表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
狼は眠らない  作者: 支援BIS
第26話 薬聖来訪
260/702

8

8


 〈浄化〉をみたことのある人は珍しい。だが、〈回復〉をみたことのある人は、案外に多い。

「〈回復〉って、どんな魔法だった?」

 そう訊けば、大多数の人がこう答えるだろう。

「緑の玉が杖の先にできて、それが怪我人の体にふれると、その部分が治っていくんだ」

 なぜ球形になるのかは、よくわかっていない。ただ、ある程度の密度と量がなくては治癒効果が現れないから、球形は効率的な形だ。

 慣れた〈回復〉使いなら、球を微妙にひずませて、患部に合わせて形を調整するだろう。それにしても、発動した瞬間の〈回復〉は丸い。

 レカンも〈回復〉を習ったときは、緑の球を作れと習った。だから今でも発動した瞬間には球形である。

 〈浄化〉は〈回復〉持ちが発現させるものなのだから、当然〈回復〉に準じた形をとるだろう。

 ところが、今エダが発動した〈浄化〉は、球形などではまったくなかった。

 本当に樽の底を抜いたように、両手からざあざあと、〈浄化〉の青の滝が流れ出た。

 滝はたちまちスカラベルの頭と上半身をびしゃびしゃにぬらし、下半身を水浸しにして、それでも足りずに床に落ちて流れた。

 あっというまに床は一面の〈浄化〉だらけである。立ったままの若い薬師二人は、足元を埋めつくしてゆく〈浄化〉の海に、ただ呆然として言葉も忘れている。

 〈回復〉や〈浄化〉には重さや衝撃はないはずなのに、スカラベルの上半身は、青の水の勢いに負けたかのように、ずるずるとソファーに沈み込んでいく。

 あわてて両側から女性神官コトジアと、アーマミール神官が、スカラベルの腕を抱えて、体がそれ以上滑り落ちないよう支えた。その支えている腕の部分には、ばしゃばしゃと〈浄化〉が跳ね上がっている。

 青の水の勢いは、衰えるどころか段々強くなる。

 それをまともに頭と顔にぶちまけられて、スカラベルは少し息苦しそうである。

 実体のあるものではないのだから、青の奔流を浴びながらも、問題なく息ができる。できるはずなのだけれど、ここまで圧倒的な水の幻を降りそそがれると、呼吸しにくさを感じざるを得ない。

「エダ。スカラベルが苦しんでいる。首から下にかけてやれ」

 レカンの言葉に従って、エダは〈浄化〉の狙いを下方にずらした。

 たちまち、スカラベルはほっとした顔になった。

 まだまだ水流は尽きることを知らない。その勢いは衰えない。

 頭にはかけていないといっても、跳ね返りの水だけで、充分頭もひたされている。

 次第にスカラベルの顔が安らいでゆく。

 厳しく張り詰めた顔が、やわらかく溶け、やがて至福の表情が浮かんできた。

 それでもエダの〈浄化〉はとまらない。

「樽からざあざあ。樽からざあざあ」

 ぶつぶつつぶやいている。これも呪文の一種ということになるのだろうか。

 床は一面青の海だ。

 スカラベルの両脇にいて水しぶきを浴び続けているコトジアとアーマミールも、うっとりとした表情を浮かべている。その隣に座ったカーウィンも同じだ。

 今や部屋の隅に立っている二人の若手薬師も、足からしみこんでくる〈浄化〉の恩寵にひたされて、喜びと安心に満ちた顔をしている。

 それからもずいぶん、〈浄化〉は流れ落ち続けた。

 無限に続くかと思われた青の光の水がとまったとき、部屋には静寂が訪れた。

 いや、実のところ、ずっと静寂だったのだ。

 水音が聞こえたような気がしたのは、すべて錯覚である。まるで錯覚効果を持っているかのような〈浄化〉だった。

「ふう」

 やりきった満足感を顔に浮かべて、エダがソファーにぽすんと腰をおろした。

 魔力のすべてを振り絞った状態のはずだが、先ほど飲んだ魔力回復薬が持続的に魔力を回復させているから、魔力枯渇になることはない。

「レカン。首飾り、いらなかったねえ」

「ああ。魔力回復薬も無駄だったな」

「無駄だったねえ。ともあれ、エダ、おつかれさま。よくやったよ」

「えへへ」

「たいしたものだった」

「えへへへへへ」

 スカラベルは、深くソファーに沈み込み、静かに寝息を立てている。その横に座る三人の弟子は、なかば放心したようになりながら、安らかに眠る師をみている。

 ノーマが立ち上がり、杖に魔力をまとわせて、スカラベルの診察をした。

「どうだったね?」

 シーラの質問にノーマは答えず、コトジアとアーマミールに話しかけた。

「お二方、スカラベル導師の肌にさわってみてください。いかがですか」

 コトジアが、恐る恐る指を伸ばしてスカラベルの頬にさわる。

「やわら……かい」

 ノーマのほうを振り返ったその両目から、涙があふれている。

「血色が。真っ白で蝋のようだったお肌に血色が戻った。おお! こんなに赤みのある肌に」

 カーウィンもスカラベルの前方に回り込んで、手や足にさわっている。

「導師様。導師様」

 その声は泣き声に近い。

 もちろん弟子たちも、スカラベルの異状に気づいていたのだ。だが、どうしようもなかった。ここまで長生きできたのが奇跡なのだと思って諦めて、徐々に徐々に肌や体が硬く変質していくのをみまもるほかなかったのだ。まさかその硬質化が〈浄化〉の副作用だとは思わなかったにちがいない。

 エダがにっこりとレカンに笑いかけた。

 レカンもエダに笑みを返した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
;;
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