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「お前さんのその左目はどうしたんだ?」
「タントラン迷宮の四十二階層でな」
「三尾大蛇の毒液か? あれはたちがわるいからなあ」
「そうだな。ところで、どうしてあんた、イライザの護衛なんかやってるんだ?」
「お前さんが〈グリンダム〉と組んでたことは、統括所も知っとる。〈グリンダム〉の顔を知っとる職員が何人か、今朝、迷宮の入り口で張り込んで〈グリンダム〉をみつけて、お前さんの居場所を聞いた」
どうしてここがわかったのかと思っていたが、聞いてみればもっともな話だ。実に当たり前の探し方をしてくれたわけだ。
「そのまま〈グリンダム〉に案内させようとしたが、約束があったようで断られた。この辺りのことならわしが詳しいだろうというんでお嬢がわしを呼び出した。〈ラフィンの岩棚亭〉ならよく知っとるよと答えたもんで、案内兼護衛に任命されちまったと、こういうわけだ」
「ただの冒険者にしては、大貴族の令嬢と仲がよすぎるようだが」
「ああ。わしはお嬢の父親の剣術指南だったからな」
「なに? 貴族が冒険者から剣を習っただと?」
「実にばかばかしいなりゆきでな。お嬢の父親は今の侯爵の弟なんだが、剣術指南に当時のツボルト騎士団長が就くことになった。ところがこの騎士団長が、わしに勝って武威の証しを立てると言い出してな。どこでどういう話になったものやら、騎士団長とわしが、お嬢の父親の剣術指南の地位を賭けて戦うことになった」
「よほど強い騎士だったんだな」
「いいや。ただの馬鹿だよ。たかが諸侯騎士団の団長が迷宮深層の冒険者に勝てると本気で思っとったんだ。いい恩寵品をどっさり持ってたからかもしれん。その恩寵品を手に入れたのが誰かということには考えが及ばなかったんだな」
「勝ったのか?」
「勝ちたくはなかった。わしはあらゆる手を使って負けようとした。だがやつのほうがうわてだった。わしがみせた隙はことごとく無視された。最後には、わざわざ両手を大きく開いて隙をみせたのに、やつは頭を攻撃せず、わしの胸に剣を撃ち込んだ」
「ほう」
「頭に斬撃を入れてくれたら、うまく演技して倒れるつもりだったんだ。だが、胸じゃあなあ。革鎧に少し傷が付いたぐらいで倒れたら不自然だしな」
「それで?」
「わしはちょっと身をかがめて痛そうな振りをした。ところがやつはそこまでの戦いで疲れきっておったんだな。後ろにひっくり返って、頭を打って気絶した」
「勝ったというより、向こうが勝手に負けたんだな」
「そういうことだ。ぐっくっくっ。わしは柄にもなく貴族の剣術指南なんぞするはめになった。そんなわけで、お嬢とも生まれて以来の付き合いなんだ」
「ここは〈剣の迷宮〉だろう? 凄腕の騎士がいそうなものだが」
「いるよ。副団長から下はそこそこやる。団長は家柄だけで選ばれるからな」
「なるほど」
「とはいえ、しょせん迷宮都市の騎士団だ。強いといっても知れている」
「迷宮都市の騎士団は弱いのか?」
「弱い。あ、ユフ騎士団は例外だ。あそこの騎士団は数は少ないが精鋭ぞろいだ。しかもふんだんにポーションを持ってるからな。同数で対抗できるのは王国騎士団、スマーク騎士団、ギド騎士団、それに五つの男爵領の騎士団ぐらいだろう」
「どうして迷宮都市の騎士団は弱いんだ?」
「そもそもこの国では諸侯同士の戦争は禁じられとるし、長年他国との戦争もない。だからあるのは小競り合いや盗賊団や魔獣の討伐、それに治安維持だ。治安維持以外は冒険者を雇ったほうが早い。対立する諸侯も迷宮深層の冒険者に乗り込まれたら困るからな。騎士団よりよっぽどにらみが利く」
「よくわかった。それであんたは、侯爵の弟の剣術指南を長年やって、侯爵家の信用を得ているというわけだ」
「剣術なんか教えていないんだがな」
「何を教えたんだ」
「悪い遊びを教えた。それがどういうわけか、父親の前侯爵と兄の現侯爵に気に入られてな」
「ふうん」
「ところでレカン、さっきのあれ、ナルーム式の礼法だろう? お前さん、あの国の騎士だったのか?」
「いや。仕事の必要上覚えただけだ」
二人はナークとネルーの心尽くしの料理をつまみながら、ふるさとの話に興じた。
迷宮の話で大いに盛り上がった。
まさかこの世界で、こんな話のできる相手に出会うとは思わなかった。
この場にボウドもいれば、さらに楽しかっただろう。
ボウドはどこにいるのだろうか。
そもそも、この世界に落ちているのだろうか。
ゾルタンは、したたかに酔った。
ゾルタンにとっては五十年ぶりの話題だ。
酔いたい気分なのだろう。
酔いに任せてゾルタンは、ふるさとの世界の言葉で詩を吟じた。
〈遙かなふるさとの〉
〈トラキスタの緑の丘の〉
〈紅きクシャナの小さな花よ〉
〈やすらぎの眠りに〉
〈そよぐ風は優し〉
〈そよぐ風は優し〉
「この歌をいい声で歌ってくれた女がいた」
「そうか。名前は?」
「それを思い出せん」
「そうか。まあ飲め」
「うむ」
香り豊かな酒を、ゾルタンはくいっと喉に流し込んだ。
「うまい。うまいなあ」
しばらく陶然と酒の味をかみしめたあと、思い出したようにゾルタンは言った。
「なあ、レカン」
「うん?」
「スパルカントに行ったことはあるか?」
「いや、ない」
「そうか。いいところだぞ」
スパルカントは平和な国だったという。王都近くのトラキスタの緑の丘は、とても美しかったといわれている。その国は滅びてしまい、緑の丘も焼きつくされ荒れ果てた。レカンが生まれるより前のことだ。だがそのことをゾルタンに教えようとは思わなかった。
「あっちに帰ったら、ぜひ行ってみるといい」
「帰る?」
「ああ。落ち人の前には、いつか再び〈黒穴〉が現れる。それに飛び込めばもとの世界に帰れるんじゃないかと思う」
「帰ったやつがいるのか?」
「さっき話した同郷人たちは、〈黒穴〉に飛び込んで消えた。みた者がそう言っていた」
「そうか」
「わしの前にも〈黒穴〉が現れたことがある」
「なんだと」
「だがわしは、飛び込まなかった」
「どうしてだ?」
「さあ。どうしてかな」
ゾルタンは、くいっと、酒をあおった。
「忘れてしまったよ」