5
5
しばらくすると、ノーマは泣きやみ、レカンから離れて少しばかり距離を取った。
二人は相変わらず無言だった。
(何をしゃべっていいかわからん)
救いの神は、外からやってきた。
「レカン。邪魔していいか」
王国騎士団副団長ネイサン・アスペルが訪ねてきたのである。
「ああ。入れ」
「失礼する。あっ」
レカンの横にノーマが座っているのをみて、一瞬、ネイサンの動きが止まった。
「邪魔だったかな」
「いや。かまわん」
かまわんどころか、ネイサンの訪問は大助かりだった。
「ノーマ。王国騎士団副団長のネイサン・アスペルだ」
「ノーマ殿。お邪魔する」
「あらためまして、施療師ノーマです」
「あなたのお父上は大変な学者であられたそうだな」
「恐縮です」
レカンは酒瓶をつまみ上げて訊いた。
「一杯やるか?」
「ああ。頼む」
上等な蒸留酒を銀色のタンブラーについで渡し、レカンは自分のタンブラーを取って、乾杯のしぐさをした。ネイサンも、レカンとノーマに向けて軽くタンブラーを振り、ぐいと中身を飲み干した。
「うまい」
レカンは二杯目はつがず、ボトルをネイサンのほうに押しやった。ネイサンは自分で酒をついだ。
「ローランのことを報告しておこうと思ってな」
「そうか」
「今日の昼前に領主館に帰ってきた」
「昼前? ずいぶん遅かったな」
王国魔法士団副団長のローラン・バトーが、危険な結界をこっそり迎賓館に張ろうとしてレカンにみつかり、シーラによってシーラの家に飛ばされたのは昨日の夜であり、朝までには帰ってこれたはずだ。
「猿がいて、家を出ることがなかなかできなかったと言ってた」
「ほう」
そういえば、たぶんローランと〈交換〉された樽は、倉庫の樽だ。あの位置から家を出るためには、壁に跳び上がらないかぎり、ジェリコの部屋を通過しなくてはならない。
「事情を訊いたとき、猿が、猿が、とうめいていた。いったい何があったんだろうな」
「さあなあ」
素直に家を出ようとしたのなら、ジェリコは黙って見送ったはずだ。たぶん、ローランは、何かよからぬことをしようとした。そしてジェリコにたしなめられたのだ。どういうふうにかはわからないが。
「とにかく、ローランのがきが帰ってきたときには、魔法使い二人と従者二人の調書はとっくにできあがっていた。誓いつきで署名もさせた。証拠品の魔道具も押さえてある。ぐうの音も出なかったよ」
「結局やつは何がしたかったんだ?」
「レカンやシーラ様の魔道具を狙ってたようだな」
「魔道具?」
「そうだ。強力で珍しい魔道具だ」
「何のことかわからんが、迎賓館にはスカラベルもいたんだ。攻撃してはいかんだろう」
「やつはスカラベル導師をお守りするため、シーラ様やレカンの持つ怪しげな魔道具を取り上げる必要があったと強弁している。それにしてもあんなものを使う理由にはならん。われわれ護衛の者も含め、迎賓館のなかの人間を全員一時行動不能にして、シーラ様とレカンから魔道具を奪うつもりだったようだ」
「ローランは罰せられるのか」
「いや。できなくはないが、あまり追い詰めると、やつの実家がうるさい。王都に帰ったら調書と証拠品を宰相府に提出する。たぶん何か理由をつけて王国魔法士団を自主退団することになるだろうよ」
「ここにいるあいだ、野放しか?」
「何だかすっかり気力をなくしてたよ。鼻っ柱の強いやつだったんだがなあ。どうも、シーラ様の魔法が衝撃を与えたようだ」
「〈交換〉か?」
「そうだ。ものすごく高度な魔法らしいな。実際にそれを自分で味わってみて、心が折れたようだ。もうあんたやシーラ様をわずらわせることはないと思う」
「魔法使い二人と従者二人は、拘束したままか?」
「いやいや。とてもそんなことをしてる人数はいない。四人をばらばらにしてみはって調書を取るのでも、最低限の人数を迎賓館に残して総がかりだったんだ。装備品を押収して釈放したよ」
「妙なことはしないだろうな」
「しないと思う。魔法使い二人はローランのやろうとしたことを、とめようとしたんだ。そもそも今回ローランが同行するのにも反対だったらしい。だが二人とも平民だからなあ。ローランには逆らえんよ」
話していると、ネイサンの夕食が届いた。
「すまんな。ここで食わしてもらっていいか」
「気にせず食え」
「対談が早めにおわったおかげで、早めに夕食がとれる。一眠りしたらみはりに立つよ」
「ご苦労さんだな。これを持っておけ」
「これは……あの体力回復薬か!」
「自分で薬草を採取して自分で作った薬だからな。ただ同然だ」
「こいつはすごい値打ちもんらしいじゃないか。調薬技術の極致とか何とか」
「あ、いや。これは大鍋で作ったやつだ。といっても効果はほとんど変わらん」
「どっちにしてもありがたい。いざというとき使わせてもらう」
「効果が強いのは半刻ほどだが、じわじわと半日程度は効果が残る。持続的に体力を回復し続けるという点では〈回復〉より優れている」
「あんたほんとに薬師なんだなあ。とてもそうはみえないんだが」
「レカン殿は施療師としても優れていますよ。人の体のなかを精密に探査し施療ができます」
その後ネイサンは、訪問団の内情などについてしゃべり、レカンは会談の内容について、かいつまんで説明した。ノーマの父の著書を大量に筆写する計画が進みつつあると聞いて、ネイサンは大いにノーマを祝福した。もはや試合のことなど忘れているようだ。
「さてと、長居したな。また来ていいか?」
「ああ」
ネイサンは帰ってゆき、すぐにメイドがきてテーブルの上を片付けた。
レカンとノーマは風呂に湯を入れさせ、体を洗ってから寝た。
だが、その眠りをさまたげる者がいた。