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「レカン殿のもといた世界でも、今みたいなことはあったんですか?」
「もとの世界では、迷宮に受付なんぞなかったな。少なくともオレが行ったなかにはなかった。迷宮の近くには冒険者のたまり場があってな、そこで足りない人間を補うんだ」
「いろんな人がいそうですね」
「いろんなやつがいたな」
受付の建物を離れたレカンとアリオスは、そのまま迷宮に向かった。
ちょうど混雑する時間のようで、迷宮の出入り口の前ではあきれるほど多くの冒険者が並んでいる。鑑札を確認する兵士も増えている。レカンたちは列に並んだ。
「あっ、あんた。何日か前に会った人だね。稼げてるかい?」
五十二階層で出会った六人パーティーが、ちょうどレカンの前に並んでいた。
親しげに話しかけてきたのは弓持ちの青年だ。
「ああ」
ほかの五人も目であいさつしてきたので、レカンもあいさつを返した。
弓使いの青年はひどく陽気だ。
「いやあ、あのあと入った部屋で、魔獣がこーんなでっかいハルバードを持ってさ」
大きく両腕を広げて、ハルバードの大きさを表現しようとしたのだが、そのはずみで左手に持っていた弓が、前に立っていた大男の肩に当たった。
レカンは少し意外に思った。
その大男はとてつもなく腕が立つ。そのことは察知していた。だから振り回した弓など簡単にかわすと思っていたのに、かわさなかった。
(かわすまでもないと思ったのか?)
そのとき稲妻のような速さで大男が動いた。
振り返りざまに、ぶうんと右腕を振り、裏拳で弓使いの青年の頭を殴り飛ばしたのだ。
青年が五歩ほどもはじき飛ばされ、地面にたたき付けられる。
すでにレカンはそのとき魔力を練り始めていた。
レカンが素早く青年に駆け寄る。
「ニコス!」
「きゃあ!」
「あっ」
青年のパーティー仲間が上げる悲鳴にまじって、レカンの呪文が響いた。
「〈回復〉!」
はじけて割れかけた頭蓋骨が元通りに修復され、青年は一命を取り留めた。
そこに大男の追撃が来た。
その大男はレカンよりもわずかに背が高く、横幅ははるかに大きい。だがその動きは俊敏であり、まさに巨獣だ。大きくごつごつした五本の指を広げ、男の右手がぬうーっと弓使いの青年に伸びる。つかみつぶすつもりだ。
レカンは左手で大男の右手首をつかみ、大男の動きを封じた。
ぴたり、と動きを止めた大男は、怒りに燃え立つ瞳をレカンに向けた。
次の瞬間。
大男の顔から怒りが抜け、右腕からも力が抜けた。
先ほどの燃え立つような狂気はどこにもない。
大男は人のよさそうな笑いを髭だらけの顔に浮かべて弓使いの青年に向き直った。
「おお、にいさんや。そんなものを振り回すとあぶないでな」
それだけを今殺しかけた青年に言うと、何事もなかったように振り返り、前に進んだ。
大男の前にいる七人の冒険者は、大男の仲間だろう。八人とも桁違いの強者だ。そのことはもちろんわかっていた。だが、こんなまねをするとは思わなかった。
迷宮出入り口の近くには、治安維持のために兵士たちが立っているが、こちらをみてはいるものの、やって来ようとはしなかった。
この八人は、特別なのだ。
何をしても許されるのだ。
というより、誰も止められない。
このツボルト迷宮の最下層を探索する最強の男たち。
たぶんこの八人がその一角だ。
迷宮の深奥を探索する冒険者がまとう独特の空気を、彼ら八人はまとっている。
こういう冒険者を、レカンはこれまでに何人かみてきた。
迷宮深層の冒険者のなかには、普通の人間が持つ善悪の感覚が壊れてしまっている者がいる。というより、人間の限界の向こう側で戦う者には、多かれ少なかれどこか壊れたようなところがある。レカン自身にもその自覚はある。
領主の部下たちが手を出さないのも当然だ。出してもむだだし、最下層を探索できる冒険者を怒らせてしまう。
八人のなかで先頭を歩いていた剣士が振り返り、じっとレカンをみた。
赤くそそり立つような頭髪と、赤い口ひげと赤い顎ひげを持つ、燃えるような瞳をした剣士だ。
レカンは、その目をまっすぐにみつめ返した。
寒気のするような視線だ。
すさまじい圧力だ。
ぞくぞくする。
レカンは思わずかすかに笑った。
剣士は、えぐり込むような目でしばらくレカンをみたあと、薄い笑いをわずかに浮かべ、前に向き直って歩いていった。
「あんた、ありがとう」
「助かった。素早く〈回復〉をかけてくれて、ニコスのやつは命拾いした。おい、ニコス! この大馬鹿野郎! よりによって〈雷鳴と白刃〉にちょっかい出すとは! この旦那が助けてくれなかったら、お前死んでたぞ!」
「はああああーーー。びっくりしたーー。死ぬかと思った」
「死んでたんだよ、この馬鹿」
「ありがとうな。これを受け取ってくれ」
弓使いのパーティーメンバーが金貨を出したが、レカンは首を振った。
「オレが勝手にしたことだ。それより前が空いたぞ」




