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狼は眠らない  作者: 支援BIS
第27話 薬神問答
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 レカンとノーマは離れに帰り、居間に入った。

 寝室や浴室は分かれているが、居間は共用なのである。

 ノーマは奥側のソファーに座ったが、レカンも同じ側のソファーに座った。

 これは、迎賓館を背にするのでなく前にしたかったからだ。

 別段背にしたからといって、〈生命感知〉や〈立体知覚〉に支障があるわけではないが、感覚的には前側のものを探知するほうがしっくりくる。

「あんたも飲むか」

 棚の酒と銀色のタンブラーを取り出しながら、ノーマに訊いた。

「ああ。頂こう」

 レカンは二つのタンブラーに琥珀色の蒸留酒をそそいだ。

 しばらく二人は無言で酒の味と香りを楽しんだ。

 棚には、豆菓子や、燻製肉や、干し魚など、つまみが趣味よく取りそろえられている。レカンが食べたものは補充され、新しい種類のつまみが追加されている。この屋敷の使用人がよく訓練されていることがうかがわれる。

「驚いたなあ。こんなことになろうとは、思ってもみなかった」

「あんたにとっては望ましい話じゃないのか?」

「夢のような話だよ。まだどうなるかは本当のところわからないが、父の著書が本として取りまとめられて後世に残る。そのことは、どんな形にせよ実現するだろう」

「すでに王都の神殿には本があるようだぞ」

「それも驚きだった。まさか侯爵が、あんなことを」

 この場合、侯爵とは、ノーマからいえば伯父にあたる前マシャジャイン侯爵ゴドフリー・ワズロフのことだ。

「ケレス神殿に本を献納したというが、それは簡単にできることなのか?」

「庶民の学者が本を神殿に奉納するのと、貴族が奉納するのは、ちょっとちがう」

「ほう」

「貴族が神殿に献本するとなれば、中身の紙も上等でなければならないし、文字は美しいものでなくてはならない。つまり一流の筆写師の手によるものでなければならない」

「なるほど」

「表紙の革も上質のものであり、文字の刻印や金箔もきちんとしたものでなくてはならないし、製本もちゃんとしたものでなくてはならない。まあ、それなりに金のかかったものになるだろう」

「本を作るのも馬鹿にならんのだな」

「本当に豪華な本は、驚くほど金がかかる。それに貴族家が神殿に本を献納するとなれば、献金もそれなりの額を添えるだろう」

「神殿への献本は、何のためにするんだ」

「これだけのことができました、と神々に宣言し、報謝するためさ。研究というのは世界の神秘を解き明かしてゆくことだからね。貴族が神殿に本を献ずるのは、自分の領地で文化が進んでいることを示す行為でもある。武力だけでは貴族としての品格は示せないからね」

「やたら豪華な本を献納する貴族がいそうだな」

「装丁ばかりが豪華で中身のない本を献納すれば、逆に嘲笑されてしまうよ。表立っては言わないけれどね」

「では、あんたの伯父は、あんたの父親の著作を内容のあるものと認めたわけだ」

「意外だった。びっくりしたよ。だけどそれにもまして驚いたのは、前侯爵がアーマミール様に、あれは弟のサースフリーが書いたものだと言ったことだ。そんなことをあの侯爵が言うとは、はっきり言って信じられないよ。だが、アーマミール様が嘘を言うわけがない。弟だって?」

「あんたの父親にとって、ゴドフリーはどんな兄だったんだ」

「兄なんかではなかった。ゴドフリー様だったよ」

「あんたの父親は、ゴドフリーを憎んだりきらったりしていたか?」

「え? いや。そんなことはなかったな。むしろ」

「むしろ?」

「普通に話しかけていた」

 ノーマの父サースフリーは、ゴドフリーにとって、母親のちがう弟だ。幼いころから一緒の屋敷に住んでいたのだろうか。たぶんそうだ。

 サースフリーの母親は身分が低かったため、ゴドフリーは表立ってはサースフリーを弟として遇することはできなかった。

 だが、冷たい態度の奥で、ゴドフリーは年の離れた弟に、どんな感情を持っていたのだろうか。

「あんたの父親が死んだとき」

「え?」

「ゴドフリーはジンガーに手紙をよこして、こう言ってきたそうだ。弟の仇は必ず取る、お前はノーマを守れ、とな」

 ノーマは横を向いてレカンのほうをみた。その目は驚愕にみひらかれていた。

「あんたは前に言ったな。侯爵家などというものは家と領地を守る機械のようなものであり、侯爵その人といえど歯車でしかないと。ゴドフリーは侯爵という名の機械だった。だが、あんたの父親が死んだときの言葉は、熱い血が通う人間の言葉だったとオレは思う」

