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箱のふたは閉じられ、事務官はそれをレカンに差し出した。
レカンは箱を受け取って〈収納〉にしまった。
ソファがもとに戻され、書記次官と一級神官が座った。
唇をなめて、レカンは話を始めた。
「使者殿。訊きたいことがある」
「何かな」
「今受け取った、姿と声を保存する魔石は、ほかにもあるのか」
「あれは、迷宮の深層で特に強い魔獣を倒して得られる魔石を必要とする。それに特殊な加工を施すのである。トマト商会にしか作れぬ。極めて希少なもので、王からスカラベル導師に下賜されたものだ」
「なるほど。珍しいものであり高価なものだが、作ろうと思えば作れるんだな」
「スカラベル導師は、たしか三つほど、下賜を受けておられたはずだ。つまり、あと二つお持ちであろうと思う」
「そうか。ものは相談だが、スカラベル導師がシーラにみせたいという薬と、その加工された魔石をここに持ってきてもらう、というわけにはいかんだろうか」
「それは要するに、スカラベル導師がここに来られることをお止めする、ということか?」
「そうだ。薬をシーラにみせて、シーラがその薬についての感想を言う。その姿と声を魔石に保存して、王都に持って帰ってもらえばいい。高齢で体の弱っているスカラベル導師に、わざわざここまで来てもらうには及ばない」
「レカン殿。スカラベル導師は、ご自身がシーラ殿に〈浄化〉をかけることをお望みだ。それはどうなる」
「使者殿。シーラに〈浄化〉は不要だ」
「なに?」
「シーラに〈浄化〉は不要なんだ」
書記次官は、目を細めて考え込んだ。そして意外な質問をした。
「レカン殿は、もしや〈浄化〉が使えるのか」
「いや、オレは使えない」
「ほう。含みのある言い方だな」
「それ以上は訊いてもらっては困る」
「なるほど」
書記次官は腕を組んで、しばらく考えた。
「レカン殿。スカラベル導師がヴォーカの町に行くとおっしゃったとき、宰相府は、そのシーラ殿という薬師を王都に招いてはどうか、と強くお勧めした」
「ああ、なるほど。当然だな」
「導師はお怒りになった。師を呼びつける弟子がいるかと」
「まじめなやつなんだな」
「宰相府は、シーラ殿に王陛下から格別の褒賞を下賜するという案も出した。大変な名誉だ。そうすれば、シーラ殿に対して非礼をせず、王都に来てもらうことができる」
「ふむ。なるほど」
「スカラベル導師は、その案には賛成なさった。ただし、師が王都に来られるついでに自分のもとにお呼びするのは不敬の極み、シーラ殿への褒賞とは別に、自分はやはりヴォーカに師をお訪ねするとおっしゃった」
「頑固なじいさんだな」
「いいかげんにせよ、この無礼者!」
押し殺した怒声を発したのは、書記次官の護衛である王国騎士団副団長のザイファド・カッチーニだ。
「スカラベル導師に対し奉り、じいさんとは何事か。宰相代理殿に対する物言いも、著しく敬意に欠ける。これ以上無礼を重ねるなら、斬って捨てる」
「ふむ。オレなりに言葉遣いは気をつけているんだがな。だが、使者である書記次官殿が、オレの口調が不愉快だからこれ以上話したくないというなら、オレはこの場から消えよう。交渉はおしまいだ」
「それは困る。小官は役目を果たすことを重視している。レカン殿とのあいだには現在やり取りが成立している。シーラ殿が今回のことにふさわしい人物であることも、おおむね確認できた。これは好ましい状況だ。ザイファド殿、控えられよ」
「し、しかし」
「控えよ」
ザイファドは顔に険を浮かべたが、短く敬礼をして命令を受領した。
ヴォーカ領主がレカンの隣で額を押さえている。頭痛がぶり返したのだろう。
「書記次官殿」
「何か」
「スカラベル導師がシーラに会いに来ると言い、その調整のためにあんたたちが来た。それを知ってシーラは姿を消した」
「大変遺憾なことである」
「ということは、シーラは、王都からの使者に会う気がないということだ。つまり、スカラベル導師に会う気がないということだ」
ザイファドが盛んに殺気を飛ばしてくる。なかなかの武威だ。
「ふむ。それで?」
「師であるシーラが会う気がないということを、弟子であるスカラベル導師に伝え、あらためてスカラベルが何と言うか訊いてみて、その先を考えるってのはどうかな」
「ふざけるな!」
ザイファドが大声を出した。
「畏き勅命を受けて宰相閣下が取り進めておられることを中止せよとは、許されざる暴言。増長が過ぎる!」
「中止しろとは言っていない。よく話し合って進めるべきだと言っているんだ」
「書記次官殿、このような礼儀知らずとまともに話し合うのは時間の無駄です。剣でたたき伏せて言うことを聞かせればよいのです」
ザカ王国の最大戦力であり最精鋭である王国騎士団。その副団長が、すさまじい殺気を放ちながら威圧しているのである。普通の人間なら震え上がって言うことを聞くだろう。
だがレカンは普通の人間ではなかった。
「おお! そりゃあありがたいなあ。剣で決着をつけてくれるのか?」