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1月1日に、狼は眠らない外伝第1話が公開されています。
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「異世界の迷宮深層の冒険者同士の死闘か。この世のものとも思えぬすさまじいものなのだな」
レカンは何も言わなかった。もとの世界からこの世界に来るだけで能力が増大し寿命が伸びるようだし、この世界の迷宮で魔獣を倒せば力の成長率も高いようだ。そしてレカンの場合、もとの世界のスキルとこの世界の魔法を併せ持つことができた。そうした秘密を話す気はなかった。それに、いずれにしてもゾルタンの強さは別格のものだ。
ギルエントはレカンに質問を発した。
「第百二十階層では、どういう戦いをしたのだ」
「オレとアリオスの二人は、まず普通個体の部屋の侵入通路に入った。すると部屋のなかに二体の魔獣が湧いた」
イライザが口を挟んだ。
「待て。二体だと?」
「そこからか。第百階層からは〈黒肌白幽鬼〉でも〈赤肌白幽鬼〉でもなく、〈鉄甲白幽鬼〉が湧く」
「そんなことは知っている」
「〈鉄甲〉は、最大で五体しか出ない」
「だからそんなことは知っていると言っているだろう」
「イライザ。黙ってレカンの話を聞け」
「はい」
「侵入通路に入った人間の数だけ部屋のなかに〈鉄甲〉が湧く仕組みになっているわけだが、その最大数が五体だというわけだ」
「え?」
「侵入通路に入るのが二人なら、部屋のなかに湧く〈鉄甲〉は二体だ」
ギルエントもハイデントもイライザも、黙り込んでしまった。
「第百階層にたどり着いてから、オレたちはそれまで共同探索した〈グリンダム〉と別れ、二人で探索した。したがって、第百階層から第百二十階層までは常に二体の相手と戦った」
「待て、レカン。二人で入ると二体しか〈鉄甲〉が出ないだと。侵入通路に入った人間の数だけ〈鉄甲〉が湧くだと」
「そうだ」
「そんなことが」
このことは昨夜多くの冒険者たちが知ったし、〈グリンダム〉の三人はそれ以前に知っている。すぐにも噂は町中に広まるはずであり、もはや秘密にする意味がない。
「疑うなら検証しろ。とにかくオレたちは第百二十階層に到達した。そのときオレは、下りてきた階段と別の階段が、階層の一番奥の部屋、つまり〈守護者〉の部屋にあるのに気づいた」
「第百二十階層の〈守護者〉の部屋には階段などない」
「イライザ。黙れと言っただろう」
「ところが実際に部屋に入ると、あるはずの階段がみえない。何かの条件を満たさないと階段は現れないんだと思った」
「ほう。面白い。お前の特殊な感知の技術が、その階段を捉えたわけだな」
「そうだ。そしてその階段は細かった。だから一人用の階段なんじゃないかと思った。そこでオレは一人で侵入通路に入った。案の定、出てきた魔獣は一体だけだった。そしてそいつを倒すと下への階段が現れた。オレはもとの階層に転移してアリオスに発見を伝え、アリオスも一人で部屋に入った。こうしてオレたちは第百二十一階層に到達したんだ」
しばらくは誰も言葉を発しなかった。沈黙を破ったのはギルエントだった。
「そして第百二十一階層で〈守護者〉を倒し、〈彗星斬り〉を手に入れたわけか」
「いや、そうじゃない。〈守護者〉じゃなくて、普通個体だ。オレもアリオスもまだ第百二十一階層の〈守護者〉は倒していない」
「なるほどな。わが迷宮にそんな秘密があったとは」
「兄上」
「どうした、ハイデント」
「もしや〈彗星斬り〉は、第百二十一階層以降でないと出ないのでは」
「わしもそれを考えておった。それならこの百十六年間、一度も〈彗星斬り〉が出なかった説明がつく」
「おじさま。すぐに第百二十一階層を探索させましょう!」
「無理だな。第百階層より下に潜れるパーティーは、三つしか残っておらん。そしてその三つとも、百十階層までしか潜っておらん」
「ではレカン殿に」
「黙っておれ」
低い声だった。だが、しびれるほど迫力のある声だった。たしなめられたイライザは言葉を失った。
「レカン。この迷宮は第何階層まであるのだろうな」
「わからん」
「そうか、わからんか」
ギルエントは、目を閉じてしばらく何事かを考えていた。やがて目を開けて振り向いた。
「バイアド」
「は」
「店の主人に、ここに来てもらえ」
「は」
ナークが侯爵の前に呼び出され、侯爵の求めに応じ、ゾルタンの思い出を語った。ナークは祖父や父からたくさんの話を聞いている。語り始めてから語り終えるまで、ずいぶん時間がかかった。
はじめはぎこちないしゃべり方だったが、語るうちに段々とこなれてゆき、冗談まじりの面白く印象深い思い出語りとなった。
ギルエントもハイデントも、よく飲み、よく笑った。
「ああ、楽しかった。ずいぶんゆっくりさせてもらった。そろそろ帰らねばならん。レカン」
「何だ」
「〈彗星斬り〉をみせてくれんか」
ギルエントのその頼み方は、ごくあっさりしたものだった。ぎらつくような物欲しさも、計算高そうな鋭さもない、やわらかな言い方だった。
レカンは〈彗星斬り〉を抜いた。
そして魔力を込めた。
二倍の長さで魔法刃が形成された。
「おお」
四人の目はくぎづけである。
さらに魔力を込めた。最大限の五倍の長さに魔法刃が伸びた。
「おおおお!」
「なんと」
「美しい」
「すごい」
レカンは魔力をそそぐのをやめた。たちまち魔法刃は消えた。
「いいものをみせてもらった。礼を言う」
ギルエントが目で指示を出し、騎士バイアドが、料理と酒の礼だと言って金の入った袋をナークに渡した。
「ではこれで失礼する」
それだけ言うと、ギルエントはドアに向かった。
バイアドとハイデントが続く。イライザも続きかけてテーブルに戻ってきた。
「レカン殿。この世界に来たとき、落ちたのはパルシモだったのか?」
「ちがう」
納得のいかない表情をみせて、イライザは伯父と父の後を追って出入り口へ向かった。
(侯爵は)
(何も押しつけようとしなかったな)
(そして何も奪おうとしなかった)
〈彗星斬り〉に興味がなかったわけはない。喉から手が出るほどこの剣が欲しかったはずだ。迷宮の情報もまだまだ知りたかったはずだ。だが、物欲しそうなようすはかけらほどもみせなかった。利益で釣ろうともしなかった。
見事だ、とレカンは思った。
そしてその風格たるや、レカンでさえ気おされる思いがした。
ツボルト侯爵ギルエントこそは、貴族として〈剛剣〉の域に達した男だ、と思った。
(比べては悪いが)
(ヴォーカの領主より数段上だ)
ドアが開いて、帰ったと思ったイライザが姿を現した。
「レカン殿」
「何だ」
「この前、私とゾルじいがここに来た」
「ああ」
「その次の日から、ゾルじいは、すごく機嫌がよかったのだ」
「……ほう」
「ゾルじいは、ずっと元気がなかった」
「そうか」
「だから元気を取り戻した姿をみて、私も父上もおじさまも、とてもうれしかった」
「そうか」
「レカン殿。ありがとう」
そう言い残してイライザはドアを閉めた。
かすかに花のような香りがただよっていた。
「第38話 ベンチャラー家の凋落」完/次回「第39話 ツボルト迷宮の主」




