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ゴンクール家の門をくぐった馬車は、本館には向かわず、東にある別館に向かった。
別館正面口で降ろされたノーマは、カンネルの案内で二階の奥に向かった。
奥まった部屋に貴人が寝ており、そのそばにプラド・ゴンクールが座っている。
上等のお仕着せを着た若い使用人がカンネルに近づき、小さな声で言った。
「奥様はお嬢様を連れてお部屋のほうに下がられました」
カンネルはうなずいて応え、当主にあいさつした。
「ただいま戻りました。ノーマ様をお連れしました」
プラドは立ち上がってノーマを迎えた。
「ご足労いただき、感謝する」
「お呼びとお聞きしました。診察するというのはこのかたですか」
「ノーマ殿とははじめてじゃったかな。これはドプス。ゼプスの弟じゃ」
このときノーマは、部屋にもう一人の人物がいるのに気づいた。知人だ。
「オスパル殿がお越しでしたか」
オスパルは施療師だ。ノーマよりずっと年長で経験も豊かだ。この人物が来ているのに、なぜ自分までが呼ばれたのかノーマは不審に思った。
「ノーマ殿。お忙しいところ申し訳ない。私が来たときには、すでに亡くなっておられた。毒ではないかと思うのじゃが、私は毒には詳しくない。あなたが、いくつかの毒について判定の方法があると言っておられたのを思い出してのう。プラド様に申し上げてお呼び立てしたのじゃ」
「そうでしたか」
「傷口はここじゃ」
携帯用の〈夜光灯〉を近づけてみると、首筋に小さな傷があった。相当深い傷だ。
「太い針のようなもので突かれたようですね。針はどこにありますか?」
「それが、どうにもみつからんのじゃ」
ノーマは、部屋を明るくさせ、テーブルの上を片づけさせ、水差し一杯の水を要求した。調薬皿をいくつも並べ、持ってきた試薬を手際よく調薬皿に入れ、水を注いで混ぜた。
この試薬も、父の労作だ。昔から、生き物や魔獣に由来する毒物は、ある種の鉱石と反応させると、それぞれちがう結果を生じるということはいわれていた。父は恵まれた環境のなかで、ありとあらゆる鉱石を入手し、使用人たちにすりつぶさせ、実験を繰り返し、代表的な毒物十六種類を判定できる鉱石の調合を確定した。
わかってしまえば、少量の鉱石を手に入れることはむずかしくない。一回の使用量はごく微量なのだ。
死者の口の粘膜から採取した体液を、慎重に試薬に加えていった。
「まちがいありません。〈平白蛇〉の毒です」
「やはりそうじゃったか」
オスパルもそう診立ててはいたようだ。
プラドの表情は硬い。
カンネルが、オスパルに頭を下げた。
「オスパル殿。ありがとうございました。どうか今夜はこれでお帰りください。申しわけございませんが、今日この館でごらんになったことは、ご内聞に願います」
「わかっとりますよ。ではな、ノーマ殿」
「はい。失礼します」
その後ノーマは別室に案内され、茶を出された。
ノーマの前のソファーにはプラドが座り、その斜め後ろにはカンネルが立っている。
しばらく茶の温かさを味わっていると、プラドが口を開いた。
「ノーマ殿。これからわしは、あなたに一つの提案をする。しかしその前に、少しばかりわが家の事情を聞いてもらわねばならぬ」
「はい」
「あなたはロクソナの出を知っておるかな」
ロクソナはノーマの母であるコロナの母だ。つまりノーマの祖母である。目の前のプラドの側室だった女性だ。
「出というのは出自のことですか? いえ、知りません。ただ、あなたの妻を名乗るには身分が低すぎたと聞いています」
「低くはない。なにしろロクソナは、ビゴーのオカルテ家の出であった。じゃから、正妻のナラエより、むしろ身分は高かったのじゃ」
「え? しかしナラエ様は、サワジエ家のご出身でしたね?」
「そうであったとしても、オカルテ家はビゴーの名家であった。サワジエ家より歴史は古く、名は高い。じゃがオカルテ家は断絶してしまい、ロクソナは後ろ盾を失うた」
「そうだったのですか」
「しかもナラエは、サワジエ家の実の娘ではない。ラモー商会の娘だったのじゃ。わしのもとに嫁ぐときに、サワジエ家の養女となり、貴族家から貴族家への輿入れという形を整えたのじゃ」
「え」
「じゃからかもしれん。ナラエはロクソナを激しく憎んだ。当時わが家はラモー商会の協力を失うとまずい立場だった。じゃからコロナにはつらい思いをさせた」
「そうだったのですか」
「コロナからロクソナのことは聞いておらなんだのか?」
「やさしい人であったと聞いています」
「そうか」
しばらく思い出にひたるように、プラドは目を閉じた。
「ナラエはわしの子を四人産んだ。そのうち長男と三男は幼くして亡くなった。わしは次男のトンナラを家督相続者に指名した。少し体の弱い子でなあ。五年前に亡くなった」
そのことについてはノーマも知っていた。
「トンナラには三人の子があった。長男ゼプス、次男ドプス、長女テンドリアじゃ」
そのゼプスは、昨年レカンに首を斬り落とされた。話を聞いたときは、ノーマも驚きのあまり声を失ったものだった。
「トンナラの死後、わしはゼプスを家督相続者に指名した。じゃがゼプスは死んだ。じゃからゼプスの弟のドプスを家督相続者に指名するつもりであった。そのドプスが、今日、死んだ。健康で聡明な子であった。だから殺された」
プラドの目は厳しい光を帯びていた。そしてその厳しさのなかに、限りない悲しみを、ノーマは読み取った。