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15
領主クリムス・ウルバンは、じっと領主館の玄関に立っている。
すでに薬聖訪問団の一行は西門に到着して町を出たころだろう。
ヴォーカの守護隊員十名がテスラ隊長に率いられ、最寄りの村まで一行を送る。
領主はこの場に残り、貴族四家当主ほか、みおくりの人々があいさつをして立ち去るのを待たねばならない。
「ノーマ、エダ、帰るぞ」
「ああ。帰ろう」
「うん。帰ろっか」
「あ、レカン。ちょっと待ってくれ」
呼び止めたのは、領主である。
「まだ何か用か」
「お疲れさま。世話になった」
「ああ」
「ちょっと待て! 待てと言ってるだろう!」
「用があるならさっさと言え」
「シーラ様に、面会の、いや拝謁の申し込みが来ている」
「そんな話は知らん」
「伝えていなかったからな。スカラベル導師がご滞在中は、一切の部外者は閉め出してきた。それだけに、これからはお忙しくなる」
「知らんと言ってるだろう」
「少し先になるが、なんとバンタロイ領主からもヴォーカ訪問の申し込みがあった。あのバンタロイ領主が自分でだぞ、ここに来てくれるというんだ!」
「よかったな。じゃあな」
「帰るな! ちょっと待て」
「だから用事があるなら早く言え」
「シーラ様には、しばらく迎賓館におとどまりいただきたい」
「それはシーラに言え」
「シーラ様は、どこに行かれたんだ?」
「知らん」
「君が知らんわけはないだろう」
「みてなかったのか? シーラは消えた」
「ああ、消えたな。見事な魔法だった。あれは魔法だったんだよな?」
「そうだろうな。どんな魔法だったか見当もつかんが」
「どこに行かれたんだ」
「その問いにはさっき答えた」
「ほんとに知らんのか」
「ほんとに知らん」
「いつ帰ってくる?」
「知らん」
「そんな答えでワシが納得するとでも思ってるのか」
「あんたが納得しようがすまいが、オレの知ったことではない」
「拝謁の申し出が、すでにいくつか来ておる。お渡しせねばならん書簡もある。これからは、山のような拝謁の申し込みがあるだろう。たくさんの書簡が着くだろう」
「一つ助言していいか」
「ぜひ頼む」
「シーラは二度とこの町に現れることはない。だから面会は断れ。書簡にはあんたが返事を書け。シーラの家に置いても、そのままごみになるだけだ」
「冗談だよな。冗談だと言ってくれ」
「くどい。シーラは二度と姿を現さん。そのことを一番残念に思っているのはオレだ」
レカンはそう言い捨てると、ノーマとエダを促して領主館を出た。
ちょっと領主が気の毒なような気もしたが、今回のことでは得たもののほうがはるかに多いはずで、後始末ぐらい苦労しろと言ってやりたい気持ちもある。
途中でノーマと別れ、エダと一緒にジェリコを迎えに行き、家に帰った。
16
シーラは二度とこの町に現れることはないというレカンのセリフに、エダは衝撃を受けたようで、シーラはいったいどこに行ったのかと、レカンに訊ねた。
レカンは答えた。
人に注目され騒がれるのはシーラの最もきらうことであり、ここまで名が広まってしまった以上、もうこの町で姿を現すことはないだろう。
シーラがどこに行ったのか、自分も知らない。だが、シーラが、レカンとエダをみすてることなどあり得ない。
いつか、シーラはまた自分たちの前に姿を現すだろう。
そのとき、立派になったねえと喜んでもらえるよう、自分もエダも成長しておかなくてはならない。
それにシーラのことだから、姿はみせなくても、自分とエダのことをみまもっていてくれるにちがいない。
エダにジェリコを預けたのは、再会の約束のようなものだ。
こういうレカンの言葉を聞いて、エダは涙をぬぐって、うん、とうなずいたのである。
次の日、レカンは外出をしなかった。
家に閉じこもって、静かに酒を飲みながら〈生命感知〉で町のようすを注意深く探った。
だが、期待する反応はなかった。
その次の日も同じだった。
三日目の夜、待ちに待った反応があった。強大な魔力の気配だ。懐かしい気配だ。
その気配はすぐに消えた。だが場所は覚えている。
レカンは〈隠蔽〉を自分にかけて気配を消すと、夜のヴォーカの町を、北西に向かった。塀の上を走り、屋根を飛び越え、その場所に着いた。
閑静な住宅街のこじんまりした家だ。
内側に庭があり、庭に面した二階にベランダがあり、老女が夜空をみながら茶を飲んでいた。
そのベランダに、レカンはやわらかく降り立った。
