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「師よ、師よ。昨日のお話は、まことに興味深く聞かせていただきました。しかし不明なわたしには、いまだ薬草の何たるかが明らかとなりません。いま一歩踏み込んでお教え願えましょうや」
「そうだねえ。昨日は、土と草と人のちがいから生命を説いたけれども、今日はその境界を突き崩すところから始めて、命とは何かを考えてみようかね。あんた、塩を知っているね」
「おそれながら、その本質を知っているとは申せません」
「うまく逃げたね。塩は昨日の区分けでいえば土だ。そこまではいいね」
「理解しております」
「昨日、草は土を食い、人は草を食うと教えた。それはまちがいではない。しかし人の命に塩は欠かせない。これはどういうことだろうねえ」
「師よ。塩は人の肉を固め、人が動く力のみなもとを支えます。かつて師より、わたしはそう教わりました」
「それは正しい知だ。同時にうわべの知でもある。いったん忘れな。そして考えてみるんだ。もしも人が完全なる存在であるなら、何を取り込む必要もなく、何を捨てる必要もない。金がちょうどそうであるようにね」
「しかし人はものを食べ、ものを排泄します。それは人が完全ではない証しなのでしょうか」
「そうでもあるし、そうでなくもある。よく考えてごらん。金は変わらない。失うこともなく得ることもなければ、衰えることもなく成長もない。それが完全かもしれないけれど、そこに真の美と真の機能はあるのかい。あんたは、美しくて最高に機能的であるけれども、それ以上美しく、それ以上機能的にはならないものと、より美しくより機能的になろうと今の自分を捨てるものと、どちらが真なる美であり機能だと思うね」
「より高みをめざすものを、わたしは美しいと思います。さらなる機能をめざすものを、わたしはより機能的だと思います」
「人がそれさ。命がそれさ。人は成長する存在だ。それは完全以上の完全だ。では命の特徴とは何だろうね。同じ草から採れた種を植えると、ちがう位置に枝が生えてくる。つまり命にはゆらぎがある。そのゆらぎこそ、生きているということの最も端的な証しなんだよ」
「ゆらぎとは何でありましょう。そして命とは何でありましょう」
「ゆらぎとは、選ばずして物事が選ばれてゆくことをいうんだけれども、この場合はもう一つの意味がある。人は生き続けるけれど、その部分部分は死に続けている。そして生まれ続けている。人の体は定まったもののようであってそうでなく、常に新しいものを取り込んで自分を書き換えているのさ」
「何と仰せですか」
かりかり、かりかりと記録係が文字を刻んでゆく。
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「失礼いたします」
領主家の執事が入ってきた。
「昼食を準備いたしました。よろしければお移りいただけますでしょうか」
一行は食堂に移動した。といっても、すぐ隣の部屋だ。
椅子は二つを残して取り払われている。スカラベルとシーラ以外は立食となる。
この昼食の時間だけは、随行の神官や薬師も迎賓館に入れる。談話室に入れない人々にも、二人の会話に参加できる機会を与えるという配慮から、このようなことになったのである。
レカンたちが食堂に入ったとき、神官と薬師は全員がそろって待ち構えていた。
そして彼らは、一様に言葉を失った。
老いてよろよろとしか歩けなかったスカラベルが、すたすたと歩いている。
それだけではない。真っ白だった顔色が、人の健康な肉体の色を取り戻している。
いったい何が起きたのか。
あまりに注目を集めてしまったので、誰かが何かを言わねばならない。
静まりかえった食堂で、口を開いたのはアーマミールだった。
「シーラ様との対談のなかで、今まで誰も気づかなかった〈浄化〉の新たな可能性が開かれた。それにより、スカラベル導師は大きく健康を取り戻された。大神に感謝を」
ざわめきが広がっていった。
ある者は聖印を切り、ある者は涙を流し、あるものはスカラベルの近くによってひざまずき、昨日までとは明らかにちがうスカラベルを間近にみた。
アーマミールににじりよって、何が起きたのか説明を求める者もあった。
皆が驚きと喜びと感動に包まれている。それはスカラベルがいかに慕われているかを示すものでもある。
スカラベルはシーラに何を食べるかと聞き、シーラは具のないスープを少しとサンドイッチを一切れ食べると答えた。するとスカラベルは自分で料理卓に進み、皿にサンドイッチを取り、メイドからスープを受け取り、シーラの前に置いた。そして自分のためにも同じものを用意した。
