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町がにぎわっている。
町のどこにいても、それを感じる。
領主クリムス・ウルバンは、〈薬聖〉スカラベル導師を迎えるための迎賓館建設をチェイニー商店に一任し、王都から来た内務事務官と直接打ち合わせをさせた。
チェイニーは、最初、この工事のための職人をバンタロイから呼び寄せたいと思った。
だが、日がない。あまりに少ない。
そこで地元の職人たちを総動員した。
なにしろ、最高の貴賓が滞在する施設だ。規模こそごく小さいものの、最上質の建物でなければならない。家具や食器も同様である。
チェイニーは採算を度外視してこの事業に取り組むことにした。あれを作ったのはチェイニー商店であると後世まで誇れる仕事にするのだ。とはいえ、本格的な土台を築くほどの時間はない。どうしても簡略な、つつましい造りになる。それでも可能なかぎりの工夫を詰め込んで、居心地よく見栄えのよい建物を作り上げるつもりだ。
現場の責任者となったのは、チェイニーの孫のウィニーである。
チェイニー自身はバンタロイにおもむいて、八目大蜘蛛の素材を使った取引先拡大の事業にあたる。それとともに、迎賓館に使う大型家具以外の調度をバンタロイで購入する。
領主は、バンタロイ以北の街道整備という事業に、文字通り忙殺されている。石積み職人、石工、大工、人足などは、ヴォーカと近隣からとにかくかき集めて仕事をさせているが、橋を作る石積み職人だけは、バンタロイから呼ばざるを得ない。
毎日ヴォーカには、大勢の人間がやってきて出てゆく。
その人々の動きが、町に活気を与えている。
そしてまた、町には、発展への期待が渦巻いている。
王都からの使者一行が帰ったあと、エダは金級冒険者となった。
だが、最近はまったく冒険者協会に顔を出していないようだ。
あちこちの家に招かれては、料理や裁縫を教わり、世間話に花を咲かせている。そして数日に一度、ノーマの往診に随行して〈回復〉をかける。
夜寝る前には、レカンに〈浄化〉をかける。
シーラに言われたように、〈睡眠〉と〈探知〉にも磨きをかけている。時々は森で実地練習をしている。
そんな暮らしを、エダはひどく楽しんでいるようだ。
レカンも冒険者協会にはまったく顔を出していないが、アイラはいろいろ依頼を持ってきては受けてくれと頼み込んでくる。
どうやって調べたのか知らないが、レカンとエダの住まいを、アイラは早々にみつけだしたのだ。そして夕方ごろやって来ては、茶を飲みながら依頼の話をする。もちろんレカンはすべてことわっている。エダも今のところは依頼を受けていない。レカンと一緒でなければ依頼は受けないつもりだという。
レカンはといえば、毎日半日ほどはシーラの家にいて、魔法を教わっている。
まず教わったのは、〈閃光〉である。これは、初級の段階では、まぶしい光を一瞬発するだけの魔法なのだが、魂鬼族の妖魔には効果があるので、ぜひ覚えておいたほうがよいと言われた。
「それにね。目つぶしってのは、対人戦じゃ存外ばかにならない効果があるよ。魔獣のなかでも猿鬼族にはわりと効くし、泥奇族にも効く。覚えといて損はないさ」
これはすぐに習得できた。威力を上げると一撃で相手を失明させられるというから、考えてみればなかなか恐ろしい魔法である。
これで光熱系魔法については卒業を言い渡された。
「これ以上数を覚えてもしかたないさね。〈炎槍〉と〈雷撃〉と〈氷弾〉を磨き込みな。それが強くなる道だよ」
シーラの分類では、〈水刃〉は空間系魔法であり、〈氷弾〉は光熱系魔法であるとともに空間系魔法だが、両方とも水を使う攻撃である。習熟すれば、〈氷弾〉は〈水刃〉より圧倒的に高い貫通力が得られるので、〈水刃〉は捨てて〈氷弾〉を伸ばしたほうがいいという。
