15(シーラの家の図面あり)
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「おやおや。やっと来てくれたね」
「遅くなってすまん」
ジェリコが運んでくれた背もたれのない椅子に腰をおろしながら、レカンはシーラに謝罪の言葉を述べた。
荷物袋と剣は足元に置いている。そして今日のレカンは貴王熊の外套を羽織っている。室内にいるのに外套を着けたままなのは、礼儀や慣習には反するかもしれないが、こうすることでレカンはわずかばかりの心の平安を得た。なにしろ目の前にいるのは、たおやかな老女にみえて、その実、怪物なのだ。
「ドニのことは聞いているよ。世話になったねえ」
「成り行きで、十日間も面倒をみることになった。毎日帰ってくるには遠すぎたんで、泊まり込むことになった」
「実はね、もうずいぶん前から、戦いを復活させないのは不公平だという声があがっていたんだよ」
「ほう」
「特に、長腕猿に愛着を持つ者たちからね」
そう言いながら、シーラはジェリコの首をなでている。
「実のところ、あたしもその一人さ。まさかドニが、あんなふうに思っているとはね」
もしかすると、領主が戦いを復活させた背景には、あるいはルモイ村に視察に出かけた背景には、シーラの関与があったのかもしれない。
「戦いの結果を聞いたかい?」
「相手はたった二頭の木狼なのだろう? パレードが負けるわけがない」
「相当厳しい特訓をしたようだね。パレードの圧勝さ。だが、そのあとがあるんだよ」
「ほう」
「ドニは、領主に訴えたのさ。領主館の守護には木狼こそが向いている、長腕猿は、力なく心細く生きる人たちに寄り添うことに向いている、とね」
「なるほど。だが、競争相手はどう受け取ったかな」
「そこさね」
ころころと笑って、シーラは言葉を続けた。
「何しろ、手も足も出ずに負かされたあげく、領主館の守護役は譲ってやるっていうんだからね。ばかにするな、っていう気になったみたいでねえ。どうしても再戦をと相手が言って譲らない。結局十年後に再戦することになったよ。ただし向こう十年間、領主館の守護獣は木狼と決まった。今回は近隣の領主たちも呼ばれていて、パレードの強さと風格に感嘆してたね。ドニのところには、買い付けの申し込みと調教の依頼が殺到するだろうさ」
「さて、ではオレの弟子入りは認めてもらえたのか」
「合格だね。ようこそ。こわもての新弟子さん」
「よろしく頼む、師匠」
「ところで一つ訊きたいんだけれどもね。フォベアの家の片付けをしたとき、だいぶ疲れがたまってたらしいね」
ずいぶん細かいところまでシーラは情報をつかんでいるようだ。
「石が重く、多かった」
「あんたでなけりゃ、とても一人で動かしたりはできなかったさ。でも、どうして体力回復薬を買いに来なかったんだい?」
レカンは驚きのあまり、右目をみひらいて硬直した。
「体力……回復薬……だと?」
「そんな薬があるとは知らなかった、って顔だね。あるよ。筋肉をほぐして新たな力を与えてくれる薬がね。ただし、節々の奥深くの痛みや、体のしんに残る疲労感まではとれないから、使い続けると痛みやしんどさが積み重なる。普通の仕事では使わないが、納期の迫った職人には必須の薬だね。あと騎士や冒険者も、いざというときには使うね」
「そんな薬があったのか」
「やれやれ、やっぱり〈落ち人〉だねえ。常識から教えてあげないとだめか」
「オレが〈落ち人〉だと、いつ気づいた?」
「チェイニーが最初に言ってたよ。レカンという人は、内緒にしてるようだが〈落ち人〉だと思うので、いろいろ教えてやってほしいって」
どうやらチェイニーには気づかれていたようだ。相手は人がよさそうにみえても抜け目のない商人だし、レカンが世間知らずなのは事実なのだから、これはしかたがないだろう。
正直なところ、目の前の怪物にだけは知られたくなかった。
だが、これからしばらくレカンはシーラの身近にいて薬師のわざを学ぶのだ。
〈落ち人〉だということを隠す必要がないとなれば、どんなことでも遠慮なく訊ける。これは好都合なのだと思うことにした。
こうして冒険者レカンは、薬師シーラに弟子入りしたのである。
「第3話 弟子入り試験」完/次回「第4話 薬草採取」