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狼は眠らない  作者: 支援BIS
第27話 薬神問答
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 五日目の対話では、毒について論じられた。

 シーラは、毒も薬の一形態であると言い切り、毒でしかない毒、強力な薬としても使える危険な毒、むしろ薬として認識すべき毒の三種類に分類し、具体的な毒とその用法について論じた。

「毒は薬とちがって、試してみるのがむずかしいからねえ。論理的に機能を教えるんじゃなくって、こういう症状には、これこれの条件を満たした場合、こういう毒を服用すると、こういう効果が期待できるっていうような、実例に則した教え方をしてゆくよ。名前や分量をまちがわずに聞き取りな」

 アーマミールはその日、今まで思ってもいなかった毒の多様な用法を教わった。これは彼にとり天地がひっくり返るほどの驚きだった。シーラの話は、命を削るのと引き換えに人を苦痛から解き放つ毒の処方にも及んだが、これはひどく混乱をもたらす知見だった。

 六日目の対話では、自然治癒と薬と〈回復〉と赤ポーションの働きを比べたうえで、病や傷が癒される仕組みについて論じられた。

 七日目の対話では、人の成長と老いにともなう体の機能の変化について論じられた。はじめに語られた、母乳の生成とその効能についての知見を聞いたとき、アーマミールとコトジアは聖印を切り、神に感謝の祈りをささげた。薬師たちも目に涙を浮かべていた。それほどこの話は彼らに感銘を与えたのである。

 八日目の対話では、人が生きようとする力と、人を生かそうとする力についての総論的な問答が行われた。シーラとスカラベルその人のほかには誰も議論についてゆけなかった。アーマミールは、自分にとっては意味のわからないやり取りを、必死の思いで心に刻みつけた。

 ここまでの論点をみわたしてみれば、一日目が生命論、二日目が生命と非生命の関わりについて、三日目が食と病と身体の働きについて、四日目が薬草論、五日目が薬毒論、六日目が治癒論、七日目が成長と老いについて、八日目が医薬神秘総論と、命と薬に関わる多面的な知見が示されたことになる。

 部分的にみればアーマミールにとってもなじみ深い知識や解説もあったけれど、知っていたはずの薬や毒や食べ物に、思いもよらない働きや用法もあることを示され、それらが全体として広く深く体系的に組み上げられてゆくさまに、ただただ圧倒されるばかりであった。と同時にアーマミールは、このスカラベルとシーラの対談が、薬師と施療師にとっての新たな時代の幕開けになることを確信していた。

 九日目の対話では、あらゆる問題についての質問にシーラが答えた。

 スカラベルはこの質問の機会を後進たちに譲り、自分はぽつぽつと聞き落とした事項を聞き直すにとどめた。

 この日最も多く質問をしたのは若き俊才カーウィンである。

 二番目に多く質問をしたのはノーマである。

 三番目はコトジアであり、四番目がアーマミールである。

 レカンとエダは質問をしなかった。

 なお、四日目の夕食と九日目の夕食は、領主館の食堂で、随行全員を交えての会食だった。だが、シーラとエダは欠席したし、スカラベルを疲れさせないようにとの気持ちからか、神官も薬師も比較的静かであった。

 毎夜、エダはスカラベルに〈浄化〉をかけた。

 毎朝、ノーマはスカラベルを診察して、効果が順調に現れていることを確認した。

 かくして九日間の対談は終わり、九の月十七日、薬聖訪問団は帰途につくことになったのである。

 このときの対談記録はアーマミールの手により、シーラとスカラベルの言葉を中心に取りまとめられ、スカラベル自身の校訂を経て、三年後に、『薬神問答』との名で完成し、王に献上される。王はスカラベルの願いを受け、多数の写本を作製し各神殿と各地の領主に下賜する。さまざまな場所で写本作業が始まり、やがて燎原の火が燃え広がるようにこの本は諸国に広まってゆく。そして、薬師や施療師をはじめ人間の命に関わる研究をする者たちの聖典と目されるようになってゆき、神官アーマミール・タランスは、ほかでもないこの本の編者としてその名を不朽のものとするのである。