次に教わったのは、〈隠蔽〉である。これはレカンから申し出て教えてもらった。
シーラによれば、レカンは知覚系ではもう覚えるべき魔法がないという。〈遠耳〉や〈拡大〉は取る必要がないほどレカンの探知能力は優れているし、〈隠蔽〉は、レカンの性格や戦闘スタイルとそぐわないので、あまり意味がないという。
「あんたみたいなでかぶつが、こっそり人の家んなかに隠れようたって、どだい無理な話さね。あんた、半刻も息をひそめてじっとしてるなんて、できやしないだろ?」
それはそうだと、レカンもいったんは思った。
レカンは、知覚系の〈解析〉に興味があったのだが、これは専門化された特殊な知識や技能がなければ覚えられない魔法なのだという。今のレカンなら薬草についての〈解析〉の発動が可能かもしれないが、もっと知識を増やさなければ、あまり精度の高い〈解析〉にはならないし、精度の高い〈解析〉ができたからといって、今以上の薬は作れない。
そんなわけで、知覚系の魔法についても卒業ということになりかけたのだが、やはり〈隠蔽〉は覚えたいとレカンが頼み込んだのである。
少し詳しく訊いてみたところ、魔法の〈隠蔽〉は、暗殺者が習得するスキルとしての気配隠蔽とはちがい、自分以外のものにもかけられることがわかった。
つまり、他の人間や物品にもかけられるのである。
〈隠蔽〉をかけた人や物や動物は、他の人間から存在を意識されにくくなる。目の前にいてみえているのに、みえたという認識が消えるのだ。〈隠蔽〉は動物や魔獣にも多少は効くが、基本的には対人魔法である。
なかなか便利な使い方ができそうな魔法なので、レカンは覚えたいと言い張り、シーラが折れた。
シーラはむしろレカンに、〈障壁〉を教えたかったようだ。
〈障壁〉には、対物理のものと対魔法のものがあるが、シーラが教えようとしているのは、対魔法のものである。
「確かにあんたには〈インテュアドロの首飾り〉があるけどね。一つの装備に頼り切るのは感心しない。あれは便利すぎるから、代わりになるものなんて、ちょっとみつからないよ」
確かにその通りである。
「一撃であんたに大きなダメージを与えるような物理攻撃は、同時に何発も襲ってくることはないだろう。だけど、一撃であんたに大きなダメージを与えるような魔法攻撃が雨あられと降ってくることは、ないとはいえない」
それはその通りだが、いったいシーラは、どんな相手との対戦を想定しているのだろうか。
〈隠蔽〉の魔法は同じ知覚系魔法でも、〈鑑定〉などとはずいぶん性質が異なっており、むしろ精神系魔法に近い特性をもっているのだという。レカンは精神系魔法に適性がないためか、なかなか習得できない。
ある日家に帰るとチェイニー商店からの使いが来て、修復の済んだベストとズボン、それに新調した下着とズボンとシャツが納品された。軽鎧ができるまでは、再びこのもとの世界から持ってきた千々岩蜘蛛のベストを常用することになる。ズボンは新しいものをはくことにして、もとの世界から持ってきたズボンは〈収納〉に入れた。
意外にも蜘蛛素材の下着は着心地がよい。エダも、これなら着られると喜んでいた。
八の月に入って、十日ほど薬草採取に行った。エダも一緒である。エダはとても楽しそうにしていた。
レカンは薬草採取はほとんどせず、魔法の練習に明け暮れた。
光熱系魔法には卒業を言い渡されたが、〈雷撃〉の使い方によくわからないところがあったので、指導を受けた。シーラは、一定の範囲に〈雷撃〉を撃ち込み、狙った相手だけに狙ったダメージを与えるという器用な見本をみせてくれた。
〈隠蔽〉を繰り返し練習したが、こつがつかめなかった。だが、見込みはあると言われた。
町に帰ると、領主から呼び出しがあった。