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倒れたノーマをジンガーが手燭を持った右手で器用に抱きとめた。その腕のなかでノーマは意識を取り戻した。青ポーションの効果がまだ残っていたようだ。
プラドを診察した。
毒の症状は消えている。
寝息はおだやかだ。
ほうっと大きく息をつき、体の力を抜く。
それから扉のほうに戻ってくずれ落ちている護衛の兵士を診た。
死んではいなかった。眠らされているだけだ。
「寝ているだけだね」
「起こしましょうか」
「いや。このままでいい。いや、待て。扉の内側に引っ張り込んでもらえるかな」
「わかりました」
しばらくして、足音が近づいてくるのが聞こえた。
急ぎ足だ。五、六人いる。
ノーマは戸口に立って待った。
先頭の人物が姿を現した。
カンネルだ。
「カンネル」
「ノーマ様!」
後ろには兵士たちが続いている。
「カンネルとヘクター兵士長はおじいさまの部屋に入れ。ほかの者は扉の外で待機しなさい」
「はっ。聞こえたな。ヘクターはなかに。ほかの者は外だ。ノーマ様。フィンディンを入れてもよろしいでしょうか」
「許す」
「は。フィンディンも入れ」
「はい」
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「さて、まずは燭台をいくつかともしてもらおう。暗くてかなわない」
「は。フィンディン」
「わかりました」
フィンディンが明かりをつけて回る。
「私は座らせてもらうよ。よい、しょと。ああ。そのぐらいでいい。充分な明るさだ」
「あの、ノーマ様。この者は」
カンネルが、床に倒れている兵士の近くで腰をかがめながら言った。
「寝ているだけだよ。起こすと面倒だから、しばらく寝ていてもらおう」
「あの。ご当主様はお起こししなくてよいのでしょうか」
「しばらくは起きないと思う」
「それでしたら、私どもは別の部屋に」
「いや。この部屋でないとまずいんだ。ところで、今扉を閉めてもらったが、音がしなかったのに気づいたかな?」
虚を突かれたように一瞬沈黙があり、低い声でカンネルは答えた。
「……はい」
本来扉の開閉には音がするものだ。誰かが開け閉めしたらわかるように、わざとそうしてあるのだ。その音がしなかったということは、誰かが細工をしたということだ。
「さて、まずはお互いの情報を突き合わせよう。カンネル、何が起きた?」
「ヘクターの声で、不審者が発見されたことがわかりました。私とフィンディンは飛び起きて、本館の周りをみて回ったのです」
「ふむ。ヘクター、何があった?」
「私は不寝番でした。本館の玄関前で物音がしたので調べに行くと、何者かが逃げていこうとするところでした。私は大声を出して兵を呼び集め、逃げた者を追いましたが、正面入り口の門の近くでみうしなってしまったのです」
「どんな服を着て、どんな背丈だったかな」
「わかりません」
「人間かい?」
「はい。人間の動きであったように思いました」
「暗いといっても所々に明かりはある。体の大きさぐらいはわかるだろう」
「それが、みつめるとぼやけてしまうのです」
「ほう。まるで〈隠蔽〉の魔法を使ったみたいにかい?」
「その魔法は知りません」
「なるほど。次に、ジンガー」
「はい。階下での騒ぎで目が覚め盾と剣を持ち、ガウンを羽織って部屋を出たところで、ノーマ様からプラド様のところに行くよう指示がありました。その途中、廊下の角に、目にはみえないけれど何者かが潜んでいる気配を感じました」
カンネルが、ぎょっとして目をみひらいた。
「盾を左手に構え、剣を抜いて近づくと、何者かが闇から飛び出してきて何か小さな金属のようなものを投げつけ、逃げ出そうとしました。剣を振り、体の一部を捉えた手応えはあったのですが、逃げられました」
カンネルも、ヘクターも、フィンディンも、真っ青な顔でジンガーの報告を聞いている。
「プラド様の部屋の扉の前で、兵士が倒れており、何かが起きたことがわかりました。私は部屋のなかに入り、手燭の明かりを強めてプラド様に近づきました。そのときノーマ様がやってこられました」
「そのあとのことは私が話そう。おじいさまの喉元に、これが刺さっていた」
ノーマは、サイドテーブルの上に置いた大きな針を持ち上げた。おとなの手のひらほどの長さがある針だ。
