1
1
レカンが宿に着くと、みおぼえのある男が宿の前に立っていた。
チェイニーの使いだ。
「あるじが夕食をご一緒にと申しております」
とりあえず宿に入って部屋をとり、水で体を拭いたあと、案内に従って歩いてきたら、繁華街の高級料理店に着いた。
個室に通され、出された酒を飲んでいると、ほどなくチェイニーがやって来た。
レカンは気取った料理屋で、しかも個室で仰々しく会食をするなどということはきらいなたちだった。
しかし今日は、ちょうど人目を気にしない所で信用の置ける人間と話をしたい用事があったし、チェイニーなら、ざっくばらんな態度をとってもかまわない。そのうえで、うまい食事とうまい酒にありつけるなら、こんなけっこうなことはない。
「いやあ、お元気そうで、何よりです。それに、なんとシーラ師のお弟子になられたそうですね」
「世話になった。報告が遅れてすまん」
ここは繁華街にある高級料理店である。
チェイニーは如才なくレカンをもてなした。酒も食事も大いにうまかった。この日の酒は思いのほか回りが早く、レカンはひどくよい気分になった。
「〈冷血〉マラーキスが持っていた奇妙な武器のことは、シーラ師に訊いてみられましたか?」
「シーラに? いや」
「では、一度おみせになるといいですよ」
そう言えるということは、マラーキスからチェイニーが押収した物と同じ物をレカンが持っていることを知っていることになるのだが、このときのレカンは、そこには気づかなかった。
「ほう」
「あれはシーラ師を通じて領主様がご購入になられたものなのです。秘密のことですがね」
「なに」
「シーラ師のご友人で、王都に住んでおられる魔道具技師のかたがお作りになったとか」
「そうなのか」
「レカンさんの故郷には、ああいう武器はなかったのですか?」
「ああいう武器はなかったな。しかし……」
あのような形をした武器があるとは思わなかったから、最初はひどく不思議な感じがした。だがレカンのもといた世界でも、赤火弾あるいは白火弾あるいは青火弾を呪文で発動できる杖などはあった。あったどころか、〈収納〉のなかに何種類か持っている。
それを説明しようと思ったのだが、心のなかで警鐘が鳴り響いた。
シーラは、レカンの〈収納〉のことは貴族や商人に知られてはならない、と警告した。知られれば、どんな手を使ってもレカンを奴隷にしようとする者たちが現れると。
考えてみれば、〈収納〉だけではない。
あのシーラでさえ、異世界の竜の魔石に目の色を変えた。あれと同等のものが、レカンの〈収納〉にはいくつも眠っている。そのほかの価値ある品々が眠っている。レカン自身には大した価値が感じられなくても、この世界の貴族や商人には大きな価値がある場合がある。
そんなものを持っていることを知られれば、狙われる。
いや、それを差し出して終わりなら、まだいい。だが、〈収納〉に何が入っているかいないかということは、他人には証明のしようがない。際限のない欲望が、レカンに襲いかかり続けることになる。
チェイニーは、レカンに恩義を感じているかもしれないし、人柄は善良かもしれないが、やはり商人だ。わずかな手がかりを与えただけで、レカンが持っている物品や能力や知識について、たちまち深く知ってしまうだろう。そしてすぐれた商人は、欲しいと思ったものを手に入れる手管を備えているものだ。それに対してレカンは、口がうまいほうではない。腹芸は苦手だ。つまり、戦えば必ず負ける勝負だ。
糸口を与えてはならない。チェイニーの前で、もとの世界の話は厳禁だ。
「しかし、なんですか?」
「いや、何でもない。そんなことより、あんたに会いたいと思っていたんだ」
「それはうれしいですね。何かお手伝いできることがありますか」
「迷宮について教えてほしい」
「迷宮について? しかしそれは、シーラ師のほうが、よほどお詳しいはずです」
レカンは説明した。
シーラは疲れきっていて、十日間ほどは休養を取ること。現に今は熟睡中であること。追い出されるように「迷宮に行け」と言われたこと。
