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「ほんとに、すまんこって。申しわけねえこって」
フォベアは、またもや頭をぺこぺこ下げて謝った。これで何度目だろう。
最初はレカンの姿をみて、ぶるぶる震えて怖がっていたが、奉仕依頼で来た冒険者だと名乗ると、今度は急にぺこぺこした。
依頼はフォベアという老人の庭が崩れて危ないので片づける、というものだった。
いったい何が起きたのかと思いながら現場に行ってみると、なるほど庭が崩れていた。
フォベアから話を聞いて、事情がわかった。
この町の外壁を作るとき中心になって働いていた石工の一家が、もともとここに住んでいた。外壁はその後拡張されたり改修されたりしたので、ここには大量の石が保管されていた。さまざまな種類の石が、四角く切って積み重ねられていたのだ。
長年のあいだ、需要にあった石だけを運び出していった結果、残った石は、かなりいびつな積み上げ方になっていた。こちらからあちらへ、ひょいといったん置いただけのつもりが、その上にさらに石を置き、複雑怪奇な配置が出来上がった。
二十年ほど前、その一家が別の町に移住してしまった。住居部分は別の一家が住む権利を買い取ったが、石が置かれていた場所は、買う者がなかった。
やがて十年ほど前、その売れ残った土地をフォベアが買った。フォベアの娘が結婚することになり、フォベアは住んでいた家を売り払って持参金を作ったのだ。
娘は遠方の村に嫁入りし、フォベアはここに移り住んできて、石が積み上げられている隙間の土地に、ほそぼそと野菜を作った。奥まった場所には、どうにか寝泊まりできなくもない空間があったので、つましい暮らしであったが、フォベアには不満はなかった。
ところが、昨年、小さな地震があり、石が崩れてしまった。野菜の畑はことごとくつぶれてしまい、住居部分もほとんど崩壊した。だから今では、表に出るのも苦労するようになってしまった。
それでも残されたわずかな地面の隙間に、本当に少しばかりの野菜を育てて、フォベア老人は生きている。
奉仕依頼を出したのは、これで十二回目なのだと聞いて、レカンはあきれた。
十二回も片づけにきたにしては、あまりにも悲惨な状況だ。せめて住む部分と畑部分をもう少し広くすることはできなかったのか。
さらに話を聞いてみると、これまでやって来た冒険者は、小さな石のかけらやごみを片づけて、フォベア老人と世間話をして帰っていったようだ。
「大きい石は、人間の力じゃ動かせませんからのう。しょうがねえこってす」
では石工はどうやって石を運んだのかということになるが、それは猿の魔獣を複数使役し、また魔法使いも協力していたらしい。それはよほど金がなければできないことである。
今回レカンが来ても、フォベアはどの石を動かせとも言わない。手作りの香草で作ったなけなしの茶葉を煮出してレカンにふるまうだけだ。
茶を飲み終わったレカンは、あたりをみて回った。
敷地自体は広いのだから、奧側、つまり外壁側のほうにいったん空間を作り、そこに丁寧に石を積み上げてゆけば、生活空間も、畑も、たっぷり取れる。ただしそれには時間が必要だ。
この依頼を受けるとき、アイラは言った。
「それから、これはよけいなことですが、奉仕依頼の場合、一日で達成するのが基本で、時間がかかると評価がさがります。でも、依頼者のなかには、わざと達成認定を遅れさせて、たくさんの仕事をさせようとたくらむ人もあります。フォベアさんは、ずるいことをする人ではないと思いますが、さっさと仕事を済ませ、さっさと達成のコインをもらって帰ることをお勧めします」
あれは、現場のこの状況を知っての言葉だったのだろうか。
レカンは、これまでに来た十一人の冒険者のことを思った。どんな人たちがここに来たのか、レカンには知るすべもないが、何もできずにここを立ち去ることに、悔しさを覚えた者も、きっといるはずだ。それでも、わずかでも片づけようとしたことと、たった一日でも話し相手になってくれたことで、フォベアは救われたのかもしれない。