「おじいさまの唇は紫で、体は血の気を失い、痙攣が始まっており、平白蛇の毒もしくはそれに近い毒物におかされており、死の寸前であることは明らかだった。私はすぐに特殊な治療をほどこした。現在、死の危機は脱し、深い眠りにある。カンネル」
「はっ」
「この屋敷には緑ポーションはあるかな?」
「ございます」
「では念のため、それを飲ませておいたほうがいい。ああ、この話し合いが済んでからだ。さて、不審者は正面玄関のほうに消えたわけだ。つまり客棟とは反対側にね。客棟のお客さんたちは、どうしているかな?」
この質問にはフィンディンが答えた。
「不審者が発見されたと聞き、私はすぐに客棟に行きました。見張りの兵士たちが言うには、バンタロイからのお客様がたは、二階から下りてきていないということでした」
「どこに見張りがいるのかな」
この質問にはカンネルが答えた。
「客の部屋は二階です。南北両側に一階への階段がありますが、その階段の下に二名ずつ兵士を配置してあります」
「庭のほうには?」
誰も答えを返さなかった。ノーマはもう一度質問した。
「庭のほうには何人見張りを置いたのかな?」
「ノーマ様」
ヘクターが口を開いた。
「客棟は確かに庭に面しておりますが、二階です」
「密偵なら下りられるだろう。庭には何人見張りを置いたのかな?」
しばらくして、カンネルが答えた。
「見張りは置いてございません」
「おじいさまの部屋の前には一人護衛がいたけれど、ほかにも待機していた夜番がいたのではなかったかな?」
カンネルが、顔をゆがめて答えた。
「その者たちには、不審者の捜索に加わるよう命じました」
「ふうん。なるほど」
ノーマは椅子に深く腰掛け、両手の指を器用にからませながら、しばらく何事かを考えていた。
「カンネル」
「はい」
「悔しいだろうね」
ぎりっ、と歯を食いしばる音がした。
カンネルはノーマから警告を受けていたのである。
〈今夜はボルドリン家の方々に格別のご注意を〉と。
その言葉の意味をちゃんと考えるべきだったのだ。
客棟をみはっていればいいと思っていた。
まさか、プラドの命が狙われるとは思っていなかった。
明らかにカンネルの失策である。取り返しのつかない大きな失敗だ。
ここはゴンクール屋敷だ。ゴンクール家の本拠地なのである。その本拠地で、当主が暗殺されかかった。くだらない陽動作戦に引っかかって。しかも気をつけるようにと忠告を受けていたその夜、注意しろと言われたその相手によって。
客棟も、みはったことになっていなかった。どうしてそれを失念していたのだろう。密偵や暗殺者なら、二階からそっと下りるなど造作もない。そんなことにも気づかずに、執事の務めが果たせた気になっていたのだ。
カンネルは、後悔と怒りで目の前が真っ赤にそまるのを感じた。
「その悔しさは、ちゃんと晴らさせてあげるよ」
はっ、としてノーマをみた。
静かにほほ笑んでいる。
「よし。状況は把握できた。まずは非常態勢を解くんだ」
「は?」
兵士長のヘクターが間の抜けた声を上げた。
「客棟の見張りは、増やしてもいけないし、減らしてもいけない」
「しかしそれでは暗殺者が帰って来たとき捕らえることができません」
「捕らえちゃだめだよ。ちゃんと客間に帰ってもらわないと」
「は?」
「ヘクター」
「はいっ」
「異常が起きる前の状態に戻すんだ。何もかもね。先ほどの騒ぎについては、今日明日箝口令を敷いてもらいたい。誰もそのことについて話さないように」
「と言われましても、これだけ騒いだのですから、今さら」
「うん。わかっているよ。だけど知っていても口にしないようにしてほしいんだ。何もなかったかのように振る舞ってほしいんだ。できるね」
「は、はいっ」
「くせ者が流した血が落ちているようなら、拭き取らせなさい。ただし、どの位置に落ちていたかは君が把握しておくように」
「はいっ」
「では、行きなさい」
「はいっ」
「カンネル」
「は」
「まずは緑ポーションを持ってきてくれないかな。それと水を。おじいさまと、君と、フィンディンと、私と、ジンガーに。それから相談をしようじゃないか」
「相談、でございますか」
ノーマは振り返って、ベッドの上で眠るプラドをみた。
振り返ったその顔には、涼やかな笑みが浮かんでいた。
「反撃の相談をね」