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鏡で自分自身をみるとき、他人をみるときとはちがう不思議な感じがするものだ。
それは当然である。
鏡のなかの自分は、鏡のこちらがわの自分のわずかな動作もただちに写し取ってしまうのだし、内から自分はこうであろうと思う姿と、他人の目でみた自分の姿には、必ずずれがあり、それでいてこれは自分だと納得せざるを得ないものだからだ。
その不思議な感じに似た奇妙な感覚を、ノーマは味わっていた。
(なんてことだ)
(これは私だ)
よくみれば、顔立ちがそれほど似ているというわけではない。
ヘレス姫の肌は光り輝かんばかりに艶を帯び、顔の隅々までが磨き上げられている。まるで大切に調えられた芸術品のようだ。おそらく鎧に隠された全身がそうなのだろう。
手入れが充分とはいえない自分の肌。荒れた髪。ぎょろりとした目、少し角張った顎。そうしたものと比べれば、目の前のヘレス姫は天女にひとしい。ここ数日ワズロフ家の侍女たちにより慌ただしく身繕いさせられてはきたが、やはり本物の高位貴族の姫はちがう。
しかしそれでも、何かが似ている。
目の前の姫と自分とは、鏡に映したようにそっくりだ。身長はほぼひとしいのだが、そんな外見的な相似とは別の、いわくいいがたい類似がある。
たぶん、魂の形が似ている。
肌の手入れや、所作や、身にまとう衣服など、表面的なものを超えた領域で、この姫と自分はうり二つだ。
ずいぶん長いあいだ、二人はみつめあったまま立ち尽くした。
「驚いたな。実の兄や姉たちにも、こんな感覚を持ったことはない。あなたはまちがいなく、私の従姉妹殿だ。いや、姉妹だ」
すうっとヘレス姫はノーマに歩み寄り、ごく自然に抱擁した。
ノーマも手をヘレス姫の背中に回した。
そうすることが自然で当然な振る舞いだと思えたのだ。
鎧をまとうヘレス姫は、そっとノーマを抱きしめた。それは心地よく、安心をくれる抱擁だった。
(驚いたな)
(匂いがしない)
ノーマは匂いに敏感である。それは施療師として薬師として嗅覚を鍛えてきたからであるが、それ以前にノーマは匂いに対する感覚が鋭い。とりわけ、人の体臭に敏感だ。
そのノーマが、ヘレス姫からは体臭を感じない。いや、香水の香りは香っているのだ。だがその奥にあるはずの、本人が放つ体臭が感じられない。
たぶんヘレス姫の体臭は、ノーマ自身でもちがいがわからないほど、ノーマのそれによく似ているのだ。そんなことがあるものなのだろうか。
ふとノーマはレカンを想った。
(レカンは異常に嗅覚が敏感だ)
(もしやあの人はヘレス姫に会ったとき)
(私の体の匂いと似ているなどと感じたのだろうか)
それから二人はベンチに腰を下ろして話し合った。
お互いがどんな家に生まれ、どんな生活をしてきたかを話し合った。
ノーマはフジスルからラインザッツ家とヘレス姫のことについても多少は知識を得ていたから、話の内容自体にはそれほど驚かされなかったが、それを語るヘレス姫の話しぶりに大いに驚かされた。
(なんて表情豊かに楽しそうに話す女性なのだろうか)
もちろん、よくしつけられた貴族女性らしく、エダのように目まぐるしく表情を変えたりはしない。しかし、落ち着いた顔つきのなかに、喜びや悲しみや好奇心がしっかりと表れている。
(この人は本当に生き生きとした人生を送ってきたのだな)
高位貴族の娘と生まれて、こんなにも自分の夢やあこがれを本心から語れるように育ったというのは、どんな奇跡なのだろう。感受性を枯らすことなくこの年齢まで成長できたというのは、いったいどれほどの庇護を受けてのことなのだろう。
おそらくヘレス姫の両親は、おそろしく心が自由な人たちだ。
(お会いしてみたいな、リリア叔母様に)
リリアは亡き父サースフリーの妹であり、同父同母の兄妹だ。若い日のサースフリーのことを知っているにちがいない。そしてこのヘレスのノーマに対する隔意のなさは、リリア姫がノーマに悪い気持ちを持っていないことの表れでもあるように思われる。
ノーマの人生を、ヘレスは大いに興味深く聞いた。
「そうなのか。サースフリー伯父上もノーマも、本当に深く施療と薬学の道を究めたのだなあ。素晴らしいことだ。もちろん薬聖様の一件は聞いている。まさか薬聖様の命を救った施療師ノーマが私の従姉妹殿だったとはなあ」
「はは。あれは私の力ではないよ、ヘレス。エダの〈浄化〉と底なしの魔力量あってのことだ」
「それだ! 実は私はエダ殿とは知り合いなんだ。知り合いどころか、同じパーティーで迷宮探索に挑んだ仲なんだ」
「知っているよ、ヘレス。君が〈ウィラード〉の一員だということは」
「そうか。エダ殿はそんなふうに言ってくれているのか。私が〈ウィラード〉の一員だと」
「そこに来ているよ」
「えっ?」
ノーマが振り向いた方向を、ヘレスはみた。木陰に二人の姿がある。
「エダ? そこにいるのは、エダ殿か?」
二人のうち一人がとことことあずまやに駆け寄った。
「お久しぶり、ヘレスさん」
「エダ!」
ヘレスは電光石火の早業でエダに駆け寄り、抱きしめた。
抱きしめられたエダは、うれしそうに笑っている。
(この従姉妹殿は)
(人の心を温かくする心の温度を持っているな)
大物貴族家同士のやりとりに巻き込まれ、先のみえない状態に置かれた自分にとり、当事者の一人がヘレスだったことはまことに幸運だったと、ノーマはしみじみ思っていた。