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〈薬聖〉スカラベル導師がヴォーカの町を訪れ、九日間にわたって滞在するという話は人々のあいだに伝わっており、町全体を活気づけていた。
誰言うともなく、スカラベル導師の一行は〈薬聖訪問団〉と呼ばれるようになった。
予定を早めて薬聖訪問団が到着するということは、たちまちのうちに町に知れわたり、あちこちでお祭り騒ぎが始まった。
当日の朝ともなれば、町の家々には、それぞれ〈薬聖〉歓迎の気持ちを表す飾り付けがほどこされた。
空は晴れ渡り、青く透き通っている。ほかの季節にはみられない深い青さだ。
人々はこの生きた神と呼ばれる老薬師を歓迎しよう、一目みようと、西門から領主宅へ続く道の両側を埋め尽くした。
領主の強固な反対にもかかわらず、領主指名の歓迎団は、領主邸の門から玄関までのあいだに並ぶことになった。
町役人が五十数人と、各界の代表者たち五十人弱が、馬車の邪魔にもならず、庭の草木を踏み荒らしもしない絶妙の位置に立ち並んでいる。
人々が騒ぎ立てる声が聞こえてきた。
いよいよ薬聖訪問団が町に到着したのだ。
レカンはといえば、まだ離れにいた。シーラも、エダも、ノーマも一緒である。
なぜかシーラはこの離れを気に入り、迎賓館のほうには寝に行くだけで、ほかはここで過ごしている。この二日間、起きているあいだはほとんどレカンの特訓を行っていたから、それも当然といえば当然なのだが、茶や食事をとるのも、迎賓館には戻らず、ここでとっている。
ニケの姿ならともかく、シーラの姿で食事をとるのは珍しい。
といっても、口にするのは、具のほとんどを取り除かせたスープと、少しのパンだけだが。
薬聖訪問団の陣容は、馬車十一台、騎馬十三騎、徒歩十九人である。人数でいえば、人が八十五人で、馬が三十五頭だ。領主館だけでは収まらないので、各貴族家も訪問団の宿泊を受け持つ。
騎馬三騎が馬車を先導している。その先頭の一騎が領主館の門内に入ってきた。
と、門に立ち並んでいた人の列が後ろに下がった。
騎馬の人物が、馬車の安全のために下がらせたのだろう。領主の心が悲鳴を上げているのが聞こえる気がした。
いよいよ馬車から人間が降りてきた。
わああっと歓声があがる。
領主夫妻が玄関前で主賓たちを迎えて館内に招き入れる。
館の玄関ホールで主賓たちを出迎えたのは、領主夫妻のほかに、領主の長男、次男、三男、長女、次女、執事、それに貴族家当主四人、ケレス神殿長と副神殿長、チェイニーと冒険者協会長ゼンキスだ。
「シーラ様、介添え様がた。ご移動をお願いいたします」
文官が呼びに来たので、レカンたちは離れから出発して控えの間にむかう。
レカンはいつも通り、〈貴王熊〉の外套をまとっている。領主は、よそいきの格好をしてくれと懇願したが、これは騎士の鎧と同じで護衛としての正装だと言ってレカンは譲らなかった。
ノーマは、すっきりした白基調の施療師服に、紺色が混じる黒色の上質な上着を着ている。
エダは、妙にかわいらしい服をきている。ニーナエで買ったものらしい。
主賓一行に先んじて四人が応接室に入って、部屋の下座側の隅に陣取った。たぶん二人は護衛の騎士で、もう二人は護衛の魔法使いだ。
主賓一行のうち七人が応接室に入った。
今日、応接室は、ソファーもテーブルも取り除かれている。
主賓一行七人が上座にいて、下座には四人が、その横に二人がいる。
横の二人が領主と執事だろう。
執事は下座の四人、ハッディス家当主、ゴンクール家当主、サワジエ家当主、ツルサワ家当主を主賓たちに紹介しているはずだ。特に主賓一行の中心にいるはずのスカラベルに。
レカンたちが控えの間に到着する。この部屋からは、廊下を通らず直接応接室に入ることができる。
貴族家四当主が退出し、主賓一行七人が下座に移動した。
二十一人が廊下から入り、七人の後ろに並んだ。王都の各神殿から派遣された神官たちと、スカラベルの弟子だ。
「薬師シーラ様、ご入室でございます」
文官がドアを開けつつ、そう言った。
レカンが先頭を進む。シーラが、そしてエダとノーマがあとに続く。
それなりに広い応接間だが、さすがにこれだけの人が入るとぎっしりで、上座の空間は、あまり広くない。
シーラが中央まで進んで立ち止まり、下座のほうを向くと、訪問団の一番前にいた老人がひざまずいた。魔石が映し出したのと同じ人物だ。
「師よ。再びお会いすることができ、このスカラベル、至上の喜びを感じております。ああ、師よ。師よ。なんと、なんとお懐かしい!」
後ろの人々も右手を左胸に当てて頭を下げた。ひざまずきたくても、それだけの空間がない。
「おやおや。いつのまに、そんな大仰な言葉遣いを覚えたのかねえ。まあ、久しぶりだ。あたしも会えてうれしいよ。ぼうや」
スカラベルは、ひざまずいて頭を下げたままだ。
やがてしずかな嗚咽が聞こえた。
スカラベルが泣いているのだ。
「泣いているのかい。相変わらず泣き虫だねえ」
そう言いながら、シーラはスカラベルの髪のない頭頂に手を置いて、やさしくなでた。
「ぶ、無礼な! ただちにその手を離しなさい!」
最前列に立っている初老の女のきいきいした声が、部屋に響いた。




