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「登場人物」に系図を加えました。
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諸家系統譜の記述は、当事者の届け出によって行われる。明らかな嘘や間違いがないかぎり、それはそのまま記述されなければならない。届け出た内容を勝手に改変することはできないし、届け出たものを無視することもできないはずなのだ。
「わかっておる。わかっておるのだ、フジスル殿。だが貴殿にもわかるだろう。この届け出を受け入れれば、王家と宰相府とラインザッツ家がローレシア姫の生存について嘘をついていたことを認めることになる。王家系統譜にも修正を加えねばならん。いろいろと準備が必要なのだ。少しばかり時間をもらわねばならん」
沈黙の時間が生じた。
フジスルは固い視線で宰相をじっとみている。
ノーマはすっと立ち上がった。
「フジスル殿。どうやら私は宰相閣下にローレシア姫の孫とは認めてもらえていないようです。となると、この席に私が座るわけにはいきません。あなたが座るべきです」
フジスルは、名家ワズロフ侯爵家の家宰だ。
執事というのは使用人にすぎないが、家宰はちがう。当主の代理人として家を取り仕切る者であり、当主が不在のときや事故があったときは、当主に成り代わって判断し指示を出す腹心の部下だ。
ワズロフ家ほどの大家の家宰ともなれば、爵位持ちの貴族でもおかしくない。フジスルは爵位持ちではないが、当主の名代として、当主に準ずる扱いを受けるべき立場なのである。
ノーマが至尊の血を引く姫でなければ、この一行の首座はフジスルということになる。ところが今までノーマはソファーに座り、フジスルは後ろに立っていた。それに対して宰相は何も言わなかった。それどころか、ことさらにノーマに丁重に接してみせた。そこには欺瞞がある。あたかもノーマを尊い存在だと認めているかのような欺瞞が。だからノーマは立ち上がることで宰相を非難したのだ。
「あ、いや。しばらく」
宰相の制止を無視してノーマは後ろに下がった。フジスルはノーマに小さく会釈して前に進み、ソファに座った。
「さて、宰相閣下。私どもをお呼び出しになった用件をお聞かせ願いたい」
「私がお呼びしたのはノーマ殿だ。貴殿ではない」
「当家の姫に、当主の頭越しに何事かを交渉なさるおつもりか。ノーマ姫への用件は、このフジスルがお伺いする」
「交渉などという大げさなことではない。少しばかり話をしてみたかっただけなのだ。ノーマ殿、お座りいただけないだろうか。立っておられたのでは話しにくくてしかたがない」
相手が下手に出ているのに、その言葉をはねつければ、今度はこちらが非礼をしたことになる。ノーマはソファに座った。フジスルは左に動いてノーマが座る場所を作った。
「それにしても、サースフリー殿の息女のノーマ殿ということは、あなたがヴォーカの町の施療師にして薬草学者のノーマ殿で間違いないのだな」
いつのまにか言葉遣いも変わっている。だが、ノーマとしても、ねちねちとした言い回しで話されるより、こうしたさばさばした言葉遣いのほうが気が楽だ。
「はい」
「そうか。あなたがそうなのか。実はあなたがスカラベル導師にしてくださったことについて、陛下は大変感謝しておられてのう。恩賞の話も上がっているのだ」
「私はそれほどの働きはしておりません」
後ろにいるエダこそ、その感謝に値する人です、とはノーマは言わなかった。相手が気づいていないのなら、気づかないままにしておくべきだと考えたのである。
それからしばらくのあいだ、宰相はノーマの知識と能力を褒め、父のサースフリーの業績を褒めた。みえすいた世辞ではあるけれども、宰相の評価はつぼを押さえた的確なものであり、ノーマとしてはやはりうれしかった。
次第に話題はノーマのヴォーカでの暮らしぶりにうつり、それからさりげなく海をみたことがあるかという質問が発せられた。
この質問の意図は明らかだ。ギド侯爵家あるいはスマーク侯爵家の正室もしくは側室となることにどの程度関心があるかを確かめようとしているのだ。
だからノーマは、自分は海をみたこともないし、今後もみることはないだろう、と返事をした。
こうしたやり取りにも飽きてきたので、ノーマは、少し斬り込んだ。
「ところで宰相閣下。先ほど、見合い、とおっしゃいましたね」
「そうそう。そのことだ。一定以上の身分の貴族家同士の婚姻は、王家の許しが必要なことを、あなたはご存じかな」
「私どもは会食としか聞いていないのですが、宰相閣下はそれが見合いであると判断なさったのですか?」
「年頃の男女がわざわざに会うというのだから、そこに見合いの意図があっても奇妙とはいえないのではないかな」
「ギド侯爵家あるいはスマーク侯爵家から、それが見合いであるというような届け出があったわけではないのですね」
「ない」
「では、見合いであるとおっしゃるのはおやめいただきたい。あなたがそうおっしゃり、私がそれを肯定するような返答をしてしまえば、それは見合いになってしまいます。今のところはただの会食であって、それ以上のものではないのですから」
「む」
宰相は、少し不快な顔をみせた。
ノーマは柔らかなほほ笑みを返した。
「正直なところ、私たちにもまったくわからないのですよ。なぜ両家がヘレス姫と私を呼び出したのか、その意図が。私のような若くもなく美しくもない田舎者を呼び出して、どうしようというのでしょうね」
しばらく宰相はノーマの目をじっとみて、そして小さなため息をついた。
「あなたは確かに学者だな。言葉の意味をよく吟味しながら会話をしている」
「恐れ入ります」
宰相はフジスルに、ワズロフ家当主の健康について尋ね、二、三言葉を交わしてから、会談の終わりを告げた。