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レカンは朝食を済ませて早々に西門に向かった。
ヴォーカの町のすべての門は、姫亀の一刻に開く。
西門と東門の内と外では旅人が順番待ちの列を作り、南門と北門の外では、パーツ村やルモイ村から来た野菜満載の荷馬車が列を作って開門を待つ。
ちょうど開いたばかりの西門で、顔にみおぼえのある門衛がレカンをみつけ、列に並ばず素通りするよううながした。
「すまんな」
「お出かけですか。お気をつけて」
門衛の言葉遣いがちがう。急に丁寧になった。レカンが金級冒険者になったことがきちんと伝わっているのだ。こういう何げない事柄に、領主の治世の一端がうかがわれる。
レカンは自身に〈加速〉をかけた。
百歩ほど走ると魔法の効果が現れはじめ、千歩も走らないうちに加速は頂点に達した。
わずかな体力で、驚くべき速度で走ることができる。
風を切って走るとは、まさにこのことであろう。
(これは何とも愉快な魔法だ!)
走るということの快感をあらためてレカンは味わった。
この〈加速〉という魔法は他者にもかけられるはずだ。つまり、最初にニケと薬草採取に出たとき、ニケはかけようと思えばレカンに〈加速〉をかけることができたのに、かけなかった。考えてみれば、〈回復〉もかけてくれなかった。
自分で学べということなのだろう、とレカンは思った。
愉快な気分のまま、あっというまに、ゴルブルがみえてきた。
もうすぐ町に着くというときに、みおぼえのある男が馬に乗って走ってくるのに気がついた。相手もレカンに気づき、馬脚をゆるめた。
「やあ、レカン殿」
「テスラ隊長か。そうか、使者というのはあんたのことだったのか」
「なんでこんなに早く着いたんだ? 昨日のうちから出てきてたのか?」
「いや。今朝門が開いてから来た」
「嘘だろう。それでこんな時間に着くのか? まあ、あんたのことだからな。ゴルブル伯爵様には、あんたが〈ハルトの短剣〉を手放す気はないと言ったが、それでもみせるだけみせてくれと、うちの領主様が頼み込んだと伝えてある」
「了解した」
「じゃ、頑張ってくれ」
そう言って馬を走らせかけたテスラ隊長が、もう一度レカンのほうを向いた。
「あんた。王国法第二十八条は知ってるよな?」
「知らん」
「本当か? 王国法第二十八条は〈迷宮法〉とも呼ばれている。条文はこうなってる。〈何人も迷宮に入ることを妨げられてはならない〉〈迷宮にはいかなる法も及ばない〉〈迷宮から出たとき所持する物の所有権は所持者もしくは所持者たちにある〉」
「法が及ばないということを法で規定するというのも妙だな」
「ほんとだな。はっは。まあ、歴史的には、王国は迷宮のなかでも法の権威を守ろうとし続け、失敗し続けた。ついにはあそこは法の及ばない場所だと規定することで、責任を放棄したんだな」
「なるほど」
「あんたがゴルブル伯爵様に会うについて大事なのは、〈迷宮から出たとき所持する物の所有権は所持者もしくは所持者たちにある〉という条文だ。ゴルブル伯爵がよく使う手は、みこみのありそうな冒険者に、いい品が出たら伯爵に献上しろとか、競売に出せとか言っておいて、あとになって、あれは契約だったと言い張るやり方だ」
「なるほど」
「確かに契約を受けて迷宮に潜る冒険者もいるだろう。契約通り契約者に迷宮品を売り渡す冒険者もいるだろう。だが、迷宮で得た品は冒険者のものだ。それを売るも売らないも冒険者の自由だ」
「当然そうだろうな」
「王国法は、すべての個別法に優先する。あんたが迷宮で勝ち取ったものは、あんたのものだ」
「覚えておこう」
ここでテスラ隊長は声をひそめた。
「ゴルブルのやつらに言いくるめられるんじゃないぞ。まあ、あんたなら、だいじょうぶだろうけどな」
「ああ」
「じゃ、また会おう!」
テスラ隊長は、馬の首を返してヴォーカの町に帰っていった。
珍しいことに、レカンは右手を軽く上げてその姿をみおくった。
ゴルブルの町に入ったレカンは、迷宮警備隊の詰め所を訪れた。
「レカン! もう来たのか?」
ゴルブル迷宮警備隊隊長のダグがすぐに出てきて対応してくれた。
「すまんが、領主の館に案内してくれんか」
「もちろんだ」
ゴルブル伯爵ガイオニス・ドーガの館は、ごてごてしてけばけばしい建物だった。
ダグはレカンを案内して正門から入った。門番は、レカンが来たことを知ると、驚いた顔をして、案内もせずに館のほうに走っていった。
ダグに案内されて広いエントランスホールに入ると、忙しく人が走り回っているが、誰もダグとレカンを案内しようとしない。
もう来たのか、とか、夕方じゃなかったのか、などという話し声を、レカンの鋭敏な耳は捉えている。
ずいぶん長いあいだ、立ちっぱなしで放置された。
「すまんなあ、レカン。どうも対応がなっていない。いや、俺の立場じゃ、この屋敷じゃああんまり強く出られないんでなあ」
「貴族の館で待たされるのは慣れている。やつらは、冒険者なんぞ人間と思っちゃいないからな」
「おいおい、そんなこと大きな声で言ってくれるなよ」
やっと現れたのは、トマジ・ドーガだった。ゴルブル伯爵の長男だ。
この男とは迷宮のなかでも会ったし、以前この町を通りがかったとき、歓待してもらったこともある。
「やあ、レカン! よく来てくれた! はっはっはっ。さあさあ、こっちに通ってくれ。だめじゃないか、ダグ。こんなところで英雄殿を立ちっぱなしで待たせては」
「い、いえ」
「ダグ隊長は、少なくともオレと一緒に立って待ってくれた。食事が三度できるほどのあいだ、この館の人間は、オレに何のあいさつもせず、どこに通れとも言わず、ここにオレを立たせたままだった。ゴルブル伯爵が冒険者をどう扱うか、よくわからせてもらった」
「そうだったか。すまん」
トマジは深く頭を下げた。
レカンは、これは失敗したな、と思った。領主の跡継ぎに頭を下げさせたという事実ができてしまったわけである。
(いかん、いかん)
(心がけて下手に出るようにしよう)
(結局そのほうがうまくいくようだからな)
譲れる部分は譲ってしまえというシーラの教えを、今回も実践しようとレカンは考えていた。
しかしそれが通用する相手もいるが、通用しない相手もいるのだと、すぐに思い知ることになる。