二人が静かに食事をしているのをみていたレカンに、アーマミール神官が話しかけた。
「師叔」
「その呼び方はやめてくれ」
「はは。そうでしたな、レカン殿」
「なんだ」
「体力回復薬の材料は、まだお持ちですか?」
「うん? あと何個か分はあったな」
「まことに失礼ではございますが、皆の前で、調薬のわざをおみせいただくわけにはまいりませんかのう」
「アーマミール」
たしなめるような声をスカラベルがあげた。
「かまわないよ」
「師よ」
「こんなに大勢の薬師が、はるばる王都から来てくれたんだ。何にももてなしなしってわけにゃいかないさ。レカン」
「ああ」
「魔力回復薬の素材も残ってるね?」
「ああ」
「よし。それじゃあ、みんな。さっさと腹ごしらえをするんだ。テーブルの料理を片付けたらレカンが体力回復薬と魔力回復薬を作ってみせる。あたしの最高のわざをレカンには伝えてある。レカンが作る薬は、あたしが作る薬と同じと思ってもらっていいよ」
(あんたと同じ薬が作れるわけないだろうが)
周囲の期待をかきたてるようなことは言わないでほしかったが、こうなったら引き下がれない。
レカンは猛然と料理に向かった。
燻製肉を、ごっそりと皿に移し、むしゃむしゃとほおばる。
サンドイッチをひとかたまり皿に移し、ぺろりと平らげる。
生野菜をばりばりとかじり、スープをごくごくと飲み干し、戦闘準備は調った。
料理は取り片付けられ、余分なテーブルも下げられた。
壁際にレカンが立ち、その前には小さめのテーブルが置かれている。
その真ん前に置かれた椅子二つにスカラベルとシーラが座っている。
あとの者は立ったまま、びっしりとテーブルを取り囲んでいる。
最前列にいるマルリアとかいう名の女神官の目が怖い。
噂を聞きつけたのか、騎士団の副団長と神殿騎士二人も入ってきた。
少し遅れて、三人の魔法使いも入ってきた。
(ちっ)
(よけいなやつらが入ってきた)
レカンはこれから全身全霊を込めた魔力制御を披露するのである。薬師にみてもらうのはかまわない。だが、魔法使いたちにみられると、手の内を知られるかもしれない。とはいえ、もはや後戻りはできない。
(しかたない)
(みるならみるがいいさ)
小皿を取り出し、深皿を取り出し、素材を取りだし、レカンはまず、体力回復薬を作った。
次に、魔力回復薬を作った。
出来上がった魔力回復薬が、小さな音を立てて深皿に落ちたとき、食堂はしんと静まりかえって、物音一つ立てる者はなかった。呼吸をすることさえ、皆忘れているかのようだった。
やがて誰かが深い息をつき、誰かが拍手をした。
そして部屋中の人々がレカンに惜しみない称賛の拍手を贈った。
薬師カーウィンがスカラベルに手を貸した。スカラベルは椅子から立ち上がり、レカンに深々と頭を下げた。
「あなたは弟弟子じゃと思うておったが、そうではなかった。あなたはわたしの兄弟子だったのですなあ」
「スカラベル導師。そんなはずがないだろう。オレが作るより、よっぽど優れた薬をあんたは作れるはずだ」
「実はあなたが、調薬と魔法の両方を修めたと聞いたときは、いささか奇異に感じたのです。その二つは両立するようなものではないと。じゃが、今の調薬をみてわたしは知りました。最高峰の調薬には、最高峰の魔力制御が必要だったのですなあ」
「頭を上げてくれ、導師。オレは薬の作り方を教わったばかりのひよっこだ。人の病と怪我を癒すということなど、何一つ知らん駆け出しだ」
「だが、あなたがおられねば、師の最高のわざは失われてしまっておった。どうしてその若さであそこまで精密な制御ができるのか不思議でしかたがないが、あなたでなければ、このわざを受け継ぐことはできなんだでしょう。わたしはそのことに頭を下げておるのです」
「そのくらいにしときな。レカンが困ってるよ。さて、さっきの部屋に戻ろうかね。日頃一人でいるもんで、大勢の人間と一緒にいると疲れちまうんだよ」
「レカン殿。この二つの薬は頂いてよろしいですか」
「ああ」
「皆、わたしたちは談話室に戻る。この薬を置いてゆくから、しっかりとみせていただくのだ」
マルリアともう一人の神官が、体力回復薬と魔力回復薬の入った深皿を、うやうやしく持ち上げた。
レカンとしては、深皿は返してほしかったが、ちょっと言い出しにくい雰囲気だったので、黙っていた。
彼らがここにいられるのは、昼食時間だけで、そのあとは領主館に戻り、夕刻には宿舎となっている貴族家に向かわなくてはならない。だから、体力回復薬と魔力回復薬は、これから領主館でじっくりみるつもりなのだろう。




