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ただならぬ物音に、ジンガーは目覚めた。
叫び声。
どかどかと人間が屋敷内を走る音。
滑るように寝床を離れ、〈ウォルカンの盾〉を左手に装着し、ガウンを羽織り、左手に剣を持って寝室を出る。
「ジンガー。何があった」
主君であるノーマも目が覚めたようだ。
そうしているあいだにも、人が人に何かを命じる声や、それに応える声が響く。
ただしその響きは段々遠ざかってゆく。
「一階で何かあったようです。二階と三階にいた不寝番も下に下りたようです」
「ジンガー。おじいさまの所に行け!」
「はっ」
幸い、ここは当主であるプラドの部屋から近い。
ノーマは、もとゼプスが使っていた棟を使うことになっている。ただしまだ部屋の片付けができていないので、今は同じ本館の、当主が住む一角に部屋を与えられているのだ。
薄暗い廊下の曲がり角に差しかかったとき、ジンガーの勘が何かを教えた。
(何かが)
(誰かがいる)
目には何もみえない。深夜には明かりの数は減らされているが、それでも人間がいればみえないような暗さではない。
しかし肉眼ではみえないが、ジンガーの鍛え抜かれた感覚が、廊下の曲がり角の隅に、何者かが潜んでいることを告げている。
ジンガーは剣を鞘から抜き、鞘を床に落とした。
「〈展開〉」
左手に〈ウォルカンの盾〉が現れる。そして廊下の隅に向かって一歩踏み出したとき、闇がもわりと動いて何かが飛んできた。
とっさに盾で受ける。
鋭いが小さな音がして、何かがはじき返された。
そのとき小柄な何者かが飛び出した。
ぶんっ。
と音をさせてジンガーの剣が鋭く闇を斬り裂く。
飛び出してきた何者かは、器用に身をかわしたが、確かに剣先に服と肉を捉えた感触があった。
そのままくせ者は走り去ってゆく。もはや追いつけない。
ジンガーは左をみた。そこには当主の部屋があるのだが、扉の前に立っているはずの兵士が床にくずおれている。
当主の部屋に駆け込んだジンガーは、左手に盾を、右手に剣を持ったまま、油断なく室内をみまわした。
プラドが天蓋のついた大きなベッドに寝ている。ほかに人はいない。
「〈縮小〉」
剣を左手に持ち替えると、台に置かれた手燭のつまみを操作して、光量を上げる。
そのとき部屋の入り口にノーマが現れた気配を背中に感じた。ノーマはしゃがんでいるようだ。入り口の兵士の様子をみているのだろう。そしてノーマが近づいてきた。ジンガーを追い越してベッドの脇に取りつく。
「ジンガー、明かりを」
辺りの気配を油断なくさぐりながら、ジンガーはベッドに歩み寄り、ぐいと手燭を突き出す。
ノーマが、はっ、と緊張したのがわかった。
針だ。
プラドの喉元に突き立った大きな針が、きらりと明かりを反射した。
6
ノーマは、祖父プラド・ゴンクールのそばに駆け寄ったとき、不思議なことに、薄暗い光のなかで、唇が紫色に変色しているのをみてとることができた。
ジンガーが手燭をかざしてくれたので、よりはっきりと顔や体の状態をみることができる。
急激な体温の低下。
皮膚のこわばり。
白目をむいて、わなわなと口が震えている。
それだけでなく、痙攣は全身に広がりつつある。
(毒だ!)
(たぶん平白蛇の)
平白蛇の毒は即効性というわけではないが、じんわりと確実に効く。すでに痙攣が始まっている。すぐに手当をしなければプラドは死ぬ。
だが、ノーマは緑ポーションを持っていない。
この家のどこかにはあるにちがいないが、今それを探している時間はない。
ノーマは胸の隠しから杖を出した。その部分に小型の〈箱〉を取り付けているのだ。レカンのニーナエ土産の一つである。喉に刺さった針を抜きながら、魔力を練り、呪文を唱える。
「〈回復〉」
たった一回の〈回復〉で、ノーマの魔力は空っぽになる。
〈回復〉の効果で喉の傷はふさがる。そして唇は赤みをおび、痙攣が治まってゆく。
ほっと安心しかけたのもつかのま、すぐにまた唇は紫色に変じ、痙攣がよみがえってくる。
(え?)
(どうして)
(どうして〈回復〉が効かない?)
平白蛇の毒なら〈回復〉が効くはずなのである。
(平白蛇の毒ではないのか?)
何かが差し出される。青ポーションだ。ジンガーがノーマの部屋から持ってきてくれたのだ。ノーマはジンガーの手からひったくるように青ポーションを受け取り、かみもせずにごくんと飲み込む。たちまち魔力が補充される。
解毒剤を調合するのは間に合わない。そもそも材料を施療所に取りにいく時間がない。
ジンガーに、誰かから緑ポーションをもらってくるように言いかけて、やめた。
そんな時間はない。
毒は今にもプラドを殺してしまう。
可能性があるとしたら。
祖父の命を救う可能性があるとしたら。
「マーラー神よ!」
叡智の神の名を呼びながら、ノーマは杖をかざした。そして魔力のありったけを杖に集め、必死の願いを込めてその魔法の呪文を唱えた。
「〈浄化〉!」
何も起きない。
と思えた次の瞬間。
ふわりと湧くように、杖の先に青い光が宿った。
そしてその青い光の玉は、針を抜き取ったその跡にまっすぐ落ちて、プラドの体にしみ込んでいった。
発動できると思っていたわけではない。だが母の血を引く自分は、いつか〈浄化〉が発動できるかもしれないという思いは、ずっと心の奥にあった。そして今、〈浄化〉を発動する以外に祖父を救う手だてはなかった。だから無理だろうと思いながら試みたのだ。
ノーマは意識を失った。




