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さあ仕事を始めるかね、とシーラは言って、ジェリコに空の樽を四つ運ばせると、薬草の束を魔法で下ろし、樽に入れた。
「じゃあジェリコは留守番をしといておくれね。レカンはこっちだよ」
シーラは倉庫の部屋に移り、さらに家の一番奥にある自分の部屋に移った。四つの樽がぷかぷか浮いてあとを追う。
そう広くはない部屋に、やたらと大きなベッドがある。
「もっとこっちの隅にくるんだよ。扉の前を大きく空けて」
身を寄せ合うようにベッドの脇に移動すると、突然ベッドが浮かび上がり、扉をふさぐような位置に移動した。
ベッドが移動したあとには、巨大な長方形の穴が床に空いている。
「降りるよ」
そう言いながら、何もない空間にシーラは足を踏み入れた。
しかたないのでレカンもそのまねをした。
転落することもなく、ふわりと浮いている。
それから下降が始まった。
シーラが〈光明〉の魔法を使ったのだろう。大きな縦穴が、明るく照らし出されている。
ずいぶんと長い距離を二人は下りていった。
「着いたよ」
突然辺りに光が満ちた。
そこは広大な地下室だった。横幅は五十歩ばかり、奥行きは七十歩から八十歩ばかり。つまり地上の毒草畑と家屋の広さそのままの大きさを持つ地下室なのだ。
天井と壁を照らしている二十四の器具は魔道具なのだろう。一つ一つが明るく輝いている。
「あの光っているのは何だ?」
「魔力灯だよ。魔力をそそぐと発光するのさ。それにしても、あんた、せっかく秘密の地下室をみせてやったのに、驚いてないねえ。そのことにあたしは驚いたよ」
「大きな地下室があることはわかっていた」
「そういや探知持ちだったねえ」
「いや。探知する前からわかっていた」
「へえ? どうしてだい?」
「あの煙突は、あの暖炉には大きすぎる。位置からいってもおかしい」
「はは。そりゃそうだ。でもあんた、観察力があるねえ」
広大な地下室は、作業場というより何かの実験室のようだ。それほどに、用途もわからないさまざまな器具がそろっている。
「空気が濁ってるね」
そう言うとシーラは人差し指を振った。すると風が流れ出した。ベッドの下の巨大な穴は、換気孔の役目も持っているようだ。
煙突の下にはかまどがあり、大きな鍋がかかっている。シーラは魔法でその鍋のなかに水を生み出した。
「創造系魔法〈創水〉で作る水は、魔法的に純粋な水でね。魔法純水とあたしは呼んでる。これで薬草を煮込むのは、ちょっとぜいたくだけど、最高の薬のもとができるのさ。ちなみに治癒の魔法水を作るには、魔法純水に身体系魔法の〈回復〉か神聖系魔法の〈浄化〉をかけて、それに薬草を加える。加える薬草の種類によって、怪我治癒か病気治癒か体力回復か、効能のちがう薬になるのさ。実際の治療のときは、怪我なら消毒薬などを併用するし、病気ならその病気にあった治療薬を併用するけどね。魔法純水に余分なものを入れず、最上級の〈回復〉が使える神官が術をそそぐと、それこそどんな致命傷も治癒できる薬ができる。ただし高い効果を保つのは作って一日ぐらいだけどね」
それからシーラは、〈回復〉の魔法をかけながら薬草を煮込んでいった。
ふつう、魔法薬を作るときは、この段階で魔石と触媒を入れるのだが、本当は〈回復〉の魔法を連続的にそそぎ込んだほうが薬効は高いのだという。
シーラは、薬草の処理のしかたや効能を説明しながら、手際よく作業を進めた。
レカンも、シーラの指示に従って忙しく立ち働いたが、体を動かしながらも、火の加減や魔法のそそぎ方を注意深く観察した。
昼になると、休憩だと言ってレカンを地上に上げてくれた。自分は火の番をするのだという。
レカンは便所に行き、茶を沸かし、〈収納〉に突っ込んであった軽食を食べた。
そのうちにシーラが呼びに来たので下におりた。このとき、別の薬草を四樽分下に下ろした。
ベッドを移動するにも、地下室に下りるにも、いちいちシーラの助けを借りねばならない。なるほど〈移動〉と〈浮遊〉を習得するのを急がせるわけである。
次の作業は、薬草を刻んですりつぶすことだった。鍋からは大量の湯気が立ちのぼっている。意外に早い時間に、シーラは作業終了を告げた。
「さてと、いったんかまどの火はとめておくよ。ほかの作業も一段落だ。これから少しばかり、魔法の練習といこうかね」
その日は、〈移動〉を教わった。なかなかうまくいかなかったが、最後に空樽をごろごろと転がすことができた。
「よし。これができればあとは早いよ。あんたは魔力量はばかみたいにあるんだから、とにかく練習を繰り返すことさね」
外に出ると、夕方になりかけという時間だった。
