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ノーマとフジスルが立ち上がり、あいさつをして辞去しようとするその背中に、宰相は声をかけた。
「ああ、それから、明日の会食は王家の庭園で行われるのだから、宰相府の人間が目立たぬよう控えていることは了解しておいていただきたい。むろんこのことについては、ギド、スマーク両侯爵家にも使いを出してある」
ノーマは立ち止まって振り返り、やわらかく宰相の目をみつめたまま、こう言った。
「フジスル殿」
「は」
「両侯爵家に使いを出し、明日の会食に宰相府の人間を立ち会わせたいと宰相様が申し出られたのですが、これを受諾すべきでしょうか、と尋ねてもらえますか」
「はい。ただちに」
「私はここで待ちます」
「待った」
宰相が右手を持ち上げて、手のひらを大きく開いた。降参のしるしだ。
「その使いは必要ない。私が悪かった。今の言葉は取り消す」
もしやと思ったが、やはり宰相はノーマから言質をとり、部下を同席させるつもりだったのだ。
(油断ならない人だな)
(だが宰相殿の立ち位置がわかった)
(ラインザッツ家の利益よりも王家と国の利益を一番に考えているようだ)
(ワズロフ家を正面から敵に回すつもりもないだろうけれど)
(決して味方ではない)
(まして私ごとき田舎者の娘は)
(どうとでも使ってやろうと思ってる)
(ぐらいに考えていたほうがいいな)
そのことがわかっただけでも、宰相府に足を運んだかいがあったというものである。
帰りの馬車のなかで、フジスルがノーマに頭を下げた。
「お見事でございました。私は失態を演じるところでした」
「うん?」
「王家の庭園の食堂を使うからといって、こちらが特に許しを与えないかぎり、宰相府の人間が入り込むことはできません。しかし、ギド、スマーク両侯爵家に使いを出したとはっきり宰相が言ったので、私はだまされたのです」
「使いは出したと言ったけれど、了解が得られたとは言っていなかったですからね」
「まさかあんな姑息なやり方をしてくるとは。私は宰相をみそこないました」
「それだけ必死なのでしょう。あの宰相殿は、王家のためならどんな手でも使う人のようにおみうけしました。それにしても、ワズロフ家に仕掛けるやり方としては、あからさますぎますね。もしかするとある種の威嚇なのかもしれません。今回のことではこうした手も使うぞという意味のね」
「ノーマ様」
「うん?」
「あなたはたいしたかたです」
ノーマはやわらかくほほえんだ。
エダが目をくりくりさせながら言葉を挟んだ。
「ほんとだよ。あたい、建物も部屋もあんまり立派なんで、もうびっくりだった。ノーマさんは、すごく落ち着いてたから、やっぱり貴族なんだなあって思ってた」
「はは。エダこそすごいよ。びっくりしたと言いながら、少しも萎縮せず自然体だった」
「えへへ」
「ジンガー」
「はい」
「部屋のなかには騎士が一人しかいなかったけど、護衛はそれだけだったのかな」
「いえ。後ろの部屋に二人ほど腕利きがいました」
「そうか。なるほどね。フィンディン」
「はい」
「宰相殿を、どうみた」
「私にはあのかたを測ることができませんでした」
「それは私も同じだよ」
先ほどは、面と向かってのごく短いやり取りだから、何とか宰相に対抗できたが、宰相を全面的に敵に回したら、ノーマにはとても勝ち目はない。相手は無数の手段を持つ権力者で、権謀術数の権化といってよい人物なのだ。
だから、敵だと思わせないようにしなければならない。
つまり、ノーマが王国に不利益や不安定さをもたらす存在だと思われてはならない。できれば利益をもたらす人間だと思わせたい。
それにはどうすればいいか。
ノーマは物思いに沈んだ。
屋敷に帰り着くと、ラインザッツ家の使者が待っていた。
ヘレス・ラインザッツ姫が、明日姫亀の三刻に〈雪花亭〉近くのあずまやで会いたいと言ってきたのだ。
翌四の月の三十二日。
ノーマは二十人近くの供連れに囲まれて、王家の庭園に赴いた。
フジスルは屋敷に残した。今さらノーマの近くにいてもできることは少ない。それよりも不測の事態に備えて屋敷を守ってもらったほうがいいからだ。
あずまやがみえると、供連れの多くは目立たない位置に待機して、ノーマはジンガーとエダだけを連れてあずまやに進んだ。
先方はすでに来ている。
このあずまやは、庭を愛でながら茶を楽しむように作られており、風よけはあるが見晴らしはよい。ただし、さりげなく木の枝に隠されていて、上品なたたずまいをみせている。
(おや?)
(まさか一人きりなのか?)
あずまやのなかには一人しかいないようだ。
なんとその人物は、鎧姿だ。
(嘘だろう?)
(鎧姿で会食に臨むのか?)
(私でさえ今日はドレスを着ているんだぞ)
少し離れた場所で待つようジンガーとエダに身ぶりで合図すると、ノーマは仕切りのなかに足を踏み入れた。
なかにいた人物は、すでに立ち上がり、こちらを向いている。
「はじめまして、ノーマ姫。騎士ヘレス・ラインザッツです」
胸に手を当て、その貴婦人は騎士の礼をした。
「お初にお目にかかります、ヘレス様。ノーマ・ワズロフ・ゴンクールでございます」
最近習ったばかりのたおやかな淑女の礼をノーマはみせた。
ノーマは顔を上げた。
ヘレスも礼を解き、ノーマをみた。
こうして二人の姫は出会ったのである。