「やあ。早かったね。そこにあんたの茶があるよ」
「ずいぶんこじゃれた格好だな」
「ここじゃ、この格好で通してる」
「いつからだ」
「さてね。十年ぐらいになるかね」
「ここには大きな煙突がないな。地下室もない」
「ないね。薬はもういいだろうさ。後継者たちも育ってきたことだしね」
「あんたが薬を卸してた薬屋は悲しむだろうな」
「そうでもないさ。今じゃこの町にも優秀な薬師が何人かいる。それに付き合いのあった五軒の薬屋には、風邪薬と万能薬のレシピをプレゼントしたよ。大喜びしてるだろうさ」
「そうか」
レカンは座って茶を飲んだ。
「うまい茶だ。またこの茶を飲みに来ていいか?」
「たまにはね」
しばらく、夜の空をながめた。
「あんた。今年いっぱいで町を出るんだろう?」
「ああ」
「エダちゃんはどうするんだい?」
「迷ってる。だが、一度一人にしたほうがいいんじゃないかと思ってる」
「そうかい」
「あんたはどう思う?」
「そうだねえ。たぶんエダちゃん自身も、あんたと離れて自分を試してみたいと思ってるんじゃないかねえ」
「そうかな」
「そして、いずれあんたに迎えに来てもらえるような自分になりたいと思ってる。そうあたしはにらんでるんだけどね」
この賢女が、根拠もなくこんなことを言うわけがない。
ということは、そう感じ取れるような会話を、エダとのあいだでかわしていたのだ。
「オレもそのほうがいいと思う」
「そのほうが、あんたのためにもいいと思うよ。あの子のことは心配いらない。ジェリコをつけてあるしね」
「ジェリコがついていれば安心だな」
「何かあれば、ジェリコがあたしに知らせてくれるさね」
「なるほど」
残り少なくなったカップの底をみながら、レカンはふと思い出した。
「そういえば、ローランが魔結界を使おうとしたあの夜、迷宮深層の魔石を使って魔結界を張り、恩寵品で底上げして〈睡眠〉をかけても、エダやオレには効かないとあんたは言ったな」
「言ったねえ」
「あれはおかしい」
「へえ?」
「確かにエダは精神系魔法に抵抗力があるだろう。生命力の総量もそれなりのものだろう。だがそれだけであのローランが魔結界や恩寵品を使って仕掛けてくる〈睡眠〉が防げるとは思えん。ましてオレはあのとき〈インテュアドロの首飾り〉を着けていなかった」
常時指にはめている銀の指輪は、状態異常の耐性を上げてくれるが、その効果には限界がある。実際、マラーキスの魔法も一瞬はレカンの意識を刈り取ったのだ。
「あれは、デルスタンとかいう坊やへの牽制さね」
「なに?」
「あの坊やは油断ならないよ」
薬聖訪問団のなかで敵に回したとき最も厄介なのは神殿騎士デルスタン・バルモアであることは、レカンも気づいていた。今回は、スカラベルの護衛という役割を忠実に果たしていたようにみえたが、あの男は王都エレクス神殿の利益を一番に考えるはずだ。それとシーラやレカンの利害が常に一致するとは限らない。あの男はにこやかな顔をしながら、シーラとレカンとエダとノーマを冷静に観察していた。
つまりあの会話でシーラはデルスタンに、レカンとエダに手を出すな、と釘を刺したのだ。
そういえば、あのときシーラはヤックルベンドと深いつながりがあることを匂わせた。シーラを敵に回すには相当に覚悟がいると、デルスタンは思ったはずだ。
「なるほど。理解した。ほかにも巣穴はあるのか?」
「何だって?」
「あんたは以前、利口な兎は四つの巣穴を掘る、と言った。この国のいくつかの町に拠点を確保してあるとも言った」
「そんなこと言ったかねえ」
「言った。神殿に呼び出されたときだ」
「あんた意外と記憶力がいいね」
「それで、ほかの巣穴はどこにあるんだ」
「さあねえ。年を取るといろんなことを忘れちまう。いくつ巣穴を掘ったか、どこに掘ったかなんて、いちいち覚えちゃいないよ。でも必要になったら思い出すだろうさ」
(一番油断がならないのはこのばあさんだな)
レカンは茶を飲み干した。
「邪魔したな」
「あたしの家にある調薬道具で欲しい物があったら持っていきな。元気でやんな」
「ああ。ありがとう」
レカンは再び自分に〈隠蔽〉をかけ、夜の町に身を躍らせた。
星の奇麗な夜だった。
塀と壁の上を飛び移りながら、レカンは踊った。
くるくると身をひるがえし、足を上げ、手を振り回し、とんぼ返りを打ち、星と一緒に踊った。
踊らずにはいられない夜だった。
何と表現していいかわからない気持ちが、胸の内からあふれ出て、とてもじっとしてはいられなかったのだ。
風が冷たかった。
風の冷たさが快かった。




