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「ずるいなあ」
ゾルタンの声がして、レカンははっとした。死力を振り絞ったあとの軽い放心状態にあったのだ。
起き上がってゾルタンに近づいた。体がひどく重い。
ゾルタンは岩の床にあおむけに倒れたまま、もう一度つぶやいた。
「ずるいなあ、お前さん」
喉の傷はまだふさがりきってはいない。赤ポーションの効力は切れたようであり、回復はとまっている。胸の大穴も、少しふさがってそこで回復は止まっている。それでも小声で話すことはできるようだ。
「〈立体知覚〉〈突風〉〈隠蔽〉〈閃光〉〈火矢〉〈回復〉、それに〈炎槍〉に〈雷撃〉かあ? あの突きも何かのスキルだろう?」
かぼそい声で、ぜえぜえと息をつきながらしゃべるゾルタンの声は、かすれてはいるが、なぜか穏やかだ。楽しげでさえある。
もとの世界から持ってきた上級回復薬を使おうとは思わなかった。
負けた者は死ぬ。これはそういう戦いだった。
それに、こうして倒れているゾルタンをみれば、老いによる死がこの男に追いつきつつあることは明らかだ。上級回復薬を使っても、その場しのぎにしかならない。何より、この男はそんなことを望んではいないだろう。
「そのうえ、魔法障壁を張るアイテムに貴王熊の外套に〈ウォルカンの盾〉に〈彗星斬り〉。とんでもない威力で攻撃できる盾。お前さん、ずるすぎるだろう」
お互いさまだ、と言おうとしたが、腹に力が入らず、言葉が出なかった。
いや、お互いさまどころではない。〈暴風〉に〈影刃〉に〈剛力〉に〈立体知覚〉。そのうえ幻魔緑蜂の鎧に魔法剣。あんたのほうこそずるいぞと言ってやりたい。
(ふふ)
レカンはゾルタンのほうが有利すぎてずるいと思っていた。だがゾルタンはレカンのほうがずるいと思っていたのだ。考えてみればおかしなことだ。しかし世の中というものはそういうものなのだろう。
「楽しかったなあ」
楽しかったなあ、と言うゾルタンの顔には笑みが浮かんでいる。
「ああ」
今度は声を出すことができた。ひどくしわがれた声だったが。
「こんな楽しい戦いは、生まれてはじめてだったよ」
ふとレカンは思った。
(もしかして)
(オレと戦うというそれ自体が)
(この男の目的だったんじゃないのか?)
人生の最後に、体が動くうちに、最高の敵と最高の戦いをして死んでゆきたい。
それこそがゾルタンの願いだったのではないか。
人質がどうとかいうことは、すべて付け足しだ。
もしも戦えといわれた相手がレカンでなかったら、ゾルタンはあっさりトログを斬り殺していたのではないか。
そんな考えが浮かんだ。
だがもうそんなことはどうでもよい。
素晴らしい戦いだった。
これからレカンが何十年生きようと、この戦いを忘れることはないだろう。
いくつになろうと振り返って満足を味わうことができる、そんな戦いだった。
それがすべてだ。
今となってみれば、勝者がどちらかなどということも、小さいことだと思えた。
「わしの首に指輪がかけてある。それをお前さんにやろう」
「指輪?」
ゾルタンが目を閉じた。命の火が消えようとしているのだ。
「も、もう一度、あの酒を……」
そこまでつぶやいて、ゾルタンは死んだ。
レカンはゾルタンの脇に座り込んだ。
そして何をするでもなく、何を考えるでもなく、じっとその場に座り続けた。
魔力回復薬を飲んでおいたおかげで、魔力は徐々に回復していった。
どれほどの時間が過ぎただろうか。
自分に回復をかけて立ち上がると、ゾルタンの首元を探った。
細い鎖が首にかかっていて、指輪がついている。
鎖を首からはずして、指輪を左手に載せた。
古めかしい指輪だ。
宝玉がついているわけでもない。
価値のある品のようにはみえない。ただの指輪だ。
「〈鑑定〉。なにっ?」
〈鑑定〉が通らなかった。
レカンは茶色い細杖を取り出して構え、心を鎮め、準備詠唱をしてから発動呪文を唱えた。
「〈鑑定〉」
鑑定結果が頭のなかに浮かんでくる。
〈名前:不死王の指輪〉
〈品名:指輪〉
〈出現場所:ダイナ迷宮百階層〉
〈深度:百〉
〈恩寵:無敵〉
※無敵:心の臓が十回打つ時間、あらゆる攻撃からダメージを受けない。発動呪文は〈ティーリ・ワルダ・ロア〉。この恩寵は一日に一度だけ発動する。
「なにっ! ばかな!」
信じられない内容だった。もう一度鑑定した。だが結果は同じだ。
(心の臓が十回打つ時間、あらゆる攻撃からダメージを受けない、だと?)
(そんな、ばかな)
心の臓が十回打つ時間というのは、レカンのような高速機動型の剣士にとって、敵を殲滅する時間というのにひとしい。そしてまたゾルタンも、おそろしく素早い動きのできる剣士だった。
(なぜだ?)
なぜゾルタンはレカンとの戦いでこの指輪を使わなかったのか。
もちろんそれは、面白くないからだ。
しかるべき瞬間にこの指輪を使えば、レカンに勝てた可能性は高い。
だがそれは、相手の攻撃は効かず、ただ一方的に相手を切り刻むだけ、という戦いになる。
生涯最後の戦いで、そんなつまらない勝ち方はしたくなかった。
だから使わなかったのだ。
(骸骨野郎め!)
つまりレカンは勝利をつかみとったのではない。譲られたのだ。
レカンはゾルタンの死に顔をみた。
そこには安らかで満足な表情が浮かんでいる。
(あんた最後の最後まで)
(憎いやつだったな)
ごろり、とレカンはその場に寝転がった。
今は何をする気にもなれない。
だから眠る。
起きたら迷宮事務統括所に行ってナークとネルーを助け出し、騎士トログを殺さなくてはならない。こんな贈り物をただで受け取るわけにはいかないから、この指輪が欲しければ、あの二人を助けないわけにはいかない。
(これもあんたの計算のうちなのか?)
この指輪だけではないだろう。
この希有の冒険者が、どれほど希少で高性能の品々を持っていたか、想像するのもむずかしい。だが驚くほど多くの優れた品を持っていたことはまちがいない。〈不死王の指輪〉に匹敵するような品をいくつも持っていたとしても不思議はない。
この世界の〈箱〉は所有者が死んでも残るし、誰でも中身を取り出すことができるが、もとの世界の〈収納〉は、本人にしか中身を取り出すことはできず、本人の死とともに消滅する。
だからゾルタンの死とともに、あまたの秘宝もこの世から永遠に消えた。
それもまた冒険者らしい死にざまではないか。
(オレも死ぬときは迷宮で死にたいな)
そんなことを思いながら、レカンは眠りに落ちた。
「第37話 第121階層の死闘」完/次回「第38話 ベンチャラー家の凋落」