 その序文にアーマミールは、次のように記している。



 あれは夢だったのかもしれないと、いまだに思うことがあります。

 あの至福の学究のひとときを、叡智に満ちた学びの時間を、時折私は夢にみます。そして目覚めたとき、そのようなことがとても現実の世界であり得るはずがない、と私の心が言うのです。それほどに、豊かで楽しく、神秘的で驚きに満ちた九日間でありました。

 あのおかたの御名を後世に残すことを、スカラベル導師は禁じられました。そのお気持ちは、今ならよくわかります。

 あのおかたは、御名を呼んで表せるような存在ではありません。どのような御名も、あのおかたを伝えるには足りません。ですから、本書では、あのおかたを、〈薬神〉と呼ばせていただくことにします。

 この呼称がふさわしいかどうかについて、エレクス神殿、ケレス神殿、ライコレス神殿はじめ、各総神殿のあいだで、いささかならぬ議論があったことは、書きとどめておいてよいでしょう。

 しかしこの呼称は、生きた人間を神に祭り上げ、神々の神聖を地上に引きずり下ろすものでは決してありません。

 なぜなら、あのおかたは、私たちが王都に帰還するためいとまを告げたそのとき、現世でのわざを終え、この地上から永遠にお姿を消してしまわれたからです。病と怪我に苦しむ人々を救うため、大神はあのおかたをもって、われら薬師に数日の夢をみせてくだされたのです。ですから、ここで〈薬神〉とお呼びするのは、肉を持ってこの世に現れたあのおかたその人というよりも、あのおかたを通して現れた大神の慈愛と叡智を示しているのだと、そうお考えいただきたいと思います。

 本書は、ザカ王国暦百十六年九の月八日から十六日まで、ヴォーカ領主館迎賓館で行われた、薬聖スカラベル導師とその恩師との対談の記録です。お二方以外の発言には、発言者の名を記しておりません。薬師シザムと薬師マシュラムによる筆記録をもとに、私アーマミールが編集し、スカラベル導師のご校閲を仰ぎました。

 巻末に、この対談に同席した人たちと、随行した人たちの名を掲げておきます。彼らはこの不思議な対談が確かに現実のものであったことを証す生き証人です。

 しかし、この対談のどこまでが現実の出来事で、どこからが夢の出来事なのかということは、本書の価値にいささかの関わりも持ちません。本書が深き知識の源泉であることは、読めばおのずと明らかであるからです。

 この汲めども尽きぬ泉からあふれ出た水が、地上のすべての人をうるおし癒やしてゆくことを、私は信じて疑いません。

 願わくば、宝玉のようなお言葉の数々を、ゆがめ、とりちがえ、けがすことなく、正しく本書が記されておりますように。世の人々が、本書に記された神秘の究明に力強く取り組み、秘められた恩寵が次々と世に現れてゆき、人々があますことなく救い助けられ、神々の祝福が地上に満ちてゆきますように。

 未来の薬師よ、施療師よ、命を学ぶ学究の徒よ、幸いあれ。

 エレクス大神の御名において。イェール。

  王国暦百十九年九の月八日 エレクス神殿一級神官アーマミール・タランス

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― 新着の感想 ―
やっぱり浄化受けたらダメだったんかな シーラが死ぬのかそれとも普通にいなくなるだけなのか分かんないけど死んだら流石に悲しい
まさか母乳が血液みたいなもので、母親が子どものために身を削り与えているようなものであり、病魔から子供を守るための力を強める効果があるなんて…… ってそれくらいは流石に知ってるかな? それでもやっぱり感…
[一言] シーラ師匠は逝ってしまわれるのか。 あるいはこれからは若い姿で活躍されるのか。 それとも誰も知らないどこかへ行ってしまわれるのか。
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