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光球の透明度は低い。青みがかった白銀の球のなかのシーラは、色彩を失ったぼんやりとした影となっている。
その影をじっとみながら、スカラベルはおのれの術に集中している。
レカンは、いても立ってもいられないような気持ちを味わっていた。
シーラのことだから、弱点である〈浄化〉に対する防御あるいは対抗の手立てを、まったく講じていないはずはない。三百年以上の時間があったのだ。
だが、〈浄化〉をかけるスカラベル導師は、この国最高の薬師なのだ。
自分の魔法がどう効いているか、冷静に観察するだろうと思ったし、現にしている。
もしも〈浄化〉がはじかれたり無効化されたりすれば、この老薬師は、たちどころにみてとるだろう。
あるいは、〈浄化〉が癒しの効果でなく破壊の効果をわずかでも現したとき、この老人がみのがすはずはない。
そうすれば、〈浄化〉のわざを受け付けないシーラとは何者かということになる。
〈浄化〉で傷つくシーラとは何者かということになる。
それは破滅のはじまりだ。
スカラベルの作った、青みを帯びた白銀の光球は、ゆっくりと下のほうに降りてゆき、シーラの体をじっくりとひたしている。
スカラベルの目つきは静かに落ち着いており、すべてをみとおさずにはおかない叡智をたたえている。
弟子たちも、食い入るように師のわざの効果をみまもっている。その視線がレカンには痛かった。この弟子たちもまた、この国のなかでシーラにとって最も危険な人物たちだ。
それにしても、スカラベルの〈浄化〉はすさまじい。
その魔力の練られ方と光球から感じ取れる効果の濃密さは、やはりエダとは数段ちがう。
これが上級の〈浄化〉というものであり、エダの〈浄化〉は、レベルでいえば初級なのだろう。
気がつけば、エダは食い入るようにスカラベルの魔法行使をみつめている。こうしている瞬間にも、エダは何かを学んでいるのだろう。
やがて光球は足元におよび、そして静かに消えていった。
スカラベルは杖をしまった。
その目は鋭さを失い、少しぼんやりしているようにみえる。
いったい、今スカラベルは何を考えているのか。
何に気づいたのか。
「気持ちよかったよ。礼を言うよ」
はっとしたように、スカラベルは頭を下げた。
「師よ。恐れ入ります」
「わざわざこんなとこまで来て、あたしに〈浄化〉をかけてくれたこと、感謝している」
「もったいないお言葉です」
「だけど、スカラベル。これ以上の〈浄化〉は無用だ。いいね」
「は、師よ。よくわかりました」
いったい今何が起きたのか、レカンにはわからなかった。
だがたぶん、スカラベルにはわかった。そしてその結果、これ以上の〈浄化〉は無用だというシーラの言葉に、スカラベルは、よくわかりましたと答えた。
(いったい何があったんだ?)
スカラベルは、しばらく目を閉じて何事かを考え込んでいた。
その顔をみながら、レカンは、白い肌だなと、あらためて思った。
不自然な白さだ。鍾乳石のような白さだ。
スカラベルは動きもかたい。百歳を超えているのだから当然ではあるが、体中がやわらかさを失ってしまっているようにみえる。表情も硬い。
やがてスカラベルは、ぽつりとつぶやくように言った。
「師よ。近頃になって、今さらながらに不思議に思うのです。薬とは何か。施療とは何か。〈回復〉とは、〈浄化〉とは何か。師よ。草を用いて人の病や怪我が癒せるのは、なぜなのでしょう」
「そうだねえ。その問いに対する直接の答えは、人の体のなかにある癒しの働きを、草が高めてくれるから、ということになるんだけどね。それは上っ面の答えだ。あんたが聞きたいのは、もう少し根っこのことなんだろうね」
「はい」
「スカラベル、土と草と人がある。あんた、草は土に近いと思うかい。それとも人に近いと思うかい」
「ある面では土に近く、ある面では人に近いかと思います」
「そのある面ではってのは、どういう面なんだい」
「すぐには答えが浮かんでまいりません」
「そうかい。草はね、成長し、こどもを残すという点では人に近い。動き回ったりしないし、泣いたり笑ったりしないという点では土に近い」
「なるほど、なるほど」
「つまり草はね。生き物というくくりでは、人と同じなんだ。ところで、人間は、鳥や獣や魚や木や草を食べて生きる。じゃあ草は何を食べて生きるんだい?」
「水と土と日の光でありましょう」
「土ってのは、いろんな石の粉や、そのほかのいろんなものからできている。そしてそのすべては生き物じゃない。生き物じゃない土を食べて草は生長し、その草を食べて人は成長する。ここまではいいね」
「よくわかります」
「人の体の成り立ちを読み解いていくとね、結局土を成り立たせているものと同じものからできているんだ」
「ええっ。それはまことでありましょうか」
かりかり、かりかりと、若い薬師たちは二人の会話を書き取ってゆく。
問答は長い時間続いた。
やがて夕食の時間となった。
九日間のうちには、二度、薬師全員との夕食があるが、今夜は談話室のメンバーだけでの食事だ。
護衛以外の人々のほとんどは、すでに四つの貴族家に分宿すべく、領主館を出ている。
相変わらずシーラは、ほとんど具のないスープと、ほんの一かけらのパンしか食べない。ただし、ワインはよく飲んだ。
「師は相変わらずですな。どうしてそれで体を保てるのか、不思議でなりません」
「スカラベル。あたしぐらいになるとね。草と同じように生きられるのさ」
「草はワインを飲みましたかな」
「たまにゃ飲むんじゃないかい」
スカラベルのシーラに対する態度は、何も変わっていないようにみえる。
スカラベルがシーラに疑いや批判をなげかけず、敬意をもって接するのであれば、弟子たちもまたそれにならうはずだ。
ただし、スカラベルは、どうかすると、何かを考えているような遠い目をする。それがいつものことであるのかどうか、レカンにはわからない。
「さて、今日はちょっとばかり疲れた。休ませてもらうよ。あんたも長旅で疲れたろう。ゆっくりお休み」
「お休みなさいませ、師よ。ありがとうございます」
レカンの先導でシーラは部屋を出た。エダとノーマが続く。
エダはそのままシーラに付き添って迎賓館で寝る。
ノーマはあとで領主館の離れに戻って寝る。
護衛の騎士が頭を下げてシーラの退出をみまもった。
「じゃあオレは、離れに帰る」
「ああ、ご苦労さん」
レカンは迎賓館の裏口を出た。裏口の外に立つ騎士が礼をしてきた。
この時間になると、警護の人数も減っている。夜間は交代で見張りに立つのだ。スカラベルたちの邪魔にならないよう、できるだけ静かにすることになっている。
宿舎にしている離れの建物はすぐそこだ。
強い酒をあおって寝た。