要であり、しかもその魔石は百年以上にわたって死者と共にあったものでなくてはならないという。
そのような魔石のありかを、まさに王は知っていた。すなわち、初代王の墓のなかに収められた古代竜の魔石である。
エルシーラ自身は反対した。賢者たちのくわだてが、生者を生者として永らえさせるものではなく、生者の命を奪って不死者とし、命の変化を奪い去ってしまうことだと理解したからだ。
だが、王の命により、術は実施された。エルシーラは不死者となり、その美貌と能力は永遠のものとなった。王はそのことに深く満足した。
このままであれば、問題は起きなかったのかもしれない。エルシーラは、王が死ねばその棺の横に自らも横たわるつもりだった。神聖なる光の洗礼を受けて。
数年して、王は思った。自分も永遠でありたいと。
そこで、古代竜の魔石にもう一度魔力を吹き込み、自分にも同じ術を行使するよう、賢者たちに求めた。賢者たちは反対した。術そのものは再現可能だけれども、前回は被術者が魔力と若さにあふれたエルシーラだったから成功したのであり、王への施術は成功しないと考えたのである。さらに、エルシーラへの施術前には、エルシーラは自分に〈浄化〉をかけていた。それにより身体は最高の状態に引き上げられていたのである。しかし、エルシーラは不死者となったため、もう〈浄化〉は使えない。エルシーラの代わりの者となると、ずっと階位の低い〈浄化〉しか使えないのである。
それでも王の命により、術は実施された。王は永遠の生命を得たけれども、記憶も知識も持たない、壊れた人形のような存在となった。
エルシーラは宰相に事実を告げ、対応を願った。
宰相は、ただちに第一王子に王位を譲る手続きを開始した。と同時に、エルシーラに命じ、王に〈支配〉の魔法をかけさせた。〈支配〉は、精神系魔法の最上位で、簡単な命令を下しておけば、それをもとに複雑な行動をさせることもでき、施術者が被術者の近くにいなくても差し支えない。偉大な王にそのような術をかけることは、はばかられたが、わずかのあいだだからと説得された。
だが、その矢先に第一王子が死んでしまった。王子とはいえ、曾孫までいる年齢なのであり、その死に不審はない。
ワプド王国では、王は長男相続だ。健康なころのマハザール王も、第一王子が跡を継ぎ、その長男サリーマ王子が跡を継ぐことを願っていた。宰相は、第一王子への譲位はマハザール王の勅令であるからと、死者である第一王子に形式上王位が譲られたことにして、サリーマ王子を次の王にする手続きを開始した。
ところがここで、サリーマ王子が予想もしなかった行動に出た。
三年間の服喪を宣言して、引きこもってしまったのである。
ワプド王国では、親が死ねば跡継ぎたる長男は喪に服す。だがそれは形だけのことであり、身分の高い者であっても、一定期間争いや家臣の処罰を控える程度のことしかしない。だが、サリーマ王子は古式に則って厳格に服喪した。しかも三年間とは王が死んだとき長男が行うべき服喪の期間である。マハザール王が存命である以上、これは不敬にあたるのだが、不問に付された。
宰相を頂点とする有能な実務者たちが、王の親政という形を取りながら政を行った。エルシーラは、三年間のあいだ〈支配〉の術を維持することになった。
やがて喪が明け、サリーマ王子はマハザール王の謁見を乞うた。エルシーラは同席を許されなかった。サリーマ王子は、父である第一王子の側室と定まっていたのに、やすやすとマハザール王を籠絡して寵姫に収まったエルシーラを憎んでいたのである。
謁見の場で悲劇は起こった。
異変を察知して駆け付けたエルシーラがみたものは、血の海に沈む宰相と護衛たちとサリーマ王子の付き人らであり、まさにマハザール王を殺そうとしているサリーマ王子の姿だった。
とっさにエルシーラはサリーマ王子に〈硬直〉をほどこし、王を救った。だが宰相は完全に死んでいて、救いようがなかった。
サリーマ王子は尋問され、真実が明らかになった。サリーマ王子は、マハザール王を憎んでいたのだ。なぜなら老いたマハザール王がいつまでも王位にしがみついているため、当然王になるべき自分の父がついに王位に就けなかったからだ。サリーマ王子は、敬愛する父の復讐に、王の暗殺を決意したのだった。
エルシーラは途方に暮れた。もはや適切な指示をくれる宰相はいない。だが王に何かの勅命を出させなければならない。
エルシーラは勅命を出させた。
サリーマ王子の凶行は不問に付され、準備が調い次第、王位をサリーマ王子に譲るという勅命である。
あとになって気づいたのだが、このときエルシーラは、サリーマ王子に厳しい罰を与えるべきだった。そうすることで、宰相を慕う者たちも、サリーマ王子を許すことができたはずだった。
だが、サリーマ王子は、何の償いもせず許された。ゆえに宰相の指揮下にあった者すべてが、サリーマ王子を憎んだ。宰相の政敵であった者たちや、宰相と衝突を繰り返していた将軍たちさえ、サリーマ王子に悪感情を向けた。
それからは、何もかもがむちゃくちゃになっていった。
そのときの詳しい成り行きを覚えている者は、もはやいない。
気がついたときには、サリーマ王子は軍を率いて王都を攻めていた。
このとき、王孫六人のうち四人までが王宮の守りについた。サリーマ王子にくみしたのは、実弟だけだった。
サリーマ王子は少数勢力であり、簡単に押しつぶすことができた。だが、そうはならなかった。なぜなら、エルシーラがサリーマ王子に味方したからだ。王の発する勅命はことごとく、サリーマ王子とその一統を有利にするようなものであり、内戦はずるずると長引いた。
あとになって思えば、サリーマ王子を捕らえて幽閉し、他の王孫を次期王に立てるべきだったのだ。だが当時のエルシーラにそのような決断はできず、ただ愚直にマハザール王のかつての意志に従った。
国中の至る所で争いが起きた。
平和にみえた王国も、その水面下では至る所に争いの火種がくすぶっていたのだろう。
やがてついにサリーマ王子が王宮を制圧した。
エルシーラはひそかに逃れた。離れた場所から事態をみまもり、適当な場面で王を死なせ、自分も死ぬためだ。自分が先に死ねば、無残な人形と化した王の姿を人々がみる。それだけは絶対にあってはならない。
マハザール王は、サリーマ王子に焼き殺された。
ところがその直後、またもサリーマ王子は予想外の行動に出た。
自殺したのである。
驚きと失望のあまり、エルシーラは死ぬことも忘れて、ただふらふらと人里離れた山中を放浪した。
そして長い時が過ぎた。