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ドアを開けた人物は、すぐには建物のなかに入ってこなかった。
代わりに入ってきたのは、迷宮事務統括官イライザ・ノーツだ。
「失礼する」
その後ろから、大男が身をかがめながらドアをくぐった。
異様な男だった。
身長はレカンより高い。ひょろりと痩せているが、骨は太く、骨に張りついた筋肉は強靱さを失っていない。風通しのよさそうなシャツの上に革のベストを着ている。ズボンは頑丈そうだ。そして腰にロングソードを吊っているのだが、身長と比べればずいぶん小さくみえてしまう。
老人だ。相当の高齢だ。だが生命力にあふれている。
何より異様なのは、右耳の前から口の三分の一ほどまで、ごっそり肉がえぐれていることだ。その部分では歯がむき出しになっていて、頬骨が露出している。
来客に気づいたナークが厨房から出て来て、足を止めた。
「こりゃまあ、なんて懐かしい。ゾルタンじゃないか!」
「ぼうず、久しぶりだな」
「はっはっはっはっはあ。こんなおやじをつかまえてぼうずかい。まあ、そんなとこに立ってないでこっちに……」
そこでナークはイライザをみた。貴族だということはみればわかる。それも非常に高位の貴族だ。
凍りついてしまったナークに、レカンが声をかけた。
「迷宮事務統括官のイライザ・ノーツ殿だ。侯爵の姪だったかな」
「とっ、とっ、とう、とうかつ、かん? こ、こう、こう、こう」
「お前さんがレカン殿か」
「ああ」
「わしはゾルタン。今日はお嬢の護衛兼道案内で来た。お嬢を座らせてもらえるかな」
「ああ。気が利かなくてすまん。統括官殿、座ってくれ」
「礼を言う」
そのままイライザは少し待ったが、誰も椅子を引いてくれないので自分で引いて座った。
「外の四人は入ってこないのか?」
「あんまり大勢で押しかけちゃあ、まずいかと思ってな。外で待ってもらうことにしたよ」
「なるほど。あんたは座らないのか?」
「わしは立っておくよ。お嬢の護衛をしとるあいだはな」
「好きにするさ」
ゾルタンは、ナークにむかって、ひょいと厨房のほうを指した。席をはずせという合図だ。ナークはおとなしく奥に引っ込んだ。
「レカン殿、ひどいではないか」
「いきなりだな、統括官殿。オレが何かしたか?」
「テルミン老師は王都に帰ると言っている。弟子たちを引き連れてだ。いったいどうしてあんなことをしたのだ」
「あんなこととはどんなことだ」
「ツボルト迷宮での仕事をやめて王都に帰るよう言ったのであろう」
「そんなことは言わん。そもそもオレはあのじいさんが王都から来ているとは知らなかったしな」
「では、なぜ、老師は急に王都に帰るなどと言い出したのだ」
「一昨日オレが統括所を出たあと、何があったんだ?」
「テルミン老師が私に面会を求めた。冒険者レカンが大金貨一枚を支払って受けた秘密鑑定について、立会人グィスランが誓約を破って鑑定書を盗みみてその内容を統括官に報告し、報告に基づいて統括官は冒険者レカンにその秘密鑑定の内容を知っていることを明かし、あまつさえ、立会人グィスランが鑑定書の内容をみたのだとお認めになった。この件について、何かご釈明はありますか。いきなりそう尋ねてきたのだ」
「ほう。あんたは何と答えたんだ?」
「侯爵家の秘事に関わることなので答えられない、と答えた」
「へえ。じいさんは、それで引き下がったのか?」
「いや。さらに聞いてきた。今までも、秘密鑑定の中身は盗みみられ、報告されていたのですな、とな」
「踏み込んだな。統括官殿は、それに何と答えたんだ」
「盗みみたのではない。侯爵家として知っておくべきことを知っただけのことである。そう答えた」
「あんた……いや、まあ、いい。それで終わりか?」
「終わりではない! テルミン老師はこう言ったのだ。ただいまかぎりで自分と自分の弟子はこの町を去る、未払いの報酬は王都に送ってもらいたいと」
「ほう。いさぎいいな。しかし、テルミンのじいさんは、てっきりツボルトの領民か、ツボルト侯爵の家臣だと思ってたんだが、王都にも家を持ってたのか」
「貴殿、まさかテルミン老師を知らんなどと言うつもりか」
「ここの買い取り所で知った」
「冗談を言われては困る。テルミン老師といえば、剣の鑑定については王国最高峰といわれる人ではないか」
まさかそこまでの人物とは思わなかった。
だがよく考えてみると、ここはツボルトだ。〈剣の迷宮〉だ。たぶん王国のなかで、量においても質においても最大最高の剣が得られる場所だ。王国で最も優れた剣の鑑定士が集まることに、何の不思議もないのかもしれない。
「私は聞いた。なぜお帰りになるのか。約束の期間は終わっていないと。すると老師は答えた。侯爵閣下が私との約束を破った。誓いはけがされ、踏みにじられた。ゆえに私は帰るのだと」
(案外激しい気性だったんだな、あのじいさん)
「このことをお聞きになった伯父上の、侯爵のお怒りはすさまじいものだった。額を地面にこすりつけてでも老師にツボルトに残ってもらえとの仰せだ。私は老師を訪ねた。すると、まずレカン殿に謝罪するのが先だというのだ。それでここにやって来たのだ」