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「君にも、いかに事態がおおごとであるか、わかったろうと思う」
「ふむ。一つ訊きたい」
「何かね」
「スカラベルとかいうのは何者だ?」
ヴォーカ領主クリムス・ウルバンは、突然立ち上がり、身を乗り出して、テーブル越しにレカンの外套の襟を両手でつかんだ。
「お前は薬師だろう! なんでわが国最高の薬師、〈薬聖〉スカラベル導師を知らんのだ!」
しばらくクリムスはレカンを揺さぶろうと力を込め続けたが、レカンはまったくびくともしない。
やがて力尽きて、どすんとソファに座り込んだ。
「テスラ。この迷宮狼に説明してやってくれ」
「はっ」
横に立っていたテスラ隊長が、レカンに向かって説明を始めた。
「レカン殿。かつて薬師のわざというのは、その土地その土地で経験を積んだ老人が若者に伝えていくものであり、個別ばらばらであり、薬の品質は低かった」
「ふむ」
「ごく一部には、薬効の高い薬を処方できる薬師もいたが、そのわざは秘匿されてしまい、やがて途絶えてしまうのが普通だった」
「なるほど」
「ところがスカラベル導師は、あらゆる病や怪我に対し、それぞれ有効な薬草とその組み合わせや、薬効の抽出のしかたを発見された。たった一代でその偉業をなし遂げられたのだ」
それはたぶん、スカラベルが自分で発見したのでなく、シーラから教わったのだろうと、レカンは思った。
「しかも偉大な師は、多くの弟子を育て、惜しげもなく薬師のわざをお伝えになった。今国中で活躍する薬師のうち、真の薬師のわざを持つ者のほとんどは、スカラベル師の孫弟子やその弟子だといわれている」
「それから」
「それだけでなく、師はみずから貧しき人々のため施療のわざに従われ、ついには〈浄化〉のわざに目覚められた」
「なに」
「やがて師の懿徳は貴族のかたがたにも伝わり、最後には王陛下その人に招かれて薬を処方し、〈回復〉や〈浄化〉のわざをふるうようにまでなられた」
「驚いたな」
「また、各神殿に働きかけて、施療部門の充実をはかられた。神官ではない一薬師の身分でありながら、王都エレクス神殿の薬師長をお勤めになったこともあるのだ」
「それだけの力を持ちながら、どこの勢力にも取り込まれなかったのか? 閉じ込められなかったのか?」
「スカラベル導師を閉じ込めることなど、できるものではない。王都の民が騒乱を起こしてしまうだろう。いや、そういう問題ではないな。王家も貴族がたも神殿も、スカラベル導師の徳の前に頭を垂れたのだ」
「ちょっと信じられん話だな。その導師という敬称は、誰が授けたのだ」
「導師というのは、その分野で最高の段階に達した人に贈られる称号だが、スカラベル導師の場合は、誰かから授けられたというわけではなく、おのずと皆がそう呼ぶようになったのだ」
「では、身分としては、薬師であるというだけなのか?」
「そうだといえばそうだ。神殿が聖者認定をしようとしたことが何度かあったが、頑としてご本人が了承されなかったと聞いている」
「いったい何歳ぐらいなんだ?」
「百歳を超えておられるのはまちがいない。それ以上のくわしいことはわからん」
「百歳以上だと? しかし。そうか、〈浄化〉持ちだったな。自分に〈浄化〉をかけ続けているのだな」
「百歳を超えてなおお元気であられることは、そのお徳と、その〈浄化〉のわざがすぐれている証拠だ」
「そいつが自分でここに来るというのか?」
「大変驚いている。というより、信じられない気持ちだ。スカラベル導師が王都を出られたことなど、聞いたこともない」
「ということだ。レカン、わかったか? 〈薬聖〉〈すべての薬師の師〉〈薬草の王〉〈施療の父〉といったあまたの呼び名で呼ばれ、生きた神ともいわれるかただ。そのおかたが、この町に来るという。シーラ殿に会いに。いったいシーラ殿とは何者なのだ?」
「薬師だ」
「ただの薬師ではあるまい」
「そのスカラベルとかいうやつは、自分で〈薬聖〉などと名乗ったのか?」
「そんなわけはないだろう。それは人がそうお呼びしたのだ」
「ならばシーラも一人の薬師だ。それを周りが何と呼ぶかなど、オレの知ったことではない」
「レカン」
「なんだ」
「スカラベル導師が、シーラ殿の薬をみて、この薬を作った人はわが師である、とおっしゃったという噂がある」
「その言葉がどういう意味なのか知りたければ、スカラベルに訊け」
「まさか、本当にシーラ殿がスカラベル導師の師であるというような、そんなことはあるまいな?」
「知らん」
「シーラ殿は、おいくつなのだ」
「クリムス」
「なんだ」
「お前たちは相当に、そのスカラベルというやつが大事らしい」
「ワシがどうこうではない。導師は国の宝なのだ」
「オレにとってはシーラが宝だ」
「む」
「お前たちがそのスカラベルとかいうやつの機嫌をとるために、シーラを煩わせ、あれこれかきまわすつもりなら」
「つもりならどうする」
「戦う」
「はははははは。戦うだと。はははは。内務書記次官殿やエレクス神殿一級神官様がおみえなのだ。王国騎士団や神殿騎士団の精鋭が付き従うだろう。彼らと戦うつもりか? はあっはっはっはっはっ」
よほどおかしかったのだろう。
クリムスは全身をゆすりながら、しばらく楽しそうに笑った。
「戦うとも。そいつらがシーラの平安を脅かすならな」
このことばを聞いて、笑いをなかば顔にはりつけたまま、クリムスは訊ねた。
「まさか本気か? 勝てるとでも思うのか? 君がいくら強いといっても、たった一人なんだぞ?」
レカンは冷たい目でクリムスを凝視した。
クリムスの上気していた顔から徐々に血の気が引いていった。
「本気、なのか。嘘だろう」
クリムスは深々とソファーに体を沈め、それから上体を深く折り曲げて、右手で顔を覆い、大きなため息をついた。
「誰だ、こんなやつ金級冒険者にしたのは」