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翌日は、朝食のあと、ノーマの施療所に行った。エダは買い物や用事をするというので別行動となった。
ここのところ、エダの交際範囲は劇的に広がっている。
近所の奥さん連中には、非常にかわいがられている。よくお茶に呼ばれたりしているし、料理などもならっているようだ。
野菜や果物や穀物を売る店にも、どんどん知り合いを作っている。
エダが、こんな若さで冒険者をしていると知って、みんな憤慨しているらしい。
レカンのことは、甲斐性なしのろくでなしと思っているようだ。
エダが笑いながらそう話していた。
ご近所付き合いを楽しんでいるようで結構なことだ、とレカンは思っている。
2
ノーマは診察中だった。レカンは帰ろうとしたが、待つようにいわれ、休憩室で庭をみながら茶を飲んだ。
珍しく、ジンガーのほうから話しかけてきた。
「マシャジャインから使いが来ましてね」
「ほう」
「侯爵様が亡くなられたそうです」
「そうか」
侯爵というのは、ノーマの父の兄にあたる人物だ。たしか、ノーマの父が先代侯爵の六男だったはずだから、その兄である侯爵は、それなりの年齢だったのだろう。
「ご遺言だったということで、私に少なくない慰労金を持ってきてくれました。これが最後の使いになるということでした」
ということは、今までにも定期的に侯爵家からは使いが来て、連絡を取り合っていたということだ。
そして、そのことをレカンに告げたのは、エダのことを侯爵家には報告していないということなのだろう。
「侯爵家の騎士という身分はお返ししました。これで文字通り、施療所の世話係になったわけですな」
茶の香りを楽しみながら庭をみる目は、どこか寂しげでもあり、どこかほっとしたような安らぎを感じさせもした。
ジンガーと侯爵家とのつながりは切れたようだ。ということは、もうこれからは、エダのことを報告されるのではないかと心配する必要はない。
「侯爵が死んだことを、ノーマには教えたのか?」
「ええ。お伝えしました」
「ノーマは、お前が侯爵家から使わされた見張りだったと、知っているのか?」
ジンガーは、ちらりとレカンのほうをみた。おもしろがるような目つきだ。
「さて、どうでしょうかな。私は面と向かってそのように申し上げたことはありませんし、ノーマ様からそのようなことを訊かれたこともありません」
「そうか」
庭のほうを向いたジンガーのまなざしは、ここではないどこか遠くをみているようでもある。
「私は先代侯爵様から、いえすでに先々代侯爵様ですな、先々代侯爵様から、ノーマ様のお母上様の護衛を命ぜられました。そしてお母上様は、ご帰幽になられるとき、夫と娘をよろしく頼むとおっしゃったのです」
レカンは何も言わず、黙ってジンガーの言葉を聞いている。
「そのことを先代侯爵様に申し上げると、先代様は、弟はもとの町に戻るから、お前は二人について行って守れ、とおっしゃられたのです」
二人を守れ、と先代侯爵は言ったのだ。それはどういう意味だったのだろう。
「そのとき、こうもおっしゃいました。お前の任務は、公式には、ノーマの保護と監視と新たな〈浄化〉持ち誕生の際の報告ということになる、と。当時、侯爵家には、ノーマ様が〈浄化〉を発現するのではないかと期待する人は多く、そこへのご配慮は不可欠だったのです」
ジンガーは目を閉じた。何かを悔悟するかのように。
「しかし私は、お二方から託された役目を果たせませんでした。ノーマ様は父上をお失いになってしまわれたのです」
忠義一筋に生きてきただろうこの男は、任務に失敗したことを、どれほど悔やんだろうか。
「侯爵様から、珍しくも手紙が届きました。弟の仇は必ず取る。お前はノーマを守れ、とありました」
これには少し驚いた。前侯爵は、ノーマの父に対して、少しは肉親の情というものを持っていたようだ。
