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狼は眠らない  作者: 支援BIS
第32話 コグルス領主からの依頼
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 三の月の十三日。

 治療を始めて十二日目である。

 初日以上に、大勢が詰めかけている。

 コグルス領主家次男リオル・シャルバトー。

 コグルス領主家騎士ジャコフ・ウォーレン。

 コグルス領主家施療師アテルナ。

 護衛の冒険者二名。

 コグルス領主家使用人二人。

 ヴォーカ領主クリムス・ウルバン。

 施療師ノーマ。

 施療師エダ。

 ヴォーカ領主家使用人ポーリン。

 そのほか廊下に立つ者も含めれば、コグルスから来た人間はすべて立ち会っている。

 その空間を確保するため、椅子や花瓶や小机などは、すべて撤去されている。

 ベッドには、ザック・ザイカーズが寝ている。

 その様子は十三日前の置物か古木のような様子とは、まったくちがっている。

 じくじくといやらしい匂いのする汁が体中を埋めたしわのあいだからにじみでている。

 口を開いてはあはあとせわしなく呼吸するのにつれて、胸がぱくぱくと動く。

 手や足はびりびりと震え、時折せつなそうに、あらぬ方向に動こうとする。

 拭き取っても拭き取っても、次から次に汗が出てくる。

 おぞましいといえば、おぞましい。

 だが、これが生きるということだ。

 生きていたいと望む命が今必死であがいているのだ。

「ただいまから、施術を始めます」

 ノーマの力みのない声が響き、わずかなざわめきがぴたりと止まる。

 今や聞こえるのは、ザックの呼吸音ときぬ擦れの音だけだ。

「この施術は、普通の治療とはちがいます。普通の治療は体に取り憑いた病魔を追い払いますが。今患者は臓腑と四肢と頭を、いわば冥界に奪われた状態です。その臓腑と四肢と頭を冥界の神より取り戻し、かつもとの生活が送れるほどの状態に戻すのが今日の施術です。幸いこちらには〈浄化〉の使い手がおり、生きた人間の世界に連れ戻しさえすれば、あとは劇的な回復が可能です」

 コグルス家の使用人二人は、それぞれベッドの両側に待機している。

 施術の途中でザックが激しく暴れることが予想される。

 そのとき施術が中断せずにすむよう、ザックを押さえつけるのが彼らの役目だ。

「長い施術となります。そのあいだ、施術にあたる私、アテルナ殿、エダの三人以外は、声を出すことも物音を立てることも許されません。患者は苦痛の叫びを上げるでしょうが、無視せねばなりません。余分な声や物音を立てることは施術を妨げる行為であり、患者を殺す行為です。沈黙を貫く覚悟のない人は、ただちに退出してください」

 ノーマは一同をみわたし、最後にベッドを取り巻く四人をみた。

 皆の目には決意の光が宿っている。

 ノーマが魔力回復薬を飲む。

 施療師アテルナも魔力回復薬を飲む。

 エダも魔力回復薬を飲む。

「では、施術を開始します。エダ」

 エダはうなずいて大きく両手を広げた。杖は持っていない。その両手に皆が注目している。エダは静かに手を下ろし、ザックの体にかざした。

「〈浄化〉!」

 そのとたん、エダの両手から青き燐光があふれ出す。その燐光はザックの全身をひたしてゆき、なおもあふれかえる。

「お、お、お、お、お」

 患者が声を上げている。

 青き癒やしの光は、まるで川の流れのようによどみなく、ザックの全身を洗う。

「お、お、お、お、お」

 天国にでもいるかのような、至福の笑みが、ザックのしわくちゃの顔に浮かんだ。

 だが、次の瞬間。

「ぎゃあああああああああああああああああああ!」

 魂の引き裂かれるようなすさまじい絶叫が、ザックから発せられた。

 呪われた状態が正常だと感じている身体が、癒やしの光を浴びて、この世のものとも思えぬ苦痛を感じているのだ。

 ベッドの両側の使用人二人が、必死でザックの体を押さえる。

「エダ。そこまでです」

 エダが〈浄化〉を停止する。ザックは、少しだけ楽になった様子だ。

「アテルナ殿。始めます」

「はい」

 ノーマが杖をかざして魔力を流し込む。一つ一つの臓腑の働きを、正常な状態に戻していくのだ。

「うっ、うっ、うっ、うぅっ」

 ザックがうめき声を上げる。死の世界は苦痛のない世界だ。今ザックは、苦痛のある世界に呼び戻されようとしているのだ。

「エダ。〈浄化〉を」

「はい。〈浄化〉」

 一つの内臓の処置が終わった。新たにかけた〈浄化〉を受け、処置の終わった部位は、みるみる健康で正常な状態に戻った。

 ノーマとアテルナがうなずき合う。術式は正しく進んでいる。

「そこまで」

 エダが〈浄化〉を止め、ノーマとアテルナが内臓の処理にあたる。

 エダの目はノーマとアテルナの施術を細かく捉えていた。

(うまいなあ)

(ノーマさんがうまいのはもちろんだけど)

(はじめてノーマさんの施術をみるアテルナさんが)

(こんなに上手に施術を進められるなんて)

(しかもノーマさんがやり残した部分を)

(的確に処理してる)

(やっぱりすごい人なんだ)

 何度も何度も〈浄化〉が繰り返され、ザックの体のさまざまな部位は、一つまた一つと地上に戻ってきた。

 そして一刻四半(五時間)にわたる大手術が、今や終わりを迎えようとしていた。

「よし。エダ。最後にたっぷりと〈浄化〉をかけるんだ。もう何の遠慮もいらない」

「はい。〈浄化〉」

 まるで部屋全体を満たすのではないかと錯覚するほど豊かな〈浄化〉の光がザックを包んだ。しわしわだった体は健康そうな張りを取り戻し、じゅくじゅくといやらしい粘液がにじみ出ていた部位はさらりと清潔さを取り戻してゆく。やがて、時間を巻き戻したかのように健康な体を取り戻したザックの姿がそこにあった。

 青い奔流が収まったあと、ノーマが杖をかざし、ザックの体を隅から隅まで検査した。そして杖を下ろし、ふうっと息をはいた。

「施術終了。成功だ。マーラー神に感謝を。皆さん、ありがとう」

 リオルがザックに取りすがって嗚咽を漏らし始めた。

 クリムスがノーマに向かって拍手をした。

 誰かがそれにならった。

 そして部屋中の人がノーマに拍手を捧げた。隅に立つ二人の護衛も拍手している。

 ノーマはエダとアテルナに拍手を送った。

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― 新着の感想 ―
さらりと書いているけど、5時間にも及ぶ大手術。 施術する3人はもとより、それを見守るだけだった方も凄まじい忍耐力。
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