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狼は眠らない  作者: 支援BIS
第35話 ゴンクール家の後継者
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 マシュカ・ペーレは、ルドヴィシア地方の有力な君主だった。ペーレ家は古くからの名家だったが、めざましく勢力を伸ばしたのはマシュカの父の時代だ。

 マシュカの父は、戦に強く、味方を遇すること厚く、信義を守り、領民をいたわった。その声望は遠方にも及び、匪賊はルドヴィシア地方から姿を消し、周辺諸侯はこぞって庇護を求めたという。

 老いて体調が悪化して床に就くや、自分の死後の一族の繁栄を願って、重臣を集めて遺言を残した。それはおおむね重臣たちの世代交代に関する内容で、ペーレ家の財産に関する指示も多少含んでいたが、最後に少々変わった内容があった。

 それは、愛妾のタニダについてだった。

 愛妾といっても、それは身分だけのことであり、タニダを閨に呼んだことはない。かいがいしく丁寧に老齢の自分の世話をしてくれるこの若い娘の先行きを、マシュカの父は心配していた。

「わしの死後、タニダはしかるべき家に嫁がせよ。不自由がないだけの持参金を付けてやれ」

 当時、愛妾や老臣は君主の死の際、共に墓に入る風習があった。自分の死後周りの者が若いタニダを殉死させることがないよう、わざわざ遺言したのだ。

 それから二年の月日が流れた。

 病み衰えたマシュカの父は、いよいよ死のうとしていた。だが死ぬ前にマシュカと家宰を呼んで、新たな遺言をした。

「タニダはわしとともに墓に入れよ」

 マシュカと家宰は謹んで拝命した。その三日後父は死んだ。

 マシュカは父の葬儀を執り行ったが、タニダは墓に入れなかった。そして喪が明けるや早々にタニダを再婚させた。

 このマシュカの遺言不履行を、家宰は一族の長老に訴え出た。

 当時の貴族社会にあって、父親の遺言は子にとって絶対であり、当主の遺言は残された一族にとって絶対であった。父にして当主である人の遺言を踏みにじったとなれば、家督を後継するどころか処刑されかねなかった。

 一族の重鎮たちの前で、マシュカは弁明の機会を与えられた。

「わが父は慈愛深く、おのれの欲を先に立てぬ人でありました。利益はむさぼらず親族や部下に分かち与え、苦難は一人抱え込んで人にはみせませんでした。多くの有力者が父の徳を慕い、わが父を盛り立てました。ゆえに父はこの地方最大の勢力を得るにいたったのです」

「父は二年前、遺言しました。自分の死後タニダはしかるべき家に嫁がせよ、困らぬだけの持参金をつけてやれと。私は思いました。これこそ父の遺言なりと。この思いやりこそ父なり、この慈愛こそ父なりと。ところが死の三日前、父は家宰と私を呼び、ちがう遺言をしました。タニダを自分の墓に入れよと」

「二つの遺言のうち、どちらが本当の父の遺言なのでしょうか。どちらが本当の父の心なのでしょうか。どちらの遺言を採るのが子としての正しい道なのでしょうか。もちろん、世の習わしに従えば、あとの遺言が有効であり、先の遺言はあとの遺言によってかきけされてしまいます。それはわかりきったことです。ですが私は、そのわかりきったことが正しくない場合があるのではないかと思うのです」

「長老がたよ。思い出していただきたい。父の人生を。父の生きざまを。父はタニダのような若い娘を、死の旅に連れてゆくことに満足するような人であったでしょうか。父はそのような心の持ち主だったでしょうか」

「六十二年の人生を雄々しく生き、その人生のほとんどの時間で、思いやりのある選択をしてきた父が、人生の最後のたった三日間、老いと病からくる心細さに負けて、優しきタニダを殉死させるよう言いました。私は遺言を守ることを父に誓いました。その誓いを聞いた父は、心安らかに冥神のもとに旅立ったのです」

「父が心安く現世のわざを終えた以上、タニダを殉死させる必要はありません。人生の最後の三日間をのぞけば、父はタニダを殉死させようとはしなかったはずです。六十二年間と三日間と、どちらの父が本当の父なのでしょうか。六十二年間父が積み上げてきたものが、たった三日間の心の迷いにかきけされてよいものなのでしょうか」

「考えてもみてください、長老がたよ。タニダを殉死させれば世の人は何と言うでしょう。老いの寂しさから将来のある若い娘を道連れにしたと、そう言うでしょう。しかし父はそのような人では断じてありません。父をそのような人間におとしめることこそ、子としてしてはならないことなのではないでしょうか。私は決心しました。死が迫り心に迷いを生じた最後の三日間の父の遺言ではなく、心正しき判断のできた二年前の父の遺言に従うことこそ、正しく父の心に従うことであり、子として父をはずかしめぬ道であると」

 マシュカは満場一致で許され、当主の座についた。

 その後ペーレ家は大いに繁栄した。

 二つの後日談がある。

 父の死から五年後、マシュカは重臣の裏切りに遭い、絶体絶命の危機に陥る。だがそのとき戦場に一体の腐肉王(ヌルエル)が現れ、敵軍を鎧袖一触に蹴散らし、マシュカは窮地を脱する。

 その戦場にいた何人かの兵たちが、奇妙なことを言った。腐肉王が身に着けていた服は、タニダが父に贈った服であったというのだ。

 タニダの父は、マシュカがタニダを再婚させた時点では存命であり、マシュカのはからいに涙を流して感謝したが、その後病で死んだという。

 人々は、タニダの父が、恩人であるマシュカの危機に際して腐肉王となってよみがえり、恩を返したのだと噂し合った。

 もう一つの後日談は、運命というものの不思議さを知る好例である。

 タニダは再婚先で四人の男児を産んだ。四男は長じて英雄となり、戦乱の続く中原を平定してザカ王国を打ち立てる。

 その英雄は、おのれの母の恩人を忘れなかった。マシュカを侯爵に封じ、手厚く遇したのである。

 ペーレ家には新しい家名が与えられた。

 ラインザッツという家名が。

 現在に至るまで、ザカ王国の最も高貴にして最も権勢のある家であることはいうまでもない。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 短いエピソードですが教訓としてよくまとまってて 民話として似たようなのが実在してもおかしくなさそう
[一言] 先の話で「王家に対して受ける印象がきれいすぎる」的なことを言われた逸話 改めて見てみると確かにそういう感じしますね、後日談の2つ目は何かとってつけたような話に見えます 恩着せがましいというか…
[良い点] 腐肉王、こちらにでていたんですね。 気がつきませんでした。 ここでの記述から、ユフ迷宮のことで二つ、思い描いたストーリー展開があります。 だけど、それはここに書かずに、8月以降の現れ…
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