「ははは。なるほど。しかもレカンさんにとっては、この十日間こそが、この世界の迷宮初挑戦の機会だということですね。そういうことなら、私の知っていることをお話ししましょう。ただし、迷宮についての私の知識は断片的で、不完全です。また、すべて伝聞なので、思わぬところでまちがいがあるかもしれません。ところで、ゴルブルの迷宮に入られるということなら、地図を取り寄せましょうか?」
「地図? 迷宮に地図があるのか?」
「ええ。販売されてますよ。この町でも扱っている商人はいます。ご入り用なら、明日の朝早々にお届けします」
「迷宮の地図には何が描いてあって、何の役に立つんだ?」
「最低限の地図では、各階層の見取図と、階段の位置が書いてあります。ゴルブル迷宮は、各階層がかなり広いので、目的の階層に早く行きたい冒険者にとっては、どこに階段があるかわかると、大変便利です。安物の地図だと、複数の階段のうち一つだけしか描いてなかったりしますがね。それから、少し上等な地図になると、出現しやすい魔獣や、出現しやすい位置も書いてあります。出現する魔獣がわかっていれば、いろいろと準備もできます。最上級の地図になるとドロップの種類と傾向、宝箱の出現実績なども書いてありますね」
「階段というのは何だ?」
「え? 迷宮には階層がありますから、下に降りたり上にあがったりするには、階段を使わなくてはなりません」
「ボスを倒さなくても次の階層に行けるのか?」
「ボス、というのは何でしょうか」
「ボス部屋にいるのがボスだ」
「ボス部屋とは何でしょうか」
かみ合わない話を少し続けたあと、レカンはこの世界の迷宮のあらましを教わった。
まず迷宮には階層がある。ゴルブル迷宮の場合は三十階層である。
階層は階段で降りることができる。階層のフィールドが狭い場合、階段は一つしかないこともあるが、ゴルブル迷宮の場合、最大の階層では五か所、最低の階層でも二か所は階段がある。
階段を使うための条件は存在しない。誰でもいつでも通ることができる。
下の階層ほど敵が手ごわい。特定の階層で出る魔獣の種類はほぼ決まっている。ただし迷宮や階層によっては、珍しい魔獣が出現することもあるし、まれには急に手ごわい敵が出ることもある。
階層をスキップする方法はない。三十階層まで行きたければ、二十九の階層を踏破するほかなく、三十階層から地上に戻るには、やはり二十九の階層を踏破するほかない。
階層ボスはいない。ボス部屋もない。ただし、各階層にはその階層を代表するような強力な魔獣がいて、これを倒したときには比較的宝箱の出現率が高い。
魔獣を倒すと、素材と魔石が得られる。魔石を取れば、魔獣は砂になる。
魔獣を倒した瞬間死骸が消え、宝箱が出現することがある。宝箱には希少な物品が入っている。おもな物品は、薬、守護石、武器、防具、装身具、宝玉などである。薬ひとつをとっても、宝箱から得られた薬はすぐれており、しかも劣化しない。その最高峰は〈神薬〉であり、あらゆる怪我や病を癒し、呪いを解き、失った手足やつぶれた目さえ再生させる。ゴルブル迷宮でも、最近では三年ほど前、出現している。ただしそれは表に現れたもののうちではということであり、表に現れずに取引されている〈神薬〉も少なくないといわれている。
各迷宮の最下層には、迷宮の主がいる。迷宮の主を倒すと迷宮のすべての魔獣がいったん消滅し、再び主が出現するまでの数日ないし数週間、ほかの魔獣も出現しない。そのため、迷宮を管理する貴族は、主を殺すことをいやがる。ただし主の討伐は名誉ある行為であり、表向きは禁止できない。
新たに迷宮が発見されると、王は貴族を差し向けて管理させる。この国では、王都以外の迷宮では、迷宮を中心に町が形成されたため、迷宮の名がその町の名となっている。
入場料を取る迷宮もあるが、ゴルブル迷宮に入場料はない。
