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ヴォーカからマシャジャインまでの道中は平穏であり、レカンにとっては退屈だった。七日間もおとなしく馬車に乗っているなどという経験ははじめてだったかもしれない。
エダの〈浄化〉にはますます磨きがかかっていた。細杖をかざして〈浄化〉を発動するようすは流れるようになめらかで美しく、そして安定していた。いつのころからか、日に二度か三度、ノーマとジンガーと自分自身に〈浄化〉をかけるのが習慣になっているらしい。マシャジャインに滞在していたときには、ワズロフ侯爵にも日に一度〈浄化〉をかけていたそうで、その礼にもらった服を今は着ている。
道中、決闘のルールについて聞いた。もちろんノーマは抜かりなく、決闘のルールを確認している。
防具も武器も装具も、何を使ってもよい。魔法を含むあらゆる攻撃が許されるが、毒と呪いだけは使えない。相手を殺したからといって反則負けになったり勝負が無効になったりするわけではないが、殺さない程度に相手にダメージを与え、審判の判定で勝つのが上品なやり方ということになっているらしい。
レカンが決闘する相手は、スマーク海軍騎士団一番隊隊長のヴィスカー・コーエンという男だ。スマークには海軍騎士団と通常の騎士団があり、海軍騎士団のほうが格上だ。海軍騎士団には十人ずつ十五の隊があり、番号の若い隊ほど強い。そして隊のなかで最も強い者が隊長になる。一番隊隊長は、スマーク騎士中最強の男が就くのであり、伝統的に〈切り込み隊長〉と呼ばれ、実際に大きな戦闘のときには真っ先に敵艦に乗り込んで敵を蹂躙するのだという。
馬車は二十二日の午後、マシャジャインに着いた。すると、ワズロフ侯爵マンフリーが、ノーマとレカンとエダを夕食に招待した。
案内された部屋に進んだ三人を、マンフリーは立ち上がって迎えた。
「やあ。着いたばかりのところを申し訳ない。ノーマ、エダ。再び会えてうれしい。そして君がレカンか」
「ああ」
マンフリーとレカンは、しばらくお互いをみつめた。
ノーマは、おや、と思った。
(レカンの雰囲気が変わったような気がする)
レカンはもともと剛胆な人間で、相手がエレクス神殿一級神官であろうが、薬聖スカラベル導師その人であろうが、およそ気後れすることなどない。今もこの国で序列二番目の貴族家当主を前にしながら、平然と対峙している。だが、数か月前に薬聖訪問団を迎えたときのレカンとは、何かがちがう。
(そうか。恐ろしさを感じないんだ)
あのころのレカンには、ノーマのような一般人でさえ感じられるほど、ある種の恐ろしさがあった。特に権威をかさにきたような相手には強い反発を示したが、それはふれれば切れるような鋭さを持っていた。
だが今のレカンはそうではない。それでいて、マンフリーの探るような、あるいは威圧するようなまなざしに動じることもなく、悠然としている。
(エダもこの数か月でずいぶん成長したけれど)
(レカンもそうだったんだなあ)
マンフリーは、少し表情をゆるめてレカンを席にいざなった。
「よくきてくれた。さあ、座ってくれ」
「ああ」
飲み物がつがれ、乾杯し、食事が始まった。
「ノーマ。五日前にフィンディンが来て、王都に向かった。あなたの手紙は読ませてもらった。レカンが王都に入りたくない事情があって、決闘場所を変更してほしいというのだね」
「はい。そうなのです」
「よかったら、その事情とやらを聞かせてもらえないだろうか」
ノーマはレカンをみた。レカンの許しを得ずに話すわけにはいかない。
レカンはノーマが驚くようなことをした。すなわち、自分が落ち人であり、自分が王都に飛び込めば必ずヤックルベンドにみつかり、珍しい魔獣のように扱われかねないと危惧していることを話したのだ。しかもフィンディンがいる前で話したよりもずっと詳しく。
「ふむ。そういうわけだったのか。君の師匠であるシーラという人物は、いったい何者なのだろうな」
「それは詮索しないでもらいたい」
「ほう。ならばそうしよう。とにかく君の師匠とのつながりから、ヤックルベンド・トマト卿は、君が異世界から持ち込んだ、特殊な恩寵がついた剣の残骸を手にし、君に異様な関心を抱いているのだな。そして君は、トマト卿にはみせたくない恩寵品を持っている」
「恩寵品というより、この世界にはない技術で作られた品だ。それに、異世界からオレが持ち込んだ品のなかには、ヤックルベンドの興味を引くようなものもあるだろう。オレは特殊な〈箱〉を持っていて、その中身はオレにしか取り出せない。ヤックルベンドのもとに行けば、すべての品を引き出すまで、やつはオレを解放しないだろう」
「特定の人間にしか取り出せない〈箱〉か。実はわが家にも、それはある。ほかならぬトマト卿から買い求めたものだ。トマト卿なら取り出せるかもしれないがね。しかし君の〈箱〉が異世界の技術でできたものなら、トマト卿はそれを解析し終えるまで君を拘束するだろう。待てよ」
マンフリーは目を細めて黙考した。
「そうか。君自身に何かトマト卿の興味を引かずにはおかないような秘密があるのだな」
レカンの〈収納〉は所有物ではなくレカンの技能なのだから、このマンフリーの指摘はまったく正しい。それだけでなく、もとの世界での技能とこの世界の魔法との関係など、レカンは、ヤックルベンドが目の色を変えるような研究の手がかりであることは間違いない。
「ああ」
「なるほど。よくわかった。君は王都に行ってはいけない。あれは恐ろしい人だ。君の心配は正しい」
「会ったことがあるのか?」
「いいや、ない。トマト卿に直接会った人物を私は知らない。もしかすると宰相府の高官は会ったことがあるかもしれないが、そうだとしてもそのことを口外はすまい。さて。とすると、ノーマ。君はすぐに王都に行くべきだ」
「といいますと」
「今、スマーク侯爵が王都に来ている」
決闘場所の変更は、ペンタロスに申し入れる以外にないと考えていたが、侯爵家当主がこちらに来ているとなれば話は別だ。先に当主の了解を得ておけば、三十日の雪花亭での協議のとき、もめなくてすむ。
「わかりました。明日、ただちに王都に向かいます。レカン、君はここで待っていてくれ」
「わかった」