 ノーマは、言葉を失ってしまったかのように、ただレカンをみつめている。

「そしてゴドフリーは弟の仇を討ち、杖を取り返してジンガーに送り届けた」

「この杖は、侯爵が取り返してくれたのか」

「あんたの母親の杖をあんたのもとに届けた。そこにゴドフリーのあんたに対する気持ちが込められている」

「気持ち?」

「あんたとあんたの父親が、マシャジャインを出てヴォーカに戻るとき、侯爵は言ったそうだな。財産は持ち出せないと」

「そうだ。私の目の前で、侯爵はそう言ったよ」

「だが、本と研究成果と資料は残さず持ち出せたんだろう。多種多様な薬草や木も運べた。そうしたものをここまで運ぶには、相当の金もかかったはずだ」

「うん。それは私も不思議に思っていた。ものすごい荷車の数だったよ」

「こうは考えられないか。財産は持ち出せないというのは建前だ。親族たちにはそう説明したんだろう。だがゴドフリーは、あんたの父親が必要なものは、何でも持っていかせてやりたかったんだ」

「そんな。そんなことが」

「ジンガーというのは、侯爵家ではどんな立場だったんだ?」

「最も序列の高い騎士だった。だからジンガーが母につけられたということは、母が侯爵家でいかに重くみられていたかを示しているね」

「その母親が死んで、あんたとあんたの父親がこの町に来るとき、ジンガーがつけられた。これはどういうことなんだ」

「わからない。正直私にはわからないんだ。ただ、周りからみれば、明らかな降格だ。それもひどい降格だ。私には侯爵家内部の噂話などわからないけど、ジンガーにひどい失敗があったか、新侯爵となったゴドフリー様にひどくきらわれるようなことをしたのではないかと、周りは思っただろうね」

「あんたの母親は、亡くなる直前にジンガーに言ったそうだ。夫と娘を頼むと」

「えっ」

「それを知ったゴドフリーは、ジンガーに言った。弟はもとの町に戻るから、お前は二人について行って守れと」

「君はどうしてそんなことを。いや、答えは一つしかない。ジンガーに聞いたんだね」

「これはオレの推測にすぎんが、たぶんジンガーは侯爵家から受けた公式な命と、ゴドフリーの個人的な願いとのあいだで苦しんだ」

「侯爵の……個人的な、願い」

「ゴドフリーの遺言により、侯爵家からジンガーに慰労金が届けられた。ジンガーは侯爵家に騎士の身分を返した。これで名実共に施療所の世話係になれたと笑っていたよ」

「レカン」

「うん?」

「父は、ゴドフリー前侯爵から、伯父から、愛されていたんだろうか」

「愛されていたとオレは思う。あんたの父親も、あんたもな」

「私も?」

「ゴドフリーは、最も信頼する騎士をあんたとあんたの父親につけた。父親が死んだら、あんたを守れと命じた。それがゴドフリーの想いだ」

 突然ノーマが涙を流し始めた。

(しまった)

(逃げ遅れた)

 女性が泣く場面をじろじろみつめるような趣味は、レカンにはない。泣くとわかっていたら、すみやかに場を去っていたのだが、ノーマの速攻がそれを許さなかった。

(どうしたらいいんだ)

 レカンが何もできず硬直していると、ノーマがレカンにもたれかかってきた。

 防御も回避もできない。

 ノーマは額をレカンの肩に押し当て、レカンに抱きついた。

 嗚咽の声が響いた。

 利き腕を封じられたレカンは、そのままじっとしているほかなかった。

(うん?)

(この香りは?)

 ノーマからただよう香りは、レカンにヘレスを思い出させた。

 二人の香りは、よく似ている。

 それでいてはっきりしたちがいはあるのだが、やはりよく似ている。

 ノーマとヘレスは赤の他人である。

 その赤の他人である二人が、とてもよく似た香りを放っている。

 香りだけではない。毅然とした姿も、立って歩くそのようすも、媚びを含まない笑顔も、りりしさのなかの女らしさも、驚くほど似ている。

 女とは不思議なものだ、とレカンは思った。

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― 新着の感想 ―
> 突然ノーマが涙を流し始めた。 >(しまった) >(逃げ遅れた) そこで逃げようとするなぁ!!! お前、そういうとこやぞ!!
女に抱きつかれているのに、他の女のことを思い出すなんてレカンは悪いやつですね(棒)
[良い点] さすが狼、鼻が効きますねw
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