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「どうですかな、エダ殿。こちらのバリンさんに、〈回復〉をかけていただけませんかな」
エダはにこやかな顔をしながら、またか、と心のなかではうんざりしていた。
今回は、隣家のミリルからの頼みが発端だった。
ミリルの夫は木工職人であるが、出入りしている屋敷の一つにカリゴス商店の主人の家があった。そのカリゴスが最近ミリルの夫に妙に好意的だと思ったら、家に馬車で訪ねてきて、エダを紹介してほしいと言い出したのだ。
ミリルは困り果ててエダに相談した。エダがカリゴスにあいさつしたところ、言葉巧みに馬車に乗せられて、バリンの家に連れて来られた。
カリゴスはバリンに貸しを作りたいようだ。と同時に、これを皮切りに、うまくエダを利用して無料で〈回復〉をさせようとしている。
こういう手合いには、もう何人も接してきている。エダはにこやかな顔のまま、カリゴスに言った。
「〈回復〉の依頼ですか。それなら施療師ノーマを通してください」
丁寧な口調だ。冒険者として現場に出るときは、丁寧な物言いではなめられてしまうから、はすっぱな口調にしているが、そうでないときは丁寧な話し方をするようにしている。実のところ、最近のエダは、丁寧な口調のほうがしっくりする気がしているのだ。
「いやいや。せっかくあなたをお迎えできたのですからな。とにかく〈回復〉をお願いします。もちろん正規の料金をちゃんとお支払いいたしますから」
「ならば今すぐお金をお支払いいただけますか」
「いや、それがですな。手持ちの金で足りると思っておったのですが、うっかりしておりましてな。あとで必ずお届けしますから、どうかまず苦しんでいる病人を助けてやっていただけませんか」
「あたいは施療師だけど、まだまだ知識が充分じゃないので、バリンさんがどういう病気なのかわかりません。ただ、〈回復〉では長患いの病気は完治しないことが多いですよ」
「おお! もちろんですとも。今の苦しみが少しでもやわらげば、それでよいのです」
「では借用書を書いてください」
「わかりました」
紙とペンを用意させ、カリゴスは借用書を書いた。
借用書をみたエダは、眉をひそめた。明らかに、こちらをだまそうとしている内容だ。冒険者にはむずかしい言い回しなどわからないだろうと思っているのかもしれない。
カリゴスにとって、金貨一枚などさほどの大金ではないはずだ。だが、金持ちの一部には、こういう人間もいる。彼らは、ただで手に入れられるものにはわずかな金を支払うのもいやなのだ。そして彼らは、値打ちのあるものを舌先三寸で手に入れる機会をいつも虎視眈々と狙っている。カリゴスには、エダがいいかもにみえたのだ。
「これだと、〈バリン氏が完治したら〉支払い義務が発生することになります。書き直してください」
エダは両親から読み書きを仕込まれている。少々むずかしい言葉でも読めるし理解できるのだ。
カリゴスは、ちょっととまどいをみせてから、借用書を書き直して、エダに差し出した。
「うん。これなら、バリンさんに〈回復〉をかければカリゴスさんが金貨一枚を支払ってくれることになりますね」
「もちろんですとも。では、〈回復〉をかけてやってください」
「署名をしてください」
「は?」
「この借用書には、カリゴスさんの名が一回しか書いてありません。これでは記名があっても署名がない状態ですから、正式の書類にはなりません。署名をしてください」
カリゴスは、しばらく凍りついたように動かなかったが、やがて爬虫類のような目つきをして、借用書に署名をした。
エダは白い杖を取り出して、バリンに〈回復〉をかけた。
カリゴスもバリンも、その〈回復〉が普通の〈回復〉とは少しちがっていることに気づかなかった。その〈回復〉は、青みがかった色をしていたのである。
バリンの苦痛は消え、長年苦しんできた病気は、嘘のように治まった。
三日後に、エダはノーマを伴って、カリゴスを訪ねた。
「ようこそお越しくださいました。バリンはすっかりよくなりましてな。実は以前に神殿の〈回復〉を受けたことがあるのですが、エダ殿の〈回復〉はまるでちがうと言っておりました」
「それはよかったです。料金を払ってください」
「いや、それがですな。お支払いしたいのはやまやまなのですが、今ちょうど手元不如意でしてな。恐れ入りますが、お支払いの用意ができましたらこちらからお伺いいたしますので、今日のところはお引き取り願えませんか」
これは、ただのいやがらせのようなものである。
エダが思い通りに扱えないと思ったカリゴスは、エダと懇意になることでうまい汁を吸うという計画を捨てた。そのうえで金貨一枚の支払いを引き延ばそうとしている。いずれ払うにしても、少しでもそれを先に延ばすことで、手持ちの金を減らさないようにしているのだ。あわよくばごまかそうという心づもりもあるかもしれない。
要するに、エダはなめられているのだ。
冒険者はなめられたら終わりだ。なめたまねをしてきた相手には、相応の痛みを味わってもらわねばならない。そして約束は守らせねばならない。約束を守らせることができないような冒険者だと思わせたままほっておけば、こういう手合いは次々に現れる。
「ノーマさん。聞いてくれましたね。カリゴスさんは、今手元にお金がないので、金貨一枚が支払えないということです」
「確かに聞いた。帰ろうか」
その二日後、カリゴスが馬車に乗ってエダの家に現れた。
「ひどいではないですか!」
「何のことですか?」
「あなたは! あなたは! 私に何の恨みがあって、私の商店が財政難だなどという嘘をチェイニー商店に告げたのですか!」
「友人の命の代金である金貨一枚が支払えない状態だとチェイニーさんに話しただけですよ」
「なんでそんなことを! おかげでうちの商店は取引を断られてしまった! あなたはこの損害をどう償うおつもりか!」
「あたいは嘘を言ってません。あなたは三日待っても約束した金貨一枚を持参せず、わざわざあたいが訪ねていっても、今手元にお金がないから支払いは待ってくれと言いました。あたいはそのことを茶飲み話でチェイニーさんと領主様にお伝えしただけです」
カリゴスの顔がこわばった。
「ご領主に、ですと?」
「ええ。そんな状態なら注文はみあわせねばならんな、とご領主はおっしゃってましたよ」
カリゴスは、たたき付けるように金貨一枚をエダに渡し、あわただしく出ていったが、馬車に乗る前に引き返してきて受取書を差し出した。それにエダがサインすると、礼も言わずに帰っていった。
(ミリルさんのご主人は得意先を一つなくすかもしれないな)
(そうなったら気の毒だけど)
(そこはどうしようもないよね)
その日の夕刻、領主の使いがやってきて、ただちに領主館に来てほしいと頼まれた。ノーマも呼ばれているという。最初はカリゴスがらみの話かと思ったが、使いの様子がただごとでない。何か緊急事態が起こったのだ。