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「おい!」
大男がナークを呼んだ。
「この酒、瓶ごとくれ」
棚からキゾルトのいぶし酒の新しい瓶を出し、テーブルに運んだ。封は切っていない。
「銀貨三枚だ」
大男は無言で金を出した。
やはり金は持っているようだ。
金を受け取ると、ナークは調理場に移動し、〈着火〉の魔法で小枝に火を着け、ポスの干物を軽くあぶった。
皿に載せてテーブルに運ぶ。
「あ。ポスの干物ですね。いい匂いだ」
「これは店のおごりだ」
「それはありがとうございます。いい宿ですね」
「そうか」
「建物は、古いけど、いい材木でしっかり作られていますね。部屋はゆったりしてベッドも大きいし、シーツもきれいだ。井戸の上には屋根があり、植え込みで目隠ししているので、天気の悪い日でも体を洗うことができる。すごくよくできた、いい宿だと思います」
「そうかい」
(驚いた)
(さっき来たばかりだというのに、よくみてる)
(そうともさ)
(この宿屋には、価値のわかる人間にはわかる居心地のよさがある)
(それだけの手間暇はかけてある)
「それに畑もよく手入れされていて、とてもおいしそうな野菜が生ってますね。料理には大いに期待させてもらいます」
自慢の畑を褒められて悪い気がするわけはない。
(この二人もしかすると)
(畑の野菜をみてこの〈ラフィンの岩棚亭〉に泊まろうと思ったのかもしれんな)
今日は一段と気合いを入れて夕食を作らなくてはならん、とナークは思った。
「ナークさん。ちょっといいですか?」
ひょろりとした青年が空いていた椅子を引いた。
いや。動作がしなやかなのでひょろりとしてみえるが、よくみると存外しっかりした骨格だし筋肉もしっかりついている。
「何だ」
言いながらナークは腰掛けた。
「さっき迷宮近くに行ったんですけどね、この町って、冒険者協会はないんですか?」
「いや、あるぞ。ただしこの町の冒険者協会は迷宮のことには関わらん。迷宮周りは領主直営店が取り仕切っている」
「ええ。びっくりしました。装備や消耗品の販売から買い取りまで、みんな領主直営なんですね。石造りの立派な建物がずらずら立ち並んでいて」
「案内所も買い取り所も食堂も雑貨屋も、それに娼館も、みんな領主直営だな。迷宮を中心にした二千歩以内には、領主直営店以外建てられん規則なんだ」
「ああ、そういうわけだったんですね。なるほど。ところで、ここの迷宮は一種類の魔獣しか出ないと聞きましたが、本当ですか?」
「なに? そんなことも知らんのか?」
「ええ」
これは少しばかり奇妙な話だ。
ツボルトの迷宮は、駆け出しの冒険者が潜るような迷宮ではない。
それなりの経験を積んで、それなりの実力と装備を備えた冒険者でなければ、ごく浅い階層でも戦えない。そしてこの二人は、どうみても駆け出しなどではない。
それなのに、ツボルト迷宮が、いわゆる〈特殊種迷宮〉であることを知らないということがあるだろうか。
「ツボルト迷宮は、特殊種迷宮だ。どの階層でも出てくるのは白幽鬼の特殊種だけだ」
「特殊迷宮って何ですか?」
「そこからか。待てよ。お前ら、もしかして迷宮ははじめてか?」
冒険者のなかには、迷宮にばかり潜る〈迷宮屋〉もいるが、地上でしか仕事をしない者もいる。
「いえ。よそでそれなりに深い階層に潜ってました。私は一つしか迷宮を知りませんが、こちらのレカン殿は数多くの迷宮を探索してきた人です」
「ふうん? それにしても、こんな基本的なことは案内所で聞けばわかることだがな」
「案内所ですか?」