「その十日後、一本の杖が届きました。それは、ノーマ様のお母上様の形見でした。それをお渡ししたら、ノーマ様は泣いておられました」
ジンガーは、茶のカップをテーブルに置くと、ハンカチを出して、形のよい口髭を軽くなでた。
それでは、母親の形見の杖を取り戻してくれたのは、前侯爵だったのだ。
以前、この顛末をノーマから聞いたときには、前侯爵は侯爵家の面子をつぶされた怒りで、ノーマの父を殺した者たちを罰した、と聞いた。
そうかもしれないが、それだけではなかった。前侯爵は、弟の仇を討ったのだ。ただしそれは内心の思いであり、前侯爵がそれを告げたのは、よほど信頼する人にだけだったろう。
「以来私は、ノーマ様とともにあります。先代侯爵様からは、年に一度か二度、お手当が届けられました。それももう終わりです」
「あんたはマシャジャインの町に家を持ってるんじゃないのか? マシャジャインには帰らないのか?」
ジンガーは年経た者だけにできる不思議な目つきでレカンをみた。
「私の家はここです。ほかにありはしません」
「そうか」
謎が解けたとレカンは思った。
エダが〈浄化〉を発現したとき、なぜジンガーが侯爵家に報告せず、レカンに決闘を挑んだのかが、どうしてもわからなかったのだ。
もしも〈浄化〉を発現したのがノーマだったのなら、話はわかりやすい。侯爵家の命令とノーマを守りたいという気持ちのせめぎ合いが、レカンとの決闘という道を選ばせたと考えられるからだ。前もって赤ポーションを飲んでいたことといい、あれは自殺に近かった。
ところが実際には、〈浄化〉を発現したのはエダだった。エダの〈浄化〉発現を侯爵家に報告すれば、ノーマの安全は確保したうえで、ジンガーは任務を果たすことができる。願ってもない好機だったはずなのだ。
なのに、なぜ、レカンとの決闘という道を選んだのか。
あれは、侯爵家の命令を守ろうとする心と、前侯爵の思いに殉じようとする心のせめぎ合いの結果だったのだ。
侯爵家の公式な命令は、ノーマの保護監視と、新たな〈浄化〉持ちが生まれた際の報告だった。だが前侯爵個人としては、ノーマが静かに幸福に暮らしてゆくことを願っていたのだ。新たな〈浄化〉持ちの誕生など願っていなかったのだ。
そして平穏無事な年月が過ぎ去っていったあと、突然、エダの〈浄化〉発現という事態が起きた。
侯爵家の命令に忠実であろうとすれば、エダのことを報告しなくてはならない。
しかしそれをすれば、侯爵家はエダを連れ去る。そうなればノーマは、監視されていた事実を突き付けられ、自分のせいでエダが自由を失ったのだと知っておのれを責めただろう。それではノーマに静かで幸福な暮らしを与えたいと願った前侯爵の思いにそむくことになる。
その二つの思いのせめぎ合いに苦しんだあげく、この老騎士は、レカンに挑んで死ぬという道を選んだのだ。
それにしても、ジンガーはよくもあの場所に居合わせたものだ、とレカンは思った。レカンがエダを救ったまさにそのとき、ジンガーはゴンクール家の近くにいた。そしてレカンたちのあとをつけ、決闘を挑んだ。
(待てよ。あれが偶然なわけがない。ということは)
ということは、ジンガーは、ゴンクール家がノーマに対しよからぬたくらみを持つ可能性もあるとみて、何らかの方法でゴンクール家の情報を得ていたのだ。出入りの商人か、使用人か何か、そういう情報源を確保していたのだ。そしてエダがさらわれたことを知り、ゴンクール家に駆けつけたのだ。そうとしか考えられない。
だが、何のために駆けつけたのか。
もしかすると、レカンの助太刀をするつもりだったのかもしれない。
そんなことを訊いてもこの男が答えるわけはないが。
レカンに前侯爵のことを話したのは、ジンガーなりの侯爵家との決別の儀式なのかもしれない。そんなふうにレカンは思った。




