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この世界で目覚めたときには、レカンの魔力は完全に回復していた。その状態で、先ほど魔力を吸収したのだから、今は過剰な魔力が体内にある。
レカンの〈魔力吸収〉には相当の柔軟性があり、一時的になら満杯状態の何倍もの魔力を吸収できる。しかし余分の魔力はすぐに抜けていってしまい、ためておけない。
魔石のまま持っておけば、いつでも好きなときに吸うことができる。だからレカンは魔獣の魔石を取ることにした。
男たちが何やら騒いでいるが、取りあえず魔獣の始末が先だ。
レカンは殺した魔獣の死骸の前で足をそろえ、右手の拳を左胸に当てて、わずかに頭を垂れた。
近くに倒れていた太めの枯れ木を拾い、魔獣の体の下に差し込んで、魔獣の死骸をひっくり返して、〈魔力感知〉を一瞬だけ発動させて魔石のありかを確認すると、剣で魔石をえぐり取った。
魔石を失った魔獣の死骸は、崩れ去って砂となり、そして消え果てた。
魔石は血まみれである。剣も血によごれている。洗ったほうがよいだろう。
斜面の下に川が流れている。
レカンは剣を右手に、魔石を左手に持って、斜面を早足で降りた。後ろから男が何かを叫んでいる。
剣と魔石を流水ですすぎながら、心を落ち着かせた。
(あの人間の姿をした者たちが何であっても)(かまわないではないか)(オレはこの世界のことを何も知らない)(この世界からすれば)(余分で異質なのはオレのほうであって)(やつらではない)(とにかくもう一度〈魔力感知〉を試してみよう)
剣と魔石をぼろきれで拭き、〈収納〉にしまって斜面を上がった。
(〈収納〉を持っていることも隠しておくか)
もう一度抜き身の剣を〈収納〉から取り出して斜面を登りきった。
男が馬車のなかに話しかけている。馬に乗って戦っていた男だ。もう一人の男が、倒れている男を介抱している。御者は馬を落ち着かせることに成功したようだ。
男はレカンに気づき、またもや大声をあげたが、今度も無視した。
茂みの後ろ側に回り込むと、〈収納〉から鞘を出して剣を納め、腰に吊り、荷物袋を取り出して肩にかけた。こうすれば、普通の旅人にみえるはずだ。
6
馬車に近づいてゆくと、馬車のなかに向かって話しかけていた男がレカンのほうに向き直った。
レカンは歩みをゆるめず、男に近づいていった。
(何かおかしなことが起きたら)(まばたき一つのあいだにこいつを斬り捨てる)
男は、レカンの表情や動作から何を感じたのか、青ざめた顔で半歩後ろにさがった。
男とのあいだがちょうど五歩になったとき、レカンは立ち止まり、〈魔力感知〉を最大限の精度で発動させた。
うっすらとではあるが、赤い点が表示された。
目の前の男も、ほかの男も、ちゃんと表示されている。
(人間だったか……)
レカンは緊張を解いた。
目の前の男も、ほっと息をつき、そして盛んに話しかけてきた。
「悪いね。あんたの言葉はわからない」
身ぶりをまじえながら、言葉が通じないことを示したが、男は諦めずに話し続ける。
「わからない。言葉は通じない。オレの話す言葉とあんたの話す言葉はちがっているのがわかるだろう」
言葉が通じないなどという体験は、生まれてはじめてである。
やはりここは、どう考えてもレカンがなじんできた世界ではない。
相手の顔だちも、知っているどんな国のものともちがう。
つるりとしていて、のっぺりとしている。
男のほうが身長が低いので、レカンはみおろす形になる。
馬車のなかから女の声がした。若い声だ。
もちろんレカンは〈立体知覚〉で馬車のなかもみていたから、馬車のなかには女二人が乗っていて、一人は十代前半、もう一人は二十代前半ほどの年齢にみえることがわかっている。
たぶん、若い女が一行のなかで最も身分が高い。その若い女が男に何かを命じたのだ。
男は何かを言い返したが、若い女が強い声で何かを命じた。すると男は馬車に近づき、扉を開いた。
扉から出て来た若い女は美しかった。そして思った以上に若かった。
その女はレカンの前に進み出ると、優雅に一礼をして、穏やかな口調で何事かを話しかけてきた。たぶん、感謝の言葉を述べているのだ。まったく敵意は感じない。それどころか、若い女の目つきからは、敬意と親しみが感じられる。
若い女の言葉が終わったとき、レカンは、左手で剣の鞘を押さえ、右の手のひらを左胸に当て、左足を半歩引いて腰を折った。
これは貴人の礼である。レカンは粗野な冒険者だが、実は、とある国の王の養子となっており、つまりれっきとした王子でもあるのだ。ただし王位継承権はない。なぜ王の養子となったかについては事情があるが、ともあれ王子として二か月ほど王宮で過ごしたレカンは、それなりの作法を身につけている。
レカンが見事な礼をしてみせたためか、若い女の後ろに控えている男と女が、驚いた表情をしている。
このあと、けが人の治療が行われた。若い女は回復魔法の使い手だった。
そのかたわらには、つねにもう一人の女が寄り添っている。先ほど火の攻撃魔法を使った女だ。
レカンは招かれて同行することになった。いずれにしても、いつかはこの土地の人間と接触しなくてはならない。友好的な相手と接触できるのであれば、それに越したことはない。