「行ってないのか。地図を買うには案内所に行かにゃならん。そのとき詳しく聞いたらいいだろう」
ひょろりとした青年は、ちらりと大男のほうをみた。大男は自分のカップに酒をそそいでいる。
「いえ。地図は買わないと思います」
「ああ。〈鼠〉を雇うのか」
「鼠?」
「案内人だよ。ここの案内人たちは領主の鑑札を持ってるからな。盗みを働いたり雇い主をだましたりすることは、あんまりない」
「ああ、案内人をここではそう呼ぶんですか。ところで、特殊迷宮って何ですか?」
「特殊迷宮じゃない。特殊種迷宮だ。ある魔獣の特殊種一種類しか出ねえ迷宮をそういう。ツボルト迷宮にゃあ白幽鬼の特殊種しか出ん。こいつは普通の白幽鬼とは比べものにならん強さだ」
「同じ種類で、下に行くほど強くなるんですか?」
「そうだ。ああ、同じ種類だが、〈赤肌〉と〈黒肌〉のちがいはあるな」
「〈赤肌〉と〈黒肌〉ですか」
「〈赤肌〉ってのは普通の皮膚だが、〈黒肌〉ってのは鎧を着けたみたいに硬いんだ」
「この迷宮は百二十階層まであるんでしたかね?」
「そうだ」
「何年に一回ぐらい踏破されるんです?」
「うん? さあなあ。よく知らんが、一年に一回ぐらいは最下層の大型個体が討伐されてるんじゃないか」
「最下層の大型個体だと? 最下層には迷宮の主がいるんじゃないのか」
レカンとかいう大男が口を挟んだ。
「ああ。ここの迷宮は特殊なんだ。最下層には主がいない。当然、迷宮が休眠状態になることもない。だから〈眠らない迷宮〉と呼ばれたりもする。まあ、〈剣の迷宮〉という名前のほうが有名だろうがな」
「ほう」
「ということは、最下層を攻略しても領主に呼ばれたりしないんですか?」
「おいおい、迷宮に入る前から最下層の心配か? だがまあそうだ。最下層の大型個体を倒したからといって、別に領主から祝いを受けたりはせん。というか、最下層の大型個体を倒したかどうかなんて、しょせん自己申告だからな」
「最下層の大型個体を倒したしるしのようなものはないんですか?」
「そんなものは格別ない。ただ、最下層付近の大型個体は時々〈破損修復〉の恩寵が付いた剣を落とす。百階層以下でしか出ないから、それが出れば」
「今何と言った」
大男がカップを置いて身を乗り出してきた。その右目の眼光に射抜かれて、一瞬ナークの息が止まった。と同時にナークは気づいた。
(こいつずっと左目は閉じたままだ)
(たぶん失明している)
(なんで赤ポーションで治さないんだ?)
(いや、待て)
(まさか赤ポーションが効かないのか?)
ナークの脳裏に一人の冒険者の姿が浮かんだ。〈骸骨鬼〉というあだ名で呼ばれた迷宮屋で、右顎が削れて歯と骨が露出していた。あの男の傷も赤ポーションでは治らなかった。頂点に立つ凄腕冒険者には、時々そういうことがあるという。
(まさかこいつ〈骸骨鬼ゾルタン〉なみの凄腕なのか?)
「〈破損修復〉の恩寵が付いた剣が出ると言ったのか?」
重ねてレカンに質問され、ナークはわれに返った。
「あ、ああ。刃こぼれしても、もとの状態に戻る恩寵だ」
「そういう剣が出るんなら、店でも売っているんだな?」
「いや。最下層辺りに出る剣は、剣自体の性能も優れてるし、たいていは別の恩寵も付いてる。そんな剣を手に入れた冒険者は自分で使う。売るとしても、すぐに売れちまう。だから店には売ってない」
「そうか」
大男は再び酒のカップを手にした。
その目には妖しい光がともったように、ナークには思えた。
「ああ、それからついでに言っとくと、この迷宮では〈転移〉の〈印〉を作るのに、大型種を二度続けて倒す必要はない」
「ほう。一度倒せば〈印〉ができるのか」
「そうじゃなくて、その階に下りれば〈印〉ができるんだ」
「ほう」