迷宮に入るのに、何の資格もいらない。誰でもどの迷宮へでも自由に入ることができると、この国では定められている。ただし、理由があれば領主の判断で一時的に迷宮への入場を停止することはあるし、入場しようとする者に助言などをすることはある。ゴルブル迷宮の場合、入り口に兵士が立っていて、あまりに若年の者や、あまりに装備の貧弱な者は、入場をやめるよう助言する。
迷宮のなかでは殺人も窃盗も罪にならないが、通常、冒険者同士はつぶし合いをきらい、できるだけお互いに接触しようとしない。ただし冒険者を襲うことを専門にする冒険者も存在する。
一つのグループに上限はないが、あまり大勢では動きにくいし分配で紛糾しやすいため、五人から十人程度で行動する冒険者が多い。一人や二人での行動は危険すぎるので、仲間がいない場合は迷宮入り口前の広場で臨時のグループを作る。
「ソロで迷宮に入る人は、ほとんどいないのですが、レカンさんはお一人で行かれるのでしょうね」
「そうだな」
「あなたなら、どんな魔獣も冒険者も恐れる必要はないでしょう。しかしゴルブル伯爵の騎士たちには注意してください」
「ほう。手ごわいのか」
「うれしそうな顔をしないでください。手ごわいというより、めんどくさいんです」
「からむのか」
「からみます。よい品を手に入れた冒険者につきまとって難癖をつけ、安い金額で物品を脅し取ります。応じないと、非道な手段で手に入れたという噂を立てられたりします」
「迷宮内では殺すことも盗むことも罪にならないんだろう?」
「罪にはなりません。しかしあまりひどい噂を立てられると、何かとやりにくくなります」
「それはそうだろうな」
「それに、去年、こんなことがありました。ゴルブル伯爵の縁者にあたる貴族が、部下とともに迷宮で探索をしたのです。ところがある階層で魔獣に全滅させられました。その貴族は、恩寵つきの名剣を持っていたのですが、それをある冒険者が拾いました。迷宮で拾ったものは、拾った人の物になります」
「恩寵?」
「宝箱から得られる武器や防具や装身具には、能力を高める特殊な効果がついている場合があります。その効果を恩寵というのです。武器としては凡庸でも、恩寵がついているだけで価値がはね上がります」
「その剣がどうかしたのか」
「冒険者は、剣を自分で使うつもりでした。しかし伯爵の部下が、迷宮で得たものは競売にかけるべきだと言いつのり、圧力に負けて冒険者は剣を競売にかけました」
「ふむ。高くは売れんだろうな」
「はい。銀貨一枚でした」
「それはひどい。伯爵の圧力か?」
「その競売には、伯爵の代理人しか参加できなかったんです。入り口で警備していた伯爵の部下たちが、参加しようとする人を不審の疑いがあるとして、全員拘束してしまったからです」
「なるほど。伯爵がどういう人間か、およそわかった。礼を言う」
「本当に魔獣の情報はいいんですか?」
「それはいらない。楽しみが減る。ただあまり時間をかけずにある程度深い層まで行きたいので、階段の位置だけを書いた地図を、一枚手配してもらえるか」
「わかりました。宿にお届けします。それとこれはお願いですが」
「何だ?」
「ゴルブル迷宮で得た品は、素材も物品も魔石も、ゴルブルの町で売るべきだと、伯爵は考えています。だから、ある程度の品はゴルブルの町で売らざるを得ません。けれど本当によい品は、私に売ってください」
「覚えておこう」
「では、この袋をお貸ししておきます」
チェイニーは話の途中で部下を呼んで何かを命じていた。これを取りに行かせたのである。
「これは……〈箱〉か?」
「はい。たっぷり入れてお返しください」
「わかった」
その夜、レカンは久々にのんびりと睡眠を楽しむことができた。
シーラとの旅は有意義だったが、やはり緊張を強いられたからだ。
いくら猛獣が優しくて機嫌がよかったとしても、その猛獣と同じ檻に入れられて安心して眠れるものではない。
シーラは、どんな猛獣より恐ろしい存在である。そのそばで心からくつろぐことなどできるはずもなかった。