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シーラに会いにヴォーカに来る人は、結局ほとんどなかった。
スカラベル導師とその一行により、シーラが姿を隠したという事実が町々に伝えられたからである。
エダに会いたいという申し出が、領主クリムス・ウルバンのもとに多く寄せられた。
エダはこうした申し出を、原則として謝絶した。また、〈浄化〉については、ノーマやレカンと相談のうえ、一回大金貨一枚という値段を設定した。
どんな金持ちでも、ただ一度の治療のために大金貨一枚は支払えない。大怪我や大病をした金持ちがいても、〈回復〉でまにあう。それに〈浄化〉の真の価値は、連続してかけ続けてもらわなければ現れない。
結局、エダに〈浄化〉を願い出る人は、一人もなかった。
何人かの領主の使いが、クリムスに対し、エダとの面談を申し出た。こうした申し出にはエダが領主館に出向いて対応した。
バンタロイ領主の使いは、エダに対し、こう言った。
「あなたをみまもるよう、スカラベル導師は、わがあるじに仰せでした。時々内々のみとどけ人を派遣しますが、何かあれば何なりと申し出ていただきたい。あなたの自由が何者にもさまたげられないということが、スカラベル導師の願いです」
これは実のところ、クリムスに対する牽制である。お前の行動はみはっているぞと、バンタロイ領主は間接的に告げたのだ。
エダの〈回復〉についても、申し込みはほぼとだえた。やはり金貨一枚という値段は安くない。貴族家はそれぞれ〈回復〉持ちを抱えているし、そのほかの有力家や商人たちは、どちらかというと神殿で〈回復〉を受けることを選んだ。その浄財は慈善活動に回るのだから、神殿で〈回復〉を受けること自体、慈善活動の一種とみなされたからである。
近所の人々にも、エダが〈浄化〉持ちで〈薬聖〉スカラベル導師の恩人だという話が伝わったが、少しのとまどいをへて、以前の通りの付き合い方ヘと戻っていった。
一時期、やたらとエダに会いたがる人たちが押し寄せたが、レカンににらみつけられて帰っていった。
ジェリコは、レカンとエダの家に住みながら、日中は出かけている。どこに出かけているかというと、シーラの家だ。家のなかを掃除したり、薬草畑の手入れもしている。
薬聖が去った四日後に、アリオスが帰ってきた。
アリオスは、ショートソードによる防御の型の指導を再開するとともに、歩法の指導をしたが、しばらくして、エダさんには〈隠足〉の習得は無理のようですと告げた。
十の月に入って、当初の予定よりずいぶん遅れて、三人の軽鎧が出来上がった。
エダの軽鎧は、速度と柔軟性を重視した作りで、鮮やかな青色をしている。
レカンとアリオスの軽鎧は、胸当て、肩当て、膝当てなど、要所要所に青い素材が使われ、そのほかの部分は赤い。
また、八目大蜘蛛の素材の代金が支払われた。鎧の代金や諸経費を除いて白金貨十九枚という大金である。三人で分けた。女王毒の代金もアリオスに支払われたが、レカンはその金額を聞かなかった。興味がなかったからだ。だが小さな瓶に詰めた女王毒を五つ、アリオスから渡された。
「おすそ分けです」
エダは、冒険者協会の依頼を受けるようになった。一人でできる依頼を受けることもあるし、若い冒険者たちと依頼を受けて、指導することもある。実は若い冒険者といっても十五歳以上なので、本当はエダより年上なのだが、相手はそんなことは知らない。今や金級冒険者としてのエダの名声は、その少女の姿に独特の風格を与えているようだ。
レカンは二度迷宮に行った。
一度は、スケルスの北にある小迷宮に行った。十二階層しかない迷宮だったが、それなりに楽しめた。
もう一度は、ゴルブル迷宮に行った。ある夜、急に大剛鬼と戦いたくなったのだ。
素早く迷宮に入り、素早く最下層の大剛鬼を倒し、素早く迷宮都市を脱出した。迷宮の出口でダグ隊長が待ち構えていたが、あいさつをして得られた迷宮品をちらとみせ、そのままヴォーカに帰った。
迷宮品はマントだった。
対魔法防御と対物理防御がついた、〈貴王熊〉の外套の劣化版のような性能である。エダが欲しいといったのでエダにやった。エダは代金を払うと言ったが、レカンは毎晩の〈浄化〉の礼だと言って受け取らなかった。
時々レカンはアリオスに稽古をつけた。
アリオスの剣さばきが、以前より自由になった。つまり悪らつになった。レカンが一本取られることも多い。本当の実戦ならまたちがうのだろうが、やはりわざではアリオスのほうが上だ。
そうこうしているうちに、十の月も終わりに近づいてきた。
「レカン。年が明けたら、町を出るんだよね」
町を出るなどとエダに言ったことはなかったはずだが、雰囲気からそう感じ取ったのだろうか。レカンの考えが読めるようになってきたのかもしれない。
「ああ」
「迷宮に行くの?」
「まずはツボルト迷宮に行ってみようと思っている。そのあとのことは決めていない」
「一人で行くの?」
「アリオスがついて来ると言っている」
「そっか」
「お前は、どうする?」
レカンは、エダがついてきたいと言えば、連れてゆくつもりだった。
「正直、ついてゆきたい。でも、ここでついていったら、あたい、ずっとレカンのお荷物だと思う」
エダの〈回復〉は、それだけで迷宮探索の切り札となる。ましてエダは弓も使え、近接戦闘では回避や防御も一定のレベルに達していて、生命力も豊かだ。決して足手まといになどならない。
ただし、お荷物というのは、戦闘面でのことだけを指しているのではない。エダはここまでレカンの庇護下でのびのびと暮らしてきた。そのままではいけないと、エダは感じているのだ。
「しばらく一人で暮らしてみるよ。自立した生き方ができるようになってみせる。いつかレカンがあたいに会いに来てくれたとき、一緒に来てくれって言ってくれるようになってみせる。レカンの左目も治せるように頑張る」
「そうか」
「レカン」
「うん?」
「大好きだよ」
オレもだ、と答えそうになったが、やめた。レカンは、エダを〈大好き〉なのではない。レカンがエダに抱く想いは、その言葉とは少しちがう。けれどもその想いを言葉にすればどうなるのか、レカンは思いつかなかった。
だから言葉の代わりにエダの頭をなでた。髪をくしゃくしゃにかき回した。
エダは泣きながら笑った。
この年の最後の日、レカンはアリオスとともに町を出た。
目指すはツボルト迷宮である。
その日は雪が降っていた。
「第27話 薬神問答」完/次回「間話2 学士サンドラ」