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ナークが両親の跡を継いで〈ラフィンの岩棚亭〉を切り盛りするようになって、もう二十年になる。
〈剣の迷宮〉の深層冒険者だった経歴を持つ父とちがい、ナークは迷宮探索をしたことがない。だが、冒険者をしていたことはあるし、腕利きの冒険者を何人もみてきたのだから、冒険者をみる目はあるつもりだ。
そんなナークからみて、レカンとアリオスという二人の冒険者は、明らかにただ者ではなかった。
二人がやってきたのは、ザカ王国暦一一七年の一の月の八日だ。ひどく寒い日で、二人が入ってきたとき、冷たい風が吹き込んできた。
「こんにちは」
カウンターの内側で料理ナイフを洗っていたナークが戸口に目をやると、人のよさそうな顔をした青年がドアから入ってきたところだった。ひょろりとした体つきだ。だが、身に着けた軽鎧は、一目で上質とわかる品であり、それなりに腕の立つ冒険者と察せられた。
「おい。すぐにドアを閉めてくれ」
「はい。すいません。ほら、レカン殿。なかに入ってください」
ひょろりとした青年のあとから入ってきた人物をみて、ナークはぎょっとした。
一瞬、迷宮の魔獣がやってきたのではないかと思った。
それほど、その冒険者は大柄で、威圧感があった。
青年と同じ材質とデザインの軽鎧をまとっている。つまりこの二人は即席の仲間ではなく、それなりに長くパーティーを組んでいる。
「ええっと、部屋、空いてます?」
「ああ。空いてるぞ」
「二部屋ですよ」
「大丈夫だ」
〈ラフィンの岩棚亭〉には、五つしか部屋がない。どの部屋も一人しか泊まれない。
ただし、そのうち三部屋は、ずっと貸し切り状態なので、二部屋しか空いていないのだ。
「一泊いくらですか?」
「素泊まりで大銅貨五枚」
普通の客は、この金額を聞いてあきれかえり、出ていって二度と来ない。
それはそうだろう。迷宮からそれなりに距離のある宿だし、大きな路地に面しているわけでもない。宿の建物も、そうみばえがよいとはいえない。馬を預かるわけでもない。調度や設備がことさら立派というわけでもない。用心棒つきというわけでもない。こんな宿で素泊まり大銅貨五枚というのは、いかにも高い。
しかし、ひょろりとした青年は、驚いた顔もみせず、次の質問をした。
「朝ご飯と晩ご飯はいくらですか?」
「朝飯は大銅貨一枚。昼飯は大銅貨二枚。晩飯は大銅貨三枚だ」
「へえー。昼食も出してもらえるんですか」
「朝のうちに注文してもらえりゃあな」
青年は、後ろを振り返って魔獣のような男の顔をみた。
大男は何の反応も示さなかった。たぶんそれが返事だったんだろう。
「じゃあ、二部屋お願いします」
「ああ。階段を上がって一番手前の部屋と、その次の部屋だ」
「わかりました。今から晩ご飯をお願いできますか?」
「いいぜ。女房がいつ帰るか次第だが、水牛の四刻ぐらいにゃあ準備できるだろう。あんたら、名前は?」
宿帳をつけるために名前を聞いた。
「こっちのでかい人はレカン。私はアリオスです。ご亭主のお名前は?」
「ナークだ」
そのあとレカンとアリオスは部屋に上がった。
ナークは井戸で水を汲んで桶に入れてお湯を足し、二つの部屋に運んだ。
2
半刻ほどたって、二人は少しさっぱりした格好になって一階に下りてきた。
食堂には四つテーブルがあり、どれも四つ椅子が置いてある。
「酒はあるか」
レカンとかいう名の大男が聞いた。
落ち着きがあって深みのある声だ。どことなく野獣のうなり声を思わせるような声でもある。
「ああ」
(こいつの気配はただごとじゃねえ)
ナークは迷宮には入ったことがないが、若いころしばらく冒険者をしていた。それにこのツボルトの町に長年住んでいるのだから、大物冒険者は何人もみてきた。
このレカンという大男には、大物冒険者の風格がある。
これだけの体格なのに階段を下りる音がほとんどしなかったことといい、間違いなく腕利きだ。
「二つだ」
「ああ」
ナークはカウンターの後ろにゆき、棚からキゾルトのいぶし酒と、木のカップ二つを取り、とくとくとそそいだ。いぶし酒は樽や壷ではなく、ガラス瓶に入っている。透明感のある琥珀色をしていて、みあきることのない美しさがある。高級品だ。
二つのカップをテーブルに置いた。
「二杯で大銅貨二枚だ」
大男は大銅貨二枚を胸ポケットから出してテーブルに置いた。
それを受け取ってカウンターのほうに向かうナークの背中に声が聞こえた。
ひょろりとした若い男の声だ。
「乾杯!」
それから木のカップ同士を打ち合わせる音がした。
大男のほうは声を上げなかった。
「いやあ、まいりましたよ、レカン殿。まさかヴォーカからここまで走ってくるとは」
一瞬、ナークは立ち止まってしまった。
(なに?)
(ヴォーカからここまで走ってきただって?)
(まさか)
(ああ、そうか)
(金がなくて馬車に乗れなかったか)
ナークは再び歩き始めたが、金がないやつが、うちの宿に泊まれるわけがない、とすぐ気がついた。
「〈回復〉をかけてやったろうが。それに〈加速〉も」
(〈回復〉だと?)
(しかも、あのでかいやつのほうが?)
(まさかあんななりして〈回復〉専門なのか?)
(それに〈加速〉だと?)
(聞いたことのない魔法だが、走る速度が上がるのか?)
カウンターの奥に入って、ポスの干物が入った壷を取り出した。
「〈加速〉はすごい魔法ですね。びっくりしました。それに倒れそうになると〈回復〉をかけてくれるんで、まあ走れましたけどね。瀕死の馬に鞭を当ててる気分じゃなかったですか?」
「おかげで八日で着いた。馬車だったら四十日かかったところだ」
「そんなに急ぐ理由は何ですか?」
「早く目的地について、早く迷宮にもぐりたいだろう」
「いや、旅を楽しみましょうよ。出会った人との語らいを楽しみ、景色や町並みをみて楽しみ、その土地の料理を楽しみながら旅をしましょうよ」
「料理も酒も楽しみながら来ただろうが」
「宿舎にいるときにはね。でも日中は移動しかしなかったじゃないですか」
「オレは早く〈剣の迷宮〉に潜りたかったんだ」
「はいはい」
(八日だと?)
(いや、聞き間違いだな)
(そんな日数でヴォーカからここまで走れるわけがない)