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(思いだした!)
〈花爛街〉の食堂で、ツキヨトビサワガニの脱皮したての甲羅にかぶりついたとき、ずっと心に引っかかっていたことを思い出した。
ツボルト迷宮についてシーラが言った言葉である。
あれはヴォーカで、〈ザカ王国迷宮地図〉を買った直後だった。チェイニー商店の馬車をヴォーカからバンタロイへ護衛する途中、各地の迷宮についていろいろと質問をした。あのときはシーラでなく、ニケだったか。こんな会話だった。
「ツボルト迷宮は百二十階層もあるんだな」
「まあ、自分の目で確かめてみるこったね」
かすかに引っかかりを覚えたので記憶に残った。
ニケは何を言わんとしていたのか。
ツボルト迷宮が百二十階層より深いと言いたかったのだろうか。
そもそも主のいない迷宮など、レカンには考えられない。
もとの世界の常識でも迷宮には主がいるものだった。こちらへ来てからも、それが揺らいだことはない。
迷宮には、主がいるものだ。迷宮の主というのは、ほかの魔獣とはまったくちがうもので、迷宮そのものと深く結びついているのだ。レカンはそう信じている。数え切れないほど迷宮を回るうちに、そう感じるようになったのだ。
ナークは、ツボルト迷宮の〈守護者〉はただ一体だという古い伝えがあると言っていた。そのただ一体の〈守護者〉こそが迷宮の主だ。この迷宮の真の〈守護者〉なのだ。
(ツボルト迷宮には主がいないという)
(だから迷宮が休眠状態になったことなどないという)
(だがそんなことはあり得ない)
(つまりツボルト迷宮は)
(まだ主が発見されていない迷宮なんだ)
(主はどこかにいる)
(たぶん百二十階層より下に)
(よし)
(待っていろ〈守護者〉とやら)
(オレがお前を殺してやる)
ばりばりと柔らかな甲羅をかみ砕き、両手をソースで真っ赤にそめながら、レカンは決心した。
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二の月の四十日、レカンとアリオスは百十二階層の普通個体と四戦し、そのあと〈守護者〉のいる部屋に入り、これを撃破して百十三階層に下りた。
「レカン殿。階段の空間を飛んで下りる術、お見事です。すっかり物にされましたね。でも、もういいんじゃないですか?」
「いいとは、何がだ?」
「歩いて下りましょう」
「お前、ちゃんとついてきてるじゃないか」
「鍛錬と思ってやってますが、速度が速すぎます。ひとつ間違えば死にます」
「迷宮とは、常に死と隣り合わせの場所なんだ」
「階段を移動中に首の骨を折って死亡したくありません。それに」
「それに?」
「現状では、階段を下りる時間を縮めても、一日に進める階層数は増えません」
それは確かにそうだった。
今戦っている敵は手ごわい。戦いそのものは短時間だが、密度はとてつもなく高い。一戦終わるごとに、へとへとに疲れる。〈回復〉をかけてはいるが、精神の疲れは取れはしない。そんな状態で階段を飛んで下りるのは、確かに無謀だ。
「わかった」
「えっ?」
「これからは階段は歩いて下りよう」
「言ってはみたものの、まさか聞いてもらえるとは」
「そのセリフは前にも聞いた」
「そうでしたね」
三の月の一日には休養をとり、二日には百十三階層の普通個体と三度戦闘し、〈守護者〉を撃破した。
三日には休養をとり、四日には百十四階層の普通個体と二度戦闘し、〈守護者〉を撃破した。この階層には、ほかにも探索中のパーティーがいたが、顔を合わすことはなかった。
百十階層以後、出現する魔獣は必ず恩寵品を持っている。もし五人で入ったら、五体の魔獣がすべて恩寵品を装備しているのだろう。
(アリオスなみに腕が立ち連携ができる仲間でなければ)
(かえって足手まといになってしまうだろうな)
五日には休養をとり、六日には百十五階層の普通個体と一度戦闘し、〈守護者〉を撃破した。
七日から三日間休養をとった。
レカンは三日間をほとんど寝て過ごした。
そして三の月の十日である。
「アリオス」
「はい」
「今日は普通個体の部屋には入らない。いきなり〈守護者〉の部屋に入る」
「はい。それがいいと思います」
普通個体の部屋に入って、その階層の魔獣の戦い方に慣れるとともに、こちらも腕を磨いて〈守護者〉と対決する。そんな構図が崩れている。
同じなのだ、結局。
普通個体だろうが〈守護者〉だろうが、一発勝負で倒すほかなく、手順が狂えばこちらが死ぬ。となれば、余分な消耗は避けて、ただちに〈守護者〉と戦ったほうが利口だ。
こうして二人は、百十六階層に下り、まっすぐ〈守護者〉の部屋に向かった。
「アリオス」
「はい?」
「この階層に、戦ってるやつらがいる」
「ほう」
「魔獣は五体。人間側は……十六人だな」
「そういう人数のパーティーもあるんですね」
「どうかな。そうかもしれんし、共同探索かもしれん。着いたぞ。ここだ」
二人は侵入通路に入った。
部屋に二体の〈鉄甲〉が湧く。
(今日は戦うべきでなかったかもしれんな)
疲れがたまっていた。
レカンもアリオスも、疲れきっていた。
肉体の疲労や損傷は〈回復〉で綺麗に洗い流されているはずなのだが、体の奥底にたまってゆく疲労感は、魔法では取れない。
下に下りるごとに、戦いは厳しくなり、敵との力の差は開いてゆく。
百十五階層の敵は、たぶんこちらより地力ではまさっていた。
その格上との戦いを、レカンの場合は〈威力剣〉と〈インテュアドロの首飾り〉の恩寵と速攻で、何とか勝った。アリオスも似たようなものだろう。
その無理が全身をむしばんでいるのだ。
最初はあれほど圧倒的だった〈威力剣〉も、かろうじて一撃で相手を倒せるという程度になってしまっている。
とはいえ、もう侵入通路に入ってしまっている。
戦う以外の選択肢はない。
(この戦いが終わったら)
(少し長い休みをとろう)
(エダの顔をみてくるのもいいかもしれんな)
(ジェリコに土産を買うのを忘れないようにしないと)
「さて、行こうか」
「はい」