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第二階層に下りた。
やはり、ごつごつした岩の迷路が広がっていて、薄暗い。
この世界の迷宮は、どの迷宮のどの階層も、このように薄暗い岩の迷路なのだろうか。
もとの世界の迷宮は、階層によっては草原だったり、森だったり、山だったりした。明るい階層もあったし、暗闇の階層もあった。もちろん、この世界の迷宮が、それと同じでなければならない理由もない。こういう迷宮も新鮮で、おもしろみがある。
それはよいのだが、道が狭いので、冒険者たちをやり過ごすのがむずかしい。
できるだけ迂回するようにしているのだが、迂回がひどく遠回りになる場合は、冒険者たちの横を走り抜けた。すり抜けるだけの空間がない場合は、話しかけて脇にどいてもらった。
この階の魔獣は、木狼だ。
ヴォーカの町でも番犬のように飼われている魔獣である。攻撃性は高くないようで、こちらから襲いかかるか、よほど近くに寄らないと攻撃してこないようだ。
五頭ほど出会い頭に殺した。三頭目を殺したとき、死骸がふっと消え、あとに奇妙な小箱があった。
開けてみると、薄紅色の小さな丸い物が入っていた。
取り出した。
レカンの人差し指の、その先端から第二関節までと同じか、やや小さいほどの大きさだ。
硬くはない。かといって柔らかいともいえない。指で押すとへこむが、力をゆるめるともとに戻る。むかしどこかでみた何かの卵と似ている。だが記憶のなかのその卵より、張りがある。強く押せばつぶれてしまうだろう。なかには何か液体が入っているようだ。
これはいったい何なのだろうかと思いながら、〈収納〉に入れた。
下りの階段に向かって走るレカンの前方で悲鳴があがった。
「誰か! 助けてくれ!」
少年といってよい、若い男の声だ、少し進むと視界が開けて状況がわかった。
一人の少女が傷を負って倒れている。その少女をかばうように、一人の少年が短めの剣を持って立っている。その正面では木狼が一匹うなり声をあげ、身をかがめている。跳躍の予備動作だ。
大きな木狼である。ここまでにみた木狼の二倍以上の大きさだ。
その大きな木狼が少年に飛びかかった。
ちょうどそのとき、その地点に差しかかったレカンは、剣を一閃させ、巨大な木狼を真っ二つに裂いた。木狼は消え去り、一つの宝箱が残った。
走り去りかけていたレカンはくるりと向きを変え、宝箱の場所に戻った。
開けてみると、鞘付きの短剣が一本入っていた。
短剣を取り出すと宝箱は消えた。
「あ、ありがとう、ございます」
少年が礼を述べた。
頬を魔獣の爪がかすめたようで、二筋の傷がつき、そこから血が流れている。
べつにこの少年を助けようと思って木狼を倒したわけではないが、獲物を横取りされたと言われるより、ずっとましだ。
レカンは短剣を〈収納〉にしまった。ただし少年の目の前なので、左手で外套の襟を右に引き、その外套に隠し込むように短剣を収納した。これで少年からは、外套のなかに〈箱〉機能のついた袋があるか、さもなければ外套そのものに〈箱〉機能をつけたと思うはずだ。
ふと思いついて、レカンは先ほど宝箱から得た、薄紅色の丸い奇妙な物を取りだして、少年にみせた。
「おい」
「は、はい」
「これは何だ」
「え?」
「これは何だと訊いている」
「そ、それは赤ポーションです。赤の小ポーションです」
「これは何に使う」
「え? 怪我や疲れを癒します」
「ふむ。ポーションには、ほかに何がある」
「え? ええっと、赤ポーションは、大中小の三つです。大きいほど効力が高いです。青ポーションは魔力を回復します。これも大中小の三つがあります。黄色のポーションもあります。これは状態異常を解消するそうです。それから、緑色のポーションは毒消しです。普通に売っているのはこの四種類ですが、ほかにも迷宮からは変わった色のポーションが出て、特殊な機能を持っていると聞いています」
「お前はこれを持っているのか」
「えっ? いいえ、そんな。ぼくたちは普通の薬を買うので精いっぱいです。赤ポーションがドロップしたら、売ります」
「そうか。なら、これを使え」
レカンは、ぽいと赤ポーションを少年に投げ渡した。
少年は反射的にそれを受け取ったが、受け取ってからあわてた。
「だ、だめです! こんなもの、使えません」
「お前ではない。その女にだ」
そう言われて少年は足元に倒れて動かない少女をみた。
狼の爪で掻かれたのだろう。胸元に三筋の傷があり、出血している。そして綺麗な顔にも三筋の傷がある。
「わ、わかりました。使わせていただきます」
少年は何かを決意したような表情をした。そして赤ポーションを少女の口に押しつけるが、少女は口を開こうともポーションを飲み込もうともしないようだ。
少年は赤ポーションを自分の口に入れ、かみつぶした。そして自分の口を少女の口に押し当てた。
ごく、ごく、と少女の喉が動く。
その効果は劇的だった。
頬の傷がすうっと消えた。そして胸の傷もみるみる治った。
(ほう)(下級のポーションでも)(これほどの効果があるのか)
少年は感極まったのか、少女の体を抱きしめて震えている。
「ポーションは飲むものなのか」
「えっ? いえ、傷が一か所なら、直接傷口に振りかけたほうが効果は高いそうです。でも……」
「わかった。もういい」
「あ、あの」
「うん?」
「ポーションの対価は何ですか。ぼくは何をしたらいいですか」
決然とした表情でそう言う少年の頬の傷もふさがっていた。
「対価は、もうもらった」
レカンはそう言い残して、その場から去った。