レカンは宿に戻って部屋を取り、部屋のなかで〈移動〉の練習をした。
翌日から、薬を作る作業が続いた。並行して魔法の訓練も続いた。
〈移動〉は三日で合格となり、〈浮遊〉は四日で合格となった。それからは、レカン自身がベッドを動かし、縦穴をふわふわと上り下りするようになった。物品を動かすのはもうむずかしくないが、自分を動かすのは非常に繊細な作業で、一瞬でも気を抜くと墜落しそうな気がした。
薬も本格的な調薬に入った。
混ぜ合わせの比率や手順、そしてできあがる薬の効能が説明され、レカンは昼休憩のあいだに忙しく記録を取っていった。
あれほど多くの薬草を使ったにしては、作っている薬の種類は多くない。
できあがる薬は、似た症状を持つ複数の病に効くよう調整されたり、ある主原料の効果を高めたり補助したりするために混ぜ合わせるからだ。
最初に完成しはじめたのは傷薬である。二日かかった。
傷薬の主原料となる薬草は三つある。一つは一の月から二の月に採れるシュラ草であり、一つは四の月から五の月に採れるチュルシム草であり、一つは八の月から九の月に採れるポウリカ草だ。このうちのどれかを主原料とし、ほかに副次的な薬効のある薬草を混ぜて煮込み、最後は粉状に仕上げる。
これを薬屋に売ると、薬屋は効果の低いほかの薬草の粉と混ぜて売る。その配合によって、高価で薬効の高いものから、安価なものまで数種類の粉薬を調製して売る。買った人は、使うときに煮沸した少量の水で練って患部に塗布するよう説明される。
今回作ったのは、シュラ草を主原料としたものだ。レカンもかなりの量の完成品を分けてもらった。もしもレカンが今後魔法純水が作れるようになれば、より薬効の高い状態で使用できるし、さらに〈回復〉が使えるようになれば、その〈回復〉の上達に応じて上級の薬に仕上がるという。
次に完成していったのは、腹の痛みに効く薬や、胸の痛みに効く薬などの丸薬である。
薬屋は、これをすりつぶして薬効の低い薬草の粉と混ぜて売るが、上客には丸薬のまま売る。当然高価であり、買える人は限られている。
あるとき、レカンはふと訊いた。
「シーラ。前にもらった魔法の一覧表だが、あの魔法をシーラは全部使えるのか」
「ええと、どうだったかね。どこまで書いたか正確に覚えてないけど、神聖系の〈浄化〉は使えない。ほかは全部いけるんじゃないかね」
「それはすごい。〈浄化〉というのは、どういう魔法なんだ」
「悪しきもの、けがれたものをきれいにする魔法とでもいえばいいかねえ。ほとんどの病気に効くし、毒や状態異常にも効く。〈浄化〉には神の加護が強く含まれていて、だから〈神薬〉によく似た効果がある。〈神薬〉ほど劇的な効果の〈浄化〉ができる神官は今はいないと思うけどね。〈浄化〉持ちの神官は、閉じ込められて大貴族や偉い神官たちの薬壷になってるよ。なにしろ〈浄化〉には、わずかながら若返りの効果もあるから、じじいどもが手放しやしない」
「では、オレが〈浄化〉を学ぶのは不可能か」
「うーん。〈浄化〉持ちは神殿の奧に隔離されてるから、会うのはむずかしいだろうねえ。でも呪文はわかってるし、身体系魔法の〈回復〉が上達すると〈浄化〉は自然にできるようになるのさ。あたしは、〈回復〉と〈浄化〉は同じ系統の魔法だと思ってるんだけどね。とにかく、まずは〈回復〉を教えたげるよ」
「頼む」
「そういえば、シャドレスト侯爵家の若妻が、かなり才能のある〈回復〉持ちらしいねえ。今は秘密にして縁故のある貴族たちだけに施療させてるようだけど、噂がすごい勢いで広がってるから、そのうち神殿か王宮に呼び出されるかもしれないさ。まちがって〈浄化〉なんて発現させなきゃいいんだけどねえ」
家に引きこもっているシーラが、どうしてそういう秘密の噂を知っているのか、ひどく不思議だと、レカンは思った。
レカンは、〈シャドレスト〉という家名を耳にしたことがあったのだが、覚えていなかった。今よりずっとこの世界の言葉になれていないときのことであり、会話のなかで一度だけ出てきた家名など、覚えているはずもなかった。
もしも覚えていたら、〈シャドレスト侯爵家の若妻〉というのがルビアナフェル姫のことだと気づいたかもしれない。だが、このときは気づかなかった。
ルビアナフェル姫の境遇にレカンが目を向けるのは、ずっとのちのことになる。
「ごく未熟な〈浄化〉でも、病気の治療には素晴らしく効果がある。それに、幽鬼系と魂鬼系、つまり不死者系と非実体系の妖魔なら、どんなに強大なやつでも、〈浄化〉一発で消滅する。あるいは立ち直れないほどの痛手を受ける。けがれた土地や建物なんかも清められる。ほんとは〈浄化〉持ちは、どんどん外に出て働くべきなんだけどねえ」