そしてまた、フォベア老人のこれからを思った。このままでは、雨が降ったらぬれるしかない。そうでなくても、もう少し野菜の採れる土地が与えられてしかるべきだ。土地はあるのだ。自らの金で使用権を買い取った土地がある。ところがその土地が使えない。
「よし、始めよう」
「おお。では、やりますかいのう」
「あんたは手伝わなくていい。オレがやる」
「へえ? そりゃあ、すいませんのう」
フォベア老人は、石の上に腰を下ろしてみていたが、レカンが思わぬ位置の石に手をかけたので、仰天した。
「ちょ、ちょっとあんた。それは動かさんでええんじゃ。それを動かしたら大変なことになる」
「フォベア」
「へえ」
「黙ってみていろ」
積み上げられている一番上の、巨大な石にレカンは手をかけた。
「ああ、ああ。それが動くわけが……」
動くわけがないと言おうとしたフォベア老人の目の前で、石はいとも簡単に動いた。レカンはそれを離れた場所にすたすたと運んで、ひょいと置いた。
屈強な男が四人がかりでも、この石一つを動かすことはできない。それを一人で運んでみせたのであるから、レカンの膂力はすさまじい。
「フォベア」
「へっ、へえっ」
「石を壁際に片づけるには、まず壁際の石を移動する必要がある」
「へえ?」
「今日は、できたとしても、壁際の石をどかすのがせいぜいだ。続きは明日やる。明日中にできなければ、明後日やる。できるまで、オレは毎日来る」
最初は軽々と石を運んでいたレカンだったが、そのうちに疲れがたまり、筋肉が悲鳴をあげるようになった。それでも黙々と石を運んだ。日が落ちると同時に、フォベアの家を辞した。暗くなっても仕事はできるが、体力のほうが限界だったのだ。
ふと思いついて、冒険者協会に足を運んだ。アイラの姿はなかったが、別の女性がカウンターにいたので、フォベア老人の家の片付けは一日で終わらなかった、と報告した。
屋台で食べ物を買い込み、宿に戻って宿代を払って部屋を取り、夕食を食べた。酒も飲んだ、たらいの水で体を洗い、ぐっすり寝た。
翌朝目が覚めると〈収納〉から屋台で買った食べ物を食べ、フォベアの家に向かった。
ずいぶん早いレカンの到着に、フォベアは驚いていた。何度も何度も茶を勧めてきたが、それを断ってレカンは石運びを始めた。
昨日の疲れはまだ残っており、体中の筋肉がみしみしと音をたててきしんだ。こんなときには、ボウドの〈剛力〉がうらやましい。あの能力と魔力回復薬があれば、半日ですべての作業が終わるだろう。そうでなくても、ルビアナフェル姫と交換した〈体力回復〉〈魔力回復〉の付与された赤い宝玉があれば、もう少し作業ははかどったはずだ。だが、レカンに〈剛力〉はない。赤い宝玉も今はない。疲労を回復させる魔法薬も存在しない。だからただ黙って、痛みに耐えて石を運ぶのだ。
昼過ぎには壁際に充分な空間ができた。レカンは荷物袋から出したようなふりをしながら〈収納〉から食事を出し、食べた。フォベア老人にも串焼きを二本進呈した。
その日の夕方には、作業は半分ほども進んだ。
翌日は、朝起きたときから全身が筋肉痛だった。朝食は水で流し込んだ。フォベアの家まで歩くのが苦痛だった。
作業を始めたが、なかなかはかどらなかった。それでも昼過ぎには、目にみえて片付けの成果が感じられるようになった。
「すまんが今日は用事があるので、これで帰る。明日また来る」
「はあ。ほんにまあ、ありがてえこって」
へこへこと頭を下げるフォベアに背を向け、宿に帰って部屋を取ると、死んだように眠った。
不思議なことに、翌朝起きたとき、いくぶん筋肉の痛みが治まっていた。体のだるさもあまり感じない。
その日の作業ははかどった。大きな石も小さな石も、収まるべき所に収まっていった。
そして昼前には、すべてが終わった。驚くほど広い地面がそこにあり、壁際には崩れる心配をする必要もないほどがっしり積み上げられた石の山があった。
「まあ、まあ、まあ、まあ」
フォベア老人が、感動の声をあげている。そして泣き出した。
その泣き声をしばらく聞いてから、レカンはフォベアの背中に手を当てた。
「依頼達成のコインをくれ」
ぜひ食事を食べていってくれと言い募るフォベア老人に、用事があるからと別れを告げ、レカンは冒険者協会に向かった。
「四日かかりましたね」
責めるというのではなく、褒めるというのでもなく、ただ静かにアイラは言った。