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「帰っていいですかね?」
ぽっちゃり密偵がとぼけたことを言った。レカンは凍りつくようなまなざしを向けた。
「ナークとネルーはどこだ」
「迷宮事務統括所です」
素直に答えるとは思っていなかったので驚いた。
「誰が連れていった」
「騎士トログ様です」
騎士トログ・ベンチャラー。
迷宮事務統括官代理とかいう男だ。それなりに腕の立つ男であり、油断のならない目つきをした男だ。
「何のためにナークとネルーを連れていった」
「人質にするためですよ、もちろん」
「人質だと?」
「ゾルタン様に言うことを聞かせるための人質ですよ」
「人質を取って何をさせるつもりだ」
「あんたを殺して〈彗星斬り〉を手に入れたいそうです」
ということは、ゾルタンはナークとネルーを人質に取られて、レカンを殺せと迫られたのだ。しかしゾルタンがそれに従ったということが信じられない。
もしかすると、従ったふりをして何かをたくらんでいるのかもしれない。いずれにしても、ぽっちゃりの言うことをうのみにはできない。
とはいうものの、現状では情報が少なすぎる。少しでもぽっちゃりから情報を得ておかなくてはならない。情報の評価はあとですればいい。
「迷宮統括官が、そうさせるようにトログに命じたのか?」
「イライザ様は謹慎中でしてね」
「謹慎?」
「イライザ様は、ここであんたと話をしたあと、テルミン老師を訪ね、謝罪なさったんだそうです。そして領主様の館に連れ出すことに成功なさった。領主様は、連絡の手落ちがあったという罪でイライザ様を謹慎させ、ノーツ家秘蔵の剣を自由に鑑定してよい、とテルミン老師に許可をお出しなさった。なにしろ〈剣の迷宮〉の統治者が長年ため込んだお宝の数々ですからね。テルミン老師は夢中になって次から次へと剣を鑑定しておられるようですよ。領主館で接待を受けながらね」
テルミンはうまく丸め込まれたようだ。だが、そういうことなら、危害が及ぶ心配もない。本人がそれで納得しているのなら、レカンとしても文句をつける筋合いはない。
「ということは、今回のことの黒幕はトログだということか」
ぽっちゃりは肩をすくめ、眉を吊り上げてひょうきんな顔をしてみせた。
「ごまかさずにはっきりと言え」
レカンは剣の柄に右手を置いて命じた。
「だと思いますよ。このやり方は領主様のやり方じゃない。ただし」
「ただし、何だ」
「騎士団長のオルグ・ベンチャラー様なら、こういうやり方を好まれるかもしれませんね」
「オルグ・ベンチャラーは、トログ・ベンチャラーの何だ」
「父君ですよ」
ということは、ゾルタンに試合で負けた騎士団長の息子だ。
「トログは、なぜ〈彗星斬り〉を欲しがる」
「さあ? 領主様に献上して手柄になさるおつもりでしょうかねえ。それともご自分の剣になさるおつもりかもしれません」
「自分の剣に、だと?」
まさかトログは〈彗星斬り〉を使えるのだろうか。それほどの魔力量とは思わなかったが。だが、金持ちの貴族なら、魔力量を底上げするような恩寵品を持っているかもしれない。
「なにしろあの剣の性能を聞いたときには、大声を上げて驚いておられましたからねえ」
「性能を聞いただと?」
「ええ。鑑定書の内容を報告したら、そりゃもう喜んで、目を輝かせておいででしたよ」
「お前は鑑定書を盗みみて、その中身をトログに伝えたんだな」
「はい。まあ、これも仕事ってやつでして」
「読み取った中身を今復唱してみろ」
「名前は彗星斬り。品名は魔法剣。攻撃力二十。硬度二十。ねばり二十。切れ味五十。消耗度なし。耐久度は百。出現場所はツボルト迷宮百二十一階層。深度は百二十一。恩寵は魔法刃と破損修復。魔法刃の性能は、攻撃力十倍、切れ味十倍、長さは二倍から五倍。ってとこです」
やはり大きな字で書かれた部分は全部読み取っていたのだ。小さな字で裏側に書いた文字までは読めなかったようだ。だから、〈この魔法剣は、よほど魔力量の豊かな魔法使いが魔力増加や補充の恩寵品の助けを借りて、やっと発動し維持できる代物だ〉という部分をぽっちゃりは知らず、トログにも当然伝わっていない。驚異的な攻撃力と切れ味だけを知って、自分の剣にしたいと考えても無理はない。
(待てよ)
(イライザは〈彗星斬り〉の正確な性能を知らなかった)
(ということは)
「お前は秘密鑑定の内容を、トログに伝えたが、イライザには伝えていないのか」
「ええ。それはトログ様の役目ですからね」
「お前は誰の部下なんだ」
「あたしはトログ様に雇われてます」
「領主にではないのか」
「領主様からはお給金をいただいてませんね」
トログはイライザへの報告で肝心な部分をわざと省略したのだ。どういう魂胆だったかはわからないが、トログはイライザの忠実な部下などではないということだ。
トログは〈彗星斬り〉を手に入れたいと思った。だが、交渉でレカンから〈彗星斬り〉を譲り受けることは無理だと判断した。そこで力ずくで奪うことにした。
父親が騎士団長なのだから、騎士団を動員してレカンを襲うこともできたかもしれないが、それでは大事になってしまうし、被害もばかにならない。そのうえ、もしレカンが迷宮に逃げ込めば、深い階層には追ってくることができない。だからゾルタンを使った。
そこまではいい。そこまではわかるのだ。そこから先がよくわからない。
まず、ナークとネルーを人質に取ったというのがわからない。
二人を人質に取ったからといってゾルタンが言うことを聞くと、どうして思ったのか。ゾルタンが怒ればトログの首など取ることは簡単だ。どうしてその方法を取る気になったのか。
それに、二人がゾルタンにとって弱点だと知っていたなら、もうとうに二人を人質に取ってゾルタンに意趣返しをしていてもいいはずだ。なぜこれまでほうっておいたのか。
「おい、ぽっちゃり」
「あたしのことですか?」
「そうだ。なぜトログは、ナークとネルーを人質に取れば、ゾルタンに言うことを聞かせられると考えたんだ?」
「えっへへへ。それはですね。りー」
りーという音を長く引っ張ったあと、突然ぽっちゃりは早口でその言葉を言い終えた。
「リオム!」
〈閃光〉の魔法がぽっちゃりの首元で発動した。ブローチが発動体だったのだ。つまりブローチ型の杖だ。そこに〈閃光〉の魔法をためておいたのである。ぽっちゃりにはわずかな魔力しかないので、まさか魔法を使ってくるとは思わなかった。
目を閉じる時間はなかった。まぶしい光にレカンの目はくらんだ。
だがレカンには〈立体知覚〉がある。
レカンはすかさず〈ラスクの剣〉を抜いて、ぽっちゃりの首を飛ばそうとした。
だがぽっちゃりは信じがたいほどの素早さでレカンの剣をかわしてのけた。そしてその瞬間ぽっちゃりの気配が消えた。