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フィンディンが去った部屋で、ノーマは〈雪花亭〉の会食のあとのことを思い出していた。
ノーマとヘレスは再び庭のあずまやに行き、しばらく話をしたのだ。お互いの生活ぶりなどを話し合うなかで、求婚決闘のことが話題にのぼった。
「ノーマ。私だってラインザッツ家の娘だ、姉上たちと同じように、しかるべき家に嫁ぐことになるのは覚悟していた。だがその前に騎士になりたいという夢は叶えておきたかったのだ」
「そうなのか」
これはよくわかる話だった。
正直なところ、ノーマ自身、最初は絶対に海賊貴族のもとになど嫁ぐ気はなかった。いや、どんな相手であれ、嫁ぐ気などなかった。
だがマンフリーと再会し、慌ただしく準備を進めるなかで、自分はサースフリーの娘であるという自覚が強まるのを感じた。そんななかで、状況次第では貴族家に嫁ぐこともやむを得ないという気持ちも生じていたのだ。
ましてヘレスは高位貴族の娘として生まれ育ったのだから、そのような自覚がないわけがない。
「だから正直な話、今回の話が縁談になるとして、しばらく待ってくれるのなら、話に応じてもいいという気持ちもあった。父上からは、ラインザッツ家からすれば利点も大きいが欠点も大きい相手なので、私の好きにしていいが、嫁ぎ先としてはギド侯爵家もスマーク侯爵家も悪くはない、とは言われていたのだ」
「それにしては、ずいぶん厳しい拒絶にみえた」
「そうなのだ。自分でも意外だった。だが、あの男に手をにぎられた瞬間、私は全身から拒否感があふれるのを感じたのだ」
どきりとした。それはまるで、ノーマの心の内を言い当てられたようだった。
ヘレスは声をひそめてこう言った。
「内緒の話だが、私の心にはその瞬間、ある殿方の姿が浮かんだのだ」
その言葉はノーマに衝撃を与えた。
(レカンのことだ)
どうしてそんなふうに思うのか、自分でも不思議だった。だがきっと、それはレカンのことだ。なぜかそう思えてならなかった。
(この従姉妹殿と私は)
(ひどく似た魂を持っている)
(同じ男に心が惹きつけられるのは)
(むしろ必然なのかもしれないな)
それからしばらく話をして二人は別れた。
ラインザッツ家の当主にはリリア姫以外に五人の妃がいて、リリア姫の子は長男とヘレスだけだ。結局、〈白雪花の姫〉の血を引く姫は、ヘレスとノーマの二人しかいないのだ。
別れ際にヘレスは、こう言った。
「ノーマ。あなたと会えて、本当によかった。これからあなたを姉と呼ばせていただく。どうか私を妹と呼んでほしい」
「こちらこそ、ヘレスに会えてうれしい。運命が私たちをどこに運ぼうとも、私たちは姉妹だ」
二人は抱き合った。
ノーマは心からヘレスを愛おしく思った。
母を失い、父を失った自分は、天涯孤独なのだと思っていたが、ここに妹がいた。こうして抱きしめていると、まさに腕のなかにいるのは血を分けた妹であると、理屈抜きに実感できる。
二人は別れた。
寂しかった。名残惜しかった。
しかし、その思いよりもなお強く、ノーマの心に湧き上がる思いがあった。
(愛しい妹よ)
(レカンは渡さない)
(決して)
本気でレカンと結婚するとなれば、ワズロフ家の姫という立場は邪魔だ。
ゴンクール家の後継者という立場こそが都合よい。
だから、ノーマをワズロフ家の姫だと宰相府に認めさせようとするマンフリーの動きを、理屈をつけてやめさせた。
また、ゴンクール家に帰ってからは、ノーマをワズロフ家に奪われるのではないかと心配するプラドとカンネルの不安をあおり立て、レカンを代理人に立てて、ノーマ・ゴンクールとして求婚決闘に臨むというやり方を納得させた。
今やレカンは、プラドとカンネルにとって希望の星だ。
だが、問題はレカン自身の心だった。
レカンには策略は通用しない。また、用いる気もない。用いてはならない。
自分のすべてを投げ出して、ただ救いを求めるしかない。
この状況は自然にできたものではなく、ノーマの関与によってこうなった状況だ。
しかしノーマは自分を賭け金に差し出している。そしてノーマの関与があったとはいえ、この状況をもたらしたのは四侯爵家と王家をめぐる歴史的経緯であって、そこにノーマが投げ込まれたのである。
ノーマは、おのれ自身を差し出して、レカンに懇願した。
私のために戦ってほしい。
私を救ってほしい。
その嘘偽りのない懇願しか、レカンには通用しない。
もしも決闘を拒否したら。
もしも婚約に嫌悪感を示したら。
私を救う気などなかったら。
そう思うとノーマは平静ではいられなかった。
だがレカンはちょうど間に合う日に帰ってきてくれた。
一昨日にはワズロフ家の密偵から、レカンが六の月の二十四日にツボルト迷宮を踏破して、すぐにツボルトを離れたという情報が届けられていたので、ここ数日のうちにはヴォーカに帰ってくるとは予想していたのだが、ひどく待ち遠しく思ったものだ。
だがその焦燥は最高の形で報いられた。
決闘と婚約を承諾してくれた。
自分のために戦ってくれるのだ。
自分を救うため、レカンは戦ってくれるのだ。
それを思うとノーマの心は熱く震える。
歓喜のあまり、叫びたくなる。
もちろん、レカンが勝つとはかぎらない。
いくらレカンでも負けることはあるだろう。まして相手は侯爵家の御曹司が本気で挑む決闘なのだ。どれほど希少ですぐれた恩寵品を持ち出してくることかと思えば、決して楽観はできない。
もしもレカンが負ければ自分は海賊侯爵のあととりの妻となる。
だが、レカンが自分のために決闘をしてくれるのだ。そして勝てばレカンと婚約者になれる。いや、すでになっている。その程度の危険をおかすのは当然ではないか。
今この瞬間、自分ほど幸せな女は世界にいないのではないかとさえ思える。
決闘場所を変えさせるぐらいのことは、どうということはない。
磨き上げてきた知性をこのときに使わずしていつ使うのか。
全身全霊を込めて、ノーマは決闘場所の変更を実現させるつもりである。
にこりと笑ったその笑顔は、ヘレスがレカンとの別れ際にみせた笑顔にとてもよく似ていたのだが、それを知